1. 改めて考える。コンプレックスをどこにしまうか。どう活かすか

斎藤薫の美容自身2

2015.12.09

改めて考える。コンプレックスをどこにしまうか。どう活かすか

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは“コンプレックス”という感情のしまいかた、活かしかたついて。毎月第2水曜日更新。

改めて考える。コンプレックスをどこにしまうか。どう活かすか
齋藤 薫
ビューティジャーナリスト
by 齋藤 薫

コンプレックスほどややこしく、面倒くさい感情はない

 まず聞きたい、あなたにはコンプレックスがあるだろうか? 自分にどんなコンプレックスがあるのか、気づいていない人も多いから。いわゆる"トラウマ"と同様、心に絡みついてはいるけれど自覚はあまりない、みたいに……。でもいちばん問題なのは、自分にはハッキリその自覚がないのに周囲のほうが自分のコンプレックスに気づいてしまうこと。そんなことあるの? と言うかもしれないが。

 たとえば"人の悪口ばっかり言っている人"がいて、なぜ彼女はあんなに悪口ばっかりなのかしら? と噂され、「幸せじゃないのかしら」とか「嫉妬深いせい?」とか、いろんな理由をあげた末に行きつくのは、「きっと何かの強いコンプレックスがあるんだ」ということだったりする。もちろん他人に言い当てられること自体、屈辱だ。なぜなら、コンプレックスって人に知られたくない最たるものだから。そしてコンプレックスが強い人ほどじつはプライドも高いから。劣等感をのぞかれたくなくて当然。コンプレックスは、知的な人ほど強く、頭が悪いことをコンプレックスに思う人はいない。

 どちらにせよ、コンプレックスを持って生きていると思われるのはイヤだから、そもそも自分にはそんなものないのだと、自分に思いこませる場合も多く、だから自覚がなかったりするのかもしれない。

 ああ、複雑。コンプレックスって何とややこしく、面倒くさい感情なのだろう。正直、まったく邪魔な、なくていい感情なのに、結果として人生レベルでまとわりついてくる。だからこそ、コンプレックスとの付き合い方を何となくでも知っておくべきではないか。人生だいぶ楽になり、人付き合いでも損をしなくなるはずだから。

 まず大切なのは、自分の中に棲むコンプレックスをよく知っておくこと。気づかないふりをしたまま、何かの時に屈折してしまうくらいなら、ハッキリ自覚したほうがダメージは少ない。だからできれば"私のコンプレックスはこれとこれ"と、紙に書いてみる。あるいは誰かに言ってみる。もちろんそれができないからこそ、コンプレックスなのだという見方もあるけれど、逆を言えば人に平気で言えちゃった瞬間、それがコンプレックスでなくなるケースもたくさんある。

 そう、正しくは、心の中で抑圧されて意識されないまま、複雑な感情を生んでしまい、時には理不尽な言動を誘発してしまうもの……。それがコンプレックスの定義。ゆえに、それが歪んで形を変えるのをひたすら避けたいのだ。

 わかりやすく言うなら、"貧乳"に強いコンプレックスを持っている人がそれをからかわれた時、冗談を冗談ととれずに本気で怒ってしまうような。胸が小さいことを淋しく思っている人はもちろん数限りないけれど、その多くがからかわれても笑える。それを必要以上にコンプレックスに思っていると、キレたり顔が引きつってしまったりしてしまう。その程度のことが、その人を"面倒くさい女"に見せるから、ひどく損であると言いたいのだ。そうではなくて、「私は貧乳コンプレックス」と自ら口に出した途端、屈折はなくなり"厄介な女"が一転、"いい人"の印象を生む。だからコンプレックスは軽く口に出してしまうに限るのだ。

ありそうな人がなく、なさそうな人があると、生まれる好印象

いやそこには皮肉なパラドックスがあって、何もかも持っていて何の悩みも不安もなさそうな人がコンプレックスを持っていると、何だかそれだけで"いい人"に見えてくるし、逆にいかにも悩みがたくさんありそうなタイプが何のコンプレックスも持っていないと、これもまた"いい人"に見える。どちらの場合も、不思議に人格者に見えたりしてしまう。コンプレックスって本当に不可解な感情だ。

 それも恵まれている人のコンプレックスは人を安心させ、悩みが多そうな人にコンプレックスがないのは、何だか人を元気にする。それだけ人の本質に関わる、深いところにある感情だからなのである。

 たとえば時代を越えて"憧れの的"であり続ける、オードリー・ヘップバーンがやせっぽっちで顔もエラが張っていて……と若い頃はコンプレックスの塊だったと語ったことで、どれだけファンを増やしたか。そういうふうに語り出すことが、人を吸い寄せたりもするということ。

 でもすべて持っていそうな人が、「私にだってコンプレックスくらいある」って主張し、それが"足の指の形"みたいな、どーでもいいことだった時には、一転"許せないタイプ"になるのもまた、コンプレックス自体が本来、人にとってひどく重たいものだから。ここまで人間性に関わってくるのも、人の痛みがわかるか否かに直結する感情だからだろう。

 言うまでもなく、女性のお笑い芸人が自らの容姿を笑いのネタにするのも、人の痛みがわかる人間性をベースにし、尚かつそれを笑える大らかさで人を惹きつける手段。けれども容姿が本当のコンプレックスになっていたら、そんなきついことはないはずで、女性に限らずコンプレックスの強い芸人は、本人もきついが、見ているこっちもきつい。成功はしないはずなのだ。やっぱりコンプレックスの有無は、いくら上手に隠しても、何となくモレ出てきてしまうものだから。

 ちなみに"自分に自信がないこと"と"コンプレックスを持つこと"はまったく別もの。自信がないのは、自分だけの問題。1万人中"一番"の人だって、自信がない人はいるのだから。つまりそれがバネになって、もっと大きく伸びることもあるのが、自信のなさ。しかしコンプレックスは、簡単に言えば"人と自分を比べて生まれる劣等感"に他ならず、その負の感情は他者に向かっていきがち。"比較の対象"となった人に向かっていくだけでなく、一度歪んだ形で体から出ていくだけに、思わぬところに向かっていきがちだから、早く消去すべきなのだ。

 もともと克服できないコンプレックスなどはない。なぜなら他人から見たら"まったくどうでもいいこと"なのに「コンプレックス」という名の感情になると、途端に人をくすませる。だから持つだけ損。そして持っているのを隠しても損をし、中途半端に出しても損をする、こんなバカバカしい感情もないのだから。それに早く気づくことが、そっくり人間の成熟と言えるのだ。従ってこうも言えるのかもしれない。心に潜んだコンプレックスを大きな意味で解決していくのがすなわち人の成長であり、人生であると。

 だから丸出しにしてしまおう。そして自らを笑ってしまう。そうやってコンプレックスをコンプレックスでないものへと変えてしまうこと。オードリーみたいに、昔はコンプレックスを持っていたことが後で勲章になったりもするからだ。

 そう、昔はあった。でも今は克服した。そう言える人がいちばん中身のつまった人に見える。元々コンプレックスのない人には、人の心のヒダの中までのぞけない。そういう意味でも知性の証、人間の深み。克服することに意味があるのだ。もっと言えば、昔あったコンプレックスを語って人を元気にできる。そして何だか尊敬される。そういう女になるのが、じつはひとつのテーマなのかもしれない。

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齋藤 薫
齋藤 薫
美界のご意見番。VOCE連載のほか、美容や女性をテーマに多くの女性誌で執筆中。精神性の深さが多くの女性から支持をえている。

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