1. “別れた恋人”こそ、キレイと人生の検査薬である

斎藤薫の美容自身2

2016.03.09

“別れた恋人”こそ、キレイと人生の検査薬である

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは“別れた恋人”と、キレイと人生について。毎月第2水曜日更新。

“別れた恋人”こそ、キレイと人生の検査薬である
齋藤 薫
ビューティジャーナリスト
by 齋藤 薫

彼の中の“自分のイメージ”こそ
自分採点のひとつの基準

とっくに別れたという報道がありながらも、度々2ショット写真が出てきて、それも過去のものだったりするのは、どちらかに未練がある証……。それこそ悪童ジャスティン・ビーバーは、かつての恋人セレーナ・ゴメスにまだ未練たらたらというけれど、そうやってジャスティンがもがけばもがくほど、セレーナは魅力的に見え、女っぷりを上げる。不思議なもので、別れた彼に想い続けられる女は、それだけで見事に魅力を増すのだ。別れた恋人にどういう想いを抱かせるかは、女のランクを有形無形に左右するものなのである。それはセレブカップルでなくても同じこと。

 たとえば、共通の友人の結婚式、あるいはもっと単純に久しぶりの同窓会。以前に付き合っていた人とイヤでも会わなければならない日。女は2つの大きな不安を抱えることになる。ひとつは、“自分自身が相手を幻滅させはしないかという不安”。もうひとつは、“相手が以前よりはるかに魅力的になっていて、負けたと思わされる不安”。

 だからどうという話ではないのだが、もうどうにも修復しようのない関係であっても、男と女は別れたあとも影響し合っていくものなのだ。ひとつに、やはり思い出を汚したくないという本能が働くから。いや、そういう感傷的なものは残っていなかったとしても、別れた恋人の中に生きている“自分のイメージ”は、良くも悪くも自分にとってひとつの基準になっているから、彼の評価が必要以上に気になるものなのだ。

 たとえ顔も見たくない相手でも、「あいつブスになったな」と思われたくない。“復活”など120%ありえなくても、がっかりはさせたくないと思うのだろう。意地なのかもしれないし、プライドなのかもしれない。いやもっと単純に“別れた男”は、女にとって“その後の自分”のレベルを計る検査薬なのかもしれないと考えてみた。

 たとえ別れてからの期間がそう長くなくても、別れた時点で一度“線”が引かれ、そこから女として“上向き”の状態にあるのか、“下向き”の状態にあるのか、それが“別れた男”の目によって判断されると考えるからなのだろう。そうなのだ。女の価値は、その時その時の“定点観測”で決まるものではない。今、上向きか、下向きか、女としての矢印の向きで決まる。だから別れた時点から見て、よりキレイになったのか、逆に冴えなくなったのか? それがかつての恋人の目には明らかで、いちばんごまかしのきかない相手なのである。

 だから今ここで、街で昔の恋人を見かけた時、あなたが反射的にどういう行動に出るのかを思い浮かべてみてほしい。もしもとっさに身を隠したとしたら、それはおそらくその後の自分が“下向き”である証。彼の中の自分のイメージを裏切りそうなことに気づいた証。逆に“上向きの自分”を自覚した人は、「久しぶり」と堂々と彼の前にも立てるはず。言いかえれば、まさにその瞬間、自分が“下向き”にあるのか、“上向き”にあるのかに気づかされるのだ。

 人ってじつは日頃そういうことに気づいていない。いや、気づかないふりをしているのかもしれない。特にぼんやり下降線をたどっているかもしれないことには、気づかないふりをする。でも昔の恋人が不意にその現実を突きつけるのだ。

 つまり、“彼との再会”には、そういうふうに一瞬で“過去の自分”と“今の自分”を比較して、自らをリアルに採点する妙なチカラがあるのは確か。じつはそこに暗黙の“駆け引き”があって、ブランクを経て今、どちらの勝ちなのかをそれぞれが瞬時に判断しているのである。

その再会で女は“どっちが
幸せか?”を瞬時に判断する

 いやそこでは外見の魅力の向きのみならず、もうひとつ、別れてからの人生の勝負が瞬時に判断される。もちろん出合い頭に、今どっちが幸せか? なんていう採点はできないはずなのに、そこはある種の気配にその勝敗を読み取るインスピレーションのようなものが働くのだ。つまり今の自分が相手よりも幸せになっていなければ、やはりとっさに身を隠す。気づかなかったふりをする。結果としてそういう行動をとってしまってから「ああ自分は“幸せであること”にも自信がないのだ」と気づいたりするのだ。

 これは“昔の恋人”に限らない。“久しぶりの友人との再会”もまた、自らの人生を採点する検査薬となるのだ。

 そこで思うのは、そういう場面で堂々と自分から声をかけて、にこやかに自分を相手の前に差し出せる、いつもそういう自分であることが、じつはけっこう重要なのではないかということ。とっさに姿を隠してしまうのは相手に対し、というよりは、むしろ自分自身に対して後ろめたいから。みすみす“負け試合”にのぞみたくないという逃げからなのではないかと思う。もちろん“戦い”ではないが、ひとつの勝負。負けは自分自身に対しての“負け”に他ならないのである。

 あなたは、1年前よりも向上しているだろうか? 2年前でも3年前でも、もちろん10年前でもいい。そう唐突に聞かれても……と思うに違いないが、総合的に自分を評価するのは、確かに難しい。でもだから、時々は自分を客観的に見つめ直してほしいのだ。自分は昔より向上しているのかいないのか、ちゃんと女として高い女になっているのか? と。“安くなっている自分”にも目をつぶってしまいがちだから、ちゃんと目を見開きたい。自分という女の評価。単に見た目にキレイになっているだけじゃなく、ちゃんと幸せか? も。

 女は“幸せになるために生まれてきた性”。でも何をもって幸せというのか、その基準は曖昧だ。だから女は、身近な女たちよりも自分は幸せなのかどうかを、日々無意識に査定しているものだけれど、いちばん明快な基準は、何となくでも“別れた男”よりも幸せになっているのかどうか。少なくとも昔の恋人より1%でも多く幸せになっていたいと思うのが、女という性なのだと思う。負けたからといって何が起こるわけでもないが、そこで1%でも多く幸せであろうとする生き方が、いい人生をつくるのだろうから。

 映画のラストシーンには、別れた恋人と軽く遭遇する場面が少なくない。もちろん一概には言えないが、もともと上質な“高い女”は、そういうラストシーンで、ちゃんと幸せそうで、より輝きを増しているかに描かれ、一方、一時の迷いで虜になってしまっただけの女は、少し不幸そうな“ただの普通の女”に描かれ、あれは錯覚だったのだと男を空しくさせる。フィクションとはいえ、そこだけは譲れない。人間の摂理がそう描かざるをえないのだろう。正しい女は必ず上向きの人生を生き、負のある女は、結果的に下向きの人生をたどっている。それがこの上なく鮮明に描かれるのが、別れた男の目を通したそういうラストシーンなのである。

 そういうことも踏まえて自分を見つめ直したい。自分は幸せに輝く女として、ラストシーンを迎えられるのか? 自分という女の“是非”を客観的に占うためにも。

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齋藤 薫
齋藤 薫
美界のご意見番。VOCE連載のほか、美容や女性をテーマに多くの女性誌で執筆中。精神性の深さが多くの女性から支持をえている。

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