1. 人がコワイほど人間関係はうまくいく

斎藤薫の美容自身2

2014.11.23

人がコワイほど人間関係はうまくいく

人間関係に悩まないための絶対の掟が見えてきた

人がコワイほど人間関係はうまくいく

人がコワイ……そう思ったことはないだろうか?とても人付き合いがよさそうなのに、そして心も安定していそうなのに、世間の人をコワがっている人が、じつは少なくないことに、ある時急に気づいてしまった。これでもし人間ギライだったら、それこそ友だちも作らず、社会ともあまり関わらずに生きていくのだろうが、人がコワイというタイプに限って人がキライじゃない。人の心が読めるから、コワイけど、好き、なのだ。

 先ごろ"ママ友問題"が表面化した時、そこには想像を絶するいじめや確執があることが垣間見えて、これからママになる人は戦々恐々としたはず。でもそこでコワくなった人のほうが、人間関係はうまくいく。人の心が読めないために、無防備かつ無神経になってしまう人が人間関係をコワくするのだから。

 大人の人間関係は、"かくれんぼ"と同じ。オニからは姿を隠していればいい。別に無理に関わっていくことはないのだ。関わるのがコワイ相手からはひたすら身をかわして、縁がないふりをすればいい。逃げるのではなく、息を潜めて隠れること。

 でも"かくれんぼ"同様、見つかってしまったら潔くにこやかに相手と向き合おう。相手を拒まず、嫌わず、誰の悪口も言わず。そう、"イヤな女"とは誰かの悪口で関わりを深めては絶対にいけない。"イヤな女"とは、うまくいかない恋の悩みでも話題にしてその場を乗り切ろう。誰もギセイにしないため。

    結局のところ、人間関係というのはつねに目には目、歯には歯。たとえば、芸能界"ママ友騒動"の発端も、「私も昔、ママ友にいじめられた」というブログでのつぶやきだった。そのひと言がパンドラの箱をひっくり返し、ちょっと待ってよ、被害者はこっちじゃない? と何倍ものお返しがやってきた。まさに"口は災いのもと"、ああ言えばこう言うで、ドロ沼へ。そんなことをつぶやかなければ何事も起こらずにすんだものを。  しかしこれこそが、女同士の関係。全員が自分こそ正義と思いこんでいるから、私が悪かったという反省を、相手に望んでも無駄。当然、正義をふりかざしても無駄。反論しても戦っても無駄。そう言い放ってしまうのはあまりにも虚しいが、相手との距離が近いだけに、体をぶつけ合ってしまうと自分が大けがするし、負の言葉を吐けば自分が傷つく、まさにブーメラン状態。何も言わなきゃよかったと必ず後悔することになるから、戦わずにすませたいのだ。心の中で"不戦勝"を狙って。女は全員が"不戦勝"の正しさに気づくべきなのだ。

“私はいい人”“私はいい人”と、暗示をかける

    そもそもあなたは、"いい人"になりたいのか"イヤな女"になりたいのか、そう聞いてわざわざ"イヤな女"になりたいという人はいない。なのに"いい人"になれないとしたら、自分は絶対なれないと思い込んでいるせい。私は嫉妬もするし、キライな人もいるし、人の悪口も言うからきっとなれないと。でも"いい人"になるって、むしろ暗示。中には生まれながらの"いい人"もいるけれど、多くは自らにそういう暗示をかけている。「人格は"習慣"が作る」という言葉があるが、"いい人"も"習慣"によって作られるものなのだ。

 だって、どんなに気に入らない相手やら潰したい相手がいても、自分は"いい人"という強い自覚をそこにぶつければ、言いたい"悪口"も飲み込んでしまえる。"イヤな女"にイヤな想いをさせられても、私は要するにこういう女にはなりたくないから、"いい人"でいるしかないのだと自分を納得させられる。そう、私は"いい人"、私は"いい人"と自分に言い聞かせていれば。

 誰も妬まない、誰もキライにならない、誰も蔑まない。文字通りの"聖人"みたいな"いい人"など、そうはいない。世の中の"いい人"の多くは、ちゃんと頭で考えて"いい人"で生きていくことを決めた人なのだ。努力と忍耐で。そしてまた習慣で"いい人"を人格にまで育ててしまった人なのだ。つまり、その気になれば"全員がいい人"になれるのである。 そもそも世間が誰かの噂をする時、ところで、その人は"いい人"なのか? を話題にする。つまり散々よくない噂話をしておいて、「でも彼女、けっこう"いい人"だよね」というひと言で評価は逆転してしまう。"いい人"は欠点を帳消しにし、いろんな失敗を許してもらえる。七難隠す"色白"みたいに。だから"いい人"の印象を宿すと、不思議に人間関係がうまくいくのだ。やっぱり、世間で噂される時、彼女は"いい人"と誰かに言ってもらえる人になっておくべきなのである。

ただし、"いい人"でいようとすると必然的に、世の中の人がコワくなることは知っておいて。だって"いい人"は、深く関わらず、戦わず。それでも人が好きな人だけが"いい人"になれるのだから。

 最近になって、心のストレスと衰えの関連性がより具体的に解明された。ずばり悩みや苦悩が多い人ほどコラーゲンが減るというふうに。そこで気になるのは"いい人"と"イヤな女"、どちらがコラーゲンを減らしやすいか、という問題。当然、人がコワくて、悪口を言うのも言われるのも我慢しなければならない"いい人"のほうが、はるかに心のストレスは多く、コラーゲンが毎日減っていきそう。だから「無理して"いい人"をやるのはやめましょう」的な提案があるわけだが、本当にそうだろうか。

 "いい人"の自覚は、むしろデトックス効果をもたらす。"いい人"をやることで、たまったストレスも浄化される。ボランティアをやったり、お墓参りを終えたあとに必ずやってくる清々しさにも似た、心の浄化作用を得られるのだ。逆に"イヤな女"は言いたいことを言えて一見ラクそうに見えるが、"毒づく"という言葉があるように、毒を吐くと自分の中に毒素が広がる。悪態をつくと相手を傷つけた分だけ、じつは自分の心にもダメージをもたらしているのだ。人を刺すと死ぬ蜂がいるように、毒づく女ほどじつは打たれ弱かったりするのも、"イヤな女"をやっている人ほど、心身ともに負担がかかっているから。そもそも人がキライだから、そしてバランスが悪いから"イヤな女"になるわけで。正直、フジテレビの「ファーストクラス」みたいな、全員ワルみたいな職場にいたら、それこそ人間、身も心もズタズタ。コラーゲンも減りまくる。

 人に何と言われようとかまわない、人なんて関係ない、だから"いい人"でいる必要なんてない……というのはやっぱりウソなのだと思う。どうしたって人の言うことは気になるのだから、いい人ぶるのではなく、"いい人"になるクセをつけてみる。自らに暗示をかけながら。それがいかに正しいことか、ここで考えてみたいのだ。心にも肌にもいい、人生そのものを浄化する美容になり、もちろん幸せのモトにもなる。「彼女って"いい人"」……何とも心地いい響きである。

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