1. モノに打ち込む人、ヒトに打ち込む人、自分に打ち込む人

斎藤薫の美容自身2

2015.07.08

モノに打ち込む人、ヒトに打ち込む人、自分に打ち込む人

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマはタイプが違う4種の女について。毎月第2水曜日更新。

モノに打ち込む人、ヒトに打ち込む人、自分に打ち込む人

女のタイプは、見事に4つ。四人の女に分けられる。

 先ごろ6度めの映画化が決まった「若草物語」は四姉妹を描いた世紀の名作。日本にも「細雪」や「四季」シリーズ、この6月に公開の「海街diary」といった四姉妹ものが存在するが、なぜ女は4人ひと組が描かれることが多いのか?仲良し4人組を描いた"セックス&ザシティ"の空前のヒットを見ても、女4人には物語を面白くする決め手が潜んでいるのだろう。おそらくは四角の四隅。いわゆるマトリックスの四分類ができるから。言いかえれば、女のタイプは春夏秋冬、喜怒哀楽のように、大きく4つに分けられるということなのだ。

 その原点である「若草物語」は、作者オルコットの自伝的小説で、その四姉妹はまさにマトリックスの四極。長女は一家が金持ちだった時の贅沢が忘れられない、物質にこだわるタイプ。三女は思いやりの固まりで人のために尽くすタイプ。四女は自我が強い気取り屋、自分が大好きなタイプである。そんな姉妹たちをモデルにこの小説を書いたのが、男まさりで行動派の次女だった。偶然か必然か。モノに打ち込む女、ヒトに打ち込む女、自分に打ち込む女、事に打ち込む女という四極に見事に書き分けられている。同じ環境に育っても、同じ血が流れていても、女はこれだけ違うのだ。その違いを端的に表すのが、まさしくこの"何に打ち込む人生"なのか、という分類なのである。

 ただそこまで価値観が違っても四姉妹は愛し合い、支え合って生きていく。作者の次女は、"ヒトに打ち込む三女"をいちばん愛し、"自分に打ち込む四女"とはしばしばぶつかったというストーリーを描いているが、打ち込むものの決定的な違いが、相手への評価や関係性を左右することを、それはよく示している。人と人の好き嫌いも、人と人の相性も、じつはその違いから生まれるのである。
"ヒトに打ち込む女"には、"モノに打ち込む女"の軽さが、どうしてもわからない。一方"自分に打ち込む女"には、"ヒトに打ち込む女"の無欲が生涯わからない。話をわかりやすくするなら、"ヒトに打ち込む女"はボランティアで難民キャンプに自ら行って、体を張った支援をするが、"自分に打ち込む女"の多くは、チャリティーパーティに着飾って出かける。どちらも慈善活動には違いないが、それだけの生き方の違いを生んでしまうのだ。

 そこで"モノに打ち込むタイプ"は優先順位として、何をおいてもまずエルメスのバッグを買い、フランク ミュラーの時計を買う。寄付を考える前に、クローゼットをいっぱいにしないと安心できない。いや、具体的な物に走らずとも、そういう物欲を満たせる人生を送るために、できるだけ良い結婚をしようとする。それも"モノに打ち込むタイプ"の生き方なのだ。つねに良い物に囲まれていないと不快。つねに新しい物を手に入れ続けないと不満。つねに人の持っていない貴重な物を所有していないと不安。宿命的にそういう価値観を持ってしまうのである。そこに、幸不幸の基準があるから。何をもって幸せというのか、何をしている時にいちばん幸せを感じるか? に4人の女の違いが現れるのだ。ボランティアか、チャリティーか、はたまた200万円のバッグと200万円の時計か……。

 もちろん"ヒトに打ち込むタイプ"もいろいろ。自分をギセイにしてまで、人を好きになってしまうタイプも少なくないが、それがもし偏愛的なものなら、"ヒトに打ち込んでいる"のではなく、間違った方法で"自分に打ち込んでいる"に他ならない。人を独占したくなるのは自己愛の強さだから。どちらにせよ、打ち込むものを間違えてしまうと幸せも未来もない。自分は一体何に打ち込むタイプなのか、時にはそれを客観的に見つめたいのだ。

一生懸命は、"事"に使わないと人間偏ってくる

 何が正解か、は言えない。ただ少なくとも"モノ"に打ち込むよりも"事"に打ち込んだほうが、人生は充実する。モノは打ち込んでも打ち込んでもモノ。一度手にしてしまうと、すべからく情熱は薄れてしまうから。そして一方、ヒトに打ち込むか、自分に打ち込むかと考えると、これはどちらかに偏るべきではないのかもしれない。つまり人それぞれ100の愛情があるならば、50をヒトに、50を自分に向けるようにすることが幸せのカギなのだ。"自分しか愛せない女"は、当然人に愛されない。女にも男にも。だから人間関係もごっそりうまくいかないという宿命を自ら背負うことになるのだ。

 逆に自分よりもヒトに多くの愛情を注ぐ人は、誰にでも愛されるものの、人に熱すぎて重たがられたりすることも含めて、やっぱり自分をギセイにしがち。ちなみに「若草物語」でも、作者がいちばん愛した三女は、近所の老人の看病に通ううち、自ら病に倒れ亡くなってしまう。そういう不幸もあることを描きたかったのだろう。だからハーフハーフ……それが幸せのカギ。

 じゃあ"事に打ち込む女"はどうか?じつは世の中や周りをぐるりと見渡すと、何らか成功したり、何事かをやり遂げていたり、評価が高かったりする人は、もう皆見事に一生懸命"事"に打ち込んできた人。結局のところ、人生を前に進めて、どんどん大きな存在になっていくのは、"事"に打ち込む人以外ありえないのだ。「若草物語」の次女も、"書くこと"で成功を手にするわけで。だからこれ、全員に必要。何かを始めたり、何かに挑んだり、何かを続けたり、ともかく何らか動き出すことは、全員に必要なのだ。もちろん、始めるだけじゃダメ。やり散らかすのではなく、ひとつずつ事をやり遂げていかなくてはならないが。

 確かに人間、特に"事に打ち込まなく"たって、当たり前に生きていける。でもそこで、人生に致命的な差がついてしまうのは知っておこう。そもそもが、一生懸命とか、ヤル気とか、そういうものがない人は、存在がどんどん軽くなる。何事にもエネルギーを注がず、自らは何も動かず、自動的にやってくる毎日を担々と生きているだけ……そういう人は、不安でも自分の薄っぺらさにある日突然気づいてしまったりするはずなのだ。しかも厄介なことに、一生懸命になるのは、対象がモノやヒトや自分だと、人間が偏っていく。人生も偏っていく。一生懸命は"事"に使わないと意味がないのだ。

 あなたは"事に打ち込む女"だろうか? いや、そうであってほしい。モノやヒトや自分には打ち込むのに、事には打ち込めないのはちょっと危ない。ボランティアは"ヒトに打ち込む"と"事に打ち込む"両方をミックスしているから、実りの多い人生をもたらすが、事を伴わずに、ヒトにだけ打ち込む女は、やっぱり偏っていく。"事"がない女はダメ。女が4人いたら、事に打ち込む女が、他の3人の人生を冷静に見つめるという物語が多いのもそのため。偏りがないからなのだ。

 そこで提案。モノ、ヒト、自分にしか打ち込めない人はこうしてほしい。打ち込む対象を"動詞"にする。モノに打ち込むのじゃなく、モノを大切にすることに打ち込む……ヒトよりも、ヒトを愛すること、自分よりも、自分を高めることに打ち込む、という風に。

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