1. やっぱり行きつくのは、スカーレットかメラニーか?

斎藤薫の美容自身2

2015.03.23

やっぱり行きつくのは、スカーレットかメラニーか?

人に好かれて生きるのか?嫌われても思いのままに生きるのか?

やっぱり行きつくのは、スカーレットかメラニーか?

もちろん人に嫌われるより、好かれるほうが良いに決まってる。わざわざ嫌われようと思う人はいない。でも世の中にはこんな基準があって、話をややこしくしている。それは人に好かれるために、自分を抑えて生きるなんて馬鹿げている。たとえ人に嫌われたって、自分らしく思いのままに生きるほうがカッコイイ……という。おまけに、誰にでも好かれようとしている人は、”八方美人”と呼ばれ揶揄される。ただこの、八方美人という呼び方にも、しばしば悪意が混じり、誰にでも好かれている人に、やっかみ半分そういうレッテルを貼ってしまうというケースも少なくないからこそ、この判断、実に難しいのである。人に好かれようとするのか? 嫌われても思いのまま生きるのか?

そういう二者択一で、必ず思い出されるのが、『風と共に去りぬ』に登場する対照的な2人。ヒロインのスカーレットは、本能の赴くままに行動し、言いにくいこともはっきり言い、時には嘘をついてでも自分の思い通りにしようとする、勇敢だが自信たっぷりの高慢な女。一方のメラニーは、思慮ぶかく穏やかで、包容力もある心優しい女。人を勇気づけることはあっても、ネガティブなことは言わない。で、2人の女に同時に愛されている男は、さすがにメラニーを選ぶが、スカーレットを愛し続ける別の男が、男として理想的に描かれてしまうものだから、私たちはまた悩む。もっとも、これはスカーレットだから成立する話。美人でゴージャスで、女王様気取りさえ魅力的に描かれる、圧倒的な”主役”だから許される話。そうでない女がスカーレットの心を持って生きていたら、やっぱり辛い。

とすれば、どちらがいいかなどと考えるのはもともとナンセンスなのだろう。メラニーは絶対スカーレットにはなれない。人に好かれることを前提として生きてきた人に、嫌われることがわかっている言葉を吐くことは無理なのだ。それでも人に好かれようとする生き方が、社会的にズルイと思われがちなのは確かで、だから好かれている人は、時々立ち止まって考える。「私は自分らしく生きていないの?」でもこの際そういう迷いは捨てるべき。だってここでいう”自分らしさ”は”自分勝手なこと”、”我を通す”ことではないのか? だから、「自分らしく生きる」などという、一見清々しい言葉に惑わされるべきではないのだ。

ただし、今ここで明快にしておきたいのが、”嫌われたくないこと”と”好かれたいと思うこと”は、もともと別の概念であること。嫌われたくないのは、相手を敵に回したくない、否定されたくないという、事なかれにしてどこか自己中心的な考え方。相手の顔色を見ながら行動したり、正面から向き合っていかなかったり、その場逃れで面倒臭い生き方になりがち。嫌われない身の振り方に心を砕いているくらいなら、好かれる努力をすべき。でないと人生薄っぺらくつまらなくなるばかり。


人に好かれるための努力が人間を完成させるのだ

放っておいても、人に好かれる才能の持ち主に共通しているのは、まず単純に明るいことと、明るすぎないこと。そして、知的だけれど知的すぎないこと。どちらも”過ぎる”と人を疲れさせて逆効果。次に、相手に集中すること。いくら感じが良くても、相手に関心のなさそうな感じの良さは、これまた逆効果。要するに相手を見ていない360度の愛想の良さをこそ、”八方美人”と呼ぶのだから。相手をちゃんと見ていることが、その人に伝わらないと何もならないから、歯の浮くようなお世辞より質問がいいのだ。立ち入りすぎない質問を2つ以上して、関心があることを示すこと。最大の鍵は、相手への集中なのだ。

言いかえれば、”人が大好きな人”ほど、意地悪にもズルくにも見えないし、人生後ろ向きにも、不幸にも見えない。そしてとても単純に人として魅力的に見えるからこそ、どんな人からも好意を持たれる。ひねくれた心にこそ、北風より太陽。そこを信じて人間関係のモットーにすると、大体のことはうまくいく。もちろん関心も好意も通じない人間はある数いるが、逆にそれも含めて知っておくと、本当の意味で人格が完成する。どうにもならない人間関係もあることを知っておくのは、大人の人間形成に不可欠なこと。嫌われないように逃げ回る生き方では絶対に得られないものを得ることになる。人を許せるようになるのだ。人を許せて、初めて人間は完成するわけで、人に好かれる努力は、人間完成の近道なのである。

たとえばあの”名言”は象徴的。「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください!」言うまでもなく、問題のAKB総選挙3回目で、前田敦子がトップに返り咲いた時の伝説的な挨拶。普通なら、ひたすら「みんなのおかげ、ありがとう」と大泣きするところ、意外な言葉が出てきたわけで、なるほどこれがAKBであり、前田敦子の凄さなのだと思ったもの。 1回目の総選挙でトップとなり、2回目でトップを奪われた時の屈辱と焦りは、並大抵のものではなかったはずで、でも持ち前の負けん気からか、一体どうすれば、人に好かれるのか? ファンを一人でも増やし、票を一票でも増やすにはどうすべきかを考え抜き、悩み抜いたはず。一人一人と向き合うことの大切さに改めて気づいたかもしれないのだ。

そこで、今まで無視していたはずの”自分を嫌いなAKBファン”の気持ちを深く見つめたのだろう。だからこそ、ああいうコメントになった。責任感にも強がりにも聞こえるが、人に嫌われることの意味をさんざん考えた挙句に、自分を嫌いなファンの心をどうにもできない無力感と諦めを超えたところに生まれた、”敵を許す心”がああいうメッセージとなったのだろう。ひとつの達観を、AKBらしくわざと挑むように表現したのだ。だから、人と何かを競うことの無意味さ、一番になることの喜びと悲しみも、全て知ったところで、卒業に至る。人に好かれる努力と嫌われる自覚は、様々な形で人を成長させ、多くを悟らせるのだろう。「別に誰に嫌われたってかまいやしない、自分の好きなようにやる」と言い放つのは一見潔く見えるけれど、どんどん視野が狭まっていくうえに、どんどん人間関係が貧しくなる。やっぱり人は、人に好かれようとするべきなのだ。そのほうが人として自然。

人間は歩き出すより早く、どうしたら親に愛されるのかを考え始めていた。そうやって、生きていく術を知り、世の中を知ったのだ。多分一生それを止めるべきではないのだろう。幸せというものは、結局のところ、人によってしか得られない。お金や物では得られない。ならば、人に好かれないと、何も始まらないのだ。人に好かれることが、生きることなのだと言っていいくらい。女はそう思って生きるべき!!


Image title

記事ランキング

あなたにオススメの記事

最新号

VOCE 1月号

1月号を立ち読みする!

最新号の内容を見る

VOCEアプリ

VOCE APP

記事をサクサクCHECK!

ダウンロードはこちら