1. 女の人生において「一人の人を一途に愛す」は是か否か?【齋藤薫の美容自身】

斎藤薫の美容自身2

2018.12.12

女の人生において「一人の人を一途に愛す」は是か否か?【齋藤薫の美容自身】

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは "女の人生において「一人の人を一途に愛す」は是か否か?" について。毎月第2水曜日更新。

女の人生において「一人の人を一途に愛す」は是か否か?【齋藤薫の美容自身】

昔の女はなぜ一人を愛し続け精神を病んでしまったのか?

  カミーユ・クローデルという女性を知っているだろうか? 1864年生まれのフランスの彫刻家。才能と美貌で注目を集めた人である。でも実際には作品自体より彫刻界の巨匠、ロダンの恋人としての方が有名かもしれない。いや厳密に言うと、ロダンを激しく愛し、ロダンが妻のもとに帰ってしまうと精神に異常をきたし、亡くなるまで精神病院で生きた人。ちなみに出会った時はまだ19歳。ロダンは42歳だった。ロダン没後も30年近く、彼に囚われ続け、まさしく一人の男への愛憎のためにあった人生だったのだ。

 その壮絶な人生が映画化された時、鬼気迫る怪演でオスカーにノミネートされた女優イザベル・アジャーニは、そもそもが憑依系。彼女を有名にしたのは、こちらも実話モノで、作家ビクトル・ユーゴーの娘、アデルの一途すぎる狂気の恋を描いた映画『アデルの恋の物語』だった。このアデルも、恋に破れてからの40年間を精神病院で過ごしている。しかもたった一度だけ関係を持った英国騎士を追いかけ、海を渡り、貧しい下宿屋に身を置いて、止めどなく手紙を書き続けた挙句に、冷酷に突き放された結果、おかしくなってしまうという結末。カミーユの場合はちゃんと愛されたが、アデルはあまりに哀しい片思い。だから“一途にして狂気の恋”の代名詞ともなっている。

 それにしても、なぜこうも昔の女は、一途な恋に身をやつし、みんな心を病んでいったのか? 他に娯楽がなかったから? 恋愛ほど打ち込めることがなかったから? そして、暇だったから? それはそれで確かなのだが、今と昔では男というものへの期待値が全く違っている上に、そもそも男への尊敬があったからではないだろうか。

 加えて、社会性や情報がなかったりすれば、必然的に恋愛至上主義になりがちだし、逆に教養があり、文化や芸術に理解が深ければ深いほど、恋愛を理想化したはず。じゃあ逆に、現代の女たちはなぜそこまで恋愛に集中しなくなったのか。

 おそらく20世紀のうちは日本の女たちも“恋愛至上主義”だった。クリスマスまでには彼を作らなきゃ的な強迫観念を持って生きていた。それが今や、多くの人が恋愛への集中力を持たなくなる。もちろん、カミーユやアデルのようにはなりたくないから。自分が傷つきたくないという自己防衛の本能が、気がつけば恋愛に対し、慎重を通り越し、冷めた時代をもたらした。でも同時に女の立場から言えば、男への期待値が極端に減り、生涯をかけ、命をかけて思い続ける対象など探してもいないという現実がある一方、今どきの自分好きな女たちが、自分よりも重要な男を見つける道理がないのだ。

 ただし、自分を異様に大切にする女が誰かを一途に好きになってしまうと、身勝手なゴリ押し恋愛からストーカーになっていくという図式も成立してしまう。

  つまりストーカーとは背中合わせ。とはいえ、真っ当な一筋愛が、今この時代にできる人がいたら、それはそれで逆に奥行きある人に見えて素敵と思ったりもするほど。むしろ昔のように純情な女が増えている今、どうやったら自分を見失わずに、一途な想いを貫けるか、何か改めて考えたくなった。

《齋藤薫美容自身2 関連記事はこちら》
【齋藤薫の美容自身】女は、人生で2回、顔が変わる。美しく変わる人と、美しさを減らす人がいる。

“魂のお守り”があれば女は心穏やかに帰りを待てる

 奇しくもそこで、先ごろ亡くなった樹木希林さんの人生が改めて浮き彫りになり、こんな一筋愛もあるのだと思い知らされることになった。結婚1年半で別居、生涯ロックンローラーの夫、内田裕也氏から一方的に申し出られた離婚を断固拒否して以降四十数年、年に一回連絡を取り合うだけの結婚生活を続けた。もちろん金銭的な援助なし。それでも夫婦であり続けたのはひとえに一途さから。

 で、この人は常に一筋なのかと思いきや、その前に俳優だった故・岸田森と4年間結婚していた。ただ、二度目の夫に関しては、娘の也哉子さん曰く「なぜこういう関係を続けるのかと母を問い詰めると、平然と『だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるから』と」。ひとかけら、純なもの……それだけで四十数年間、帰りを待ち続けることなんて、普通の人にはまずできないが、この世を知り尽くした上で自分を貫ける人ならきっとできる。結婚1年目、ロンドンから妻に迷惑をかけていることを詫び、夢と現実のジレンマに悩んでいることを明かす夫の手紙の結びに「メシ・コノヤロー・テメー!でも本当に心から愛しています」と書かれていたことも同時に明かされたが、言ってみればこの一文を“魂のお守り”にして、心穏やかに帰りを待つ、静かで壮絶な人生を送っていたのだ。つまり魂の安定さえ確保できれば、人間は愛する人に対しそこまで寛容になれるのだということを、この人が証明してくれたのだ。ああ、こういう生き方もあるのだと、しみじみし、同時に何か勇気を与えてもらった気がした。愛情が人をここまで強くするのだと見せつけられたから。いや、「愛は人を強くする」とはよく言うけれど、ここまでリアルに強烈にそれを証明してくれた人はいない。そして、一筋に一人を思い続ける時のルールは、やっぱり相手をリスペクトすること、基本、何も求めないこと、当然のことながら迷惑をかけないこと……。逆を言うなら、本気でリスペクトできる相手でなければ一途に思ってはいけないということにもなるし、迷惑をかけないだけの良識ある人でなければ、人を一途に思ってはいけないということにもなる。もっと言えば、心の安定した、人のせいにしない人格者でなければ、“一途な恋”の資格はないということになる訳で……。

 とすれば、一筋に一人を思い続けられる人こそ素晴らしいという方程式も成り立ち、何だかそんな人生を目指してみるのもよいかと思ったりもする。もちろん、愛しても愛しても報われない立場に甘んじることは辛いけれど、でも嫌われていないなら、ちゃんと好かれているなら、求めない愛は、まるで未亡人が夫を思い続けるように、とことん穏やかな心をくれる。求めず一筋に愛していくことは、実はとても揺るぎない人生の支えにもなるということを教えられた。

 知り合いにこんな人がいる。以前すごく好きになった人がいて、別れてから10年以上経つのに、今もその男性をずっと好きであり続けるという人が。ありえない! もったいない! 人生無駄になるじゃないと、散々罵ったことがあったけど、でも何だか昔より幸せなの、という彼女の言葉に、何も言えなくなった。ただ心にその人へのリスペクトがずっと生きているのなら、それこそ人生の支えとしてはあり得るのかもしれないと思ってみた。恋愛が全てでなければ、結婚がマストでなければ、そういう生き方はむしろ美しいのかもと思ったりしたのだ。

 ましてや恋愛に興味がない、自分しか愛さない、新たな出会いが面倒……そういうふうに、男を全面否定する生き方よりも、報われなくても一人を愛するという、ネガティブとポジティブが半々の生き方の方が心地よいし、その方が女を美しく見せる。心に愛があるかないか、それは人の気配にもちゃんと現れるから。言葉にも重さが生まれる気がするから。

  その証拠に、樹木希林さんはいろんな名言を残した人だけれども、もし人を拒否して生きていたら、そうした名言も名言に聞こえなかったかもしれない。

 「みんなね、離婚してね、次にいい人と出会ってるつもりでいるけど、似たようなもんなのね。ただ辛抱が効くようになっただけで」「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」「嫌な話になったとしても、顔だけは笑うようにしているのよ。井戸のポンプでも、動かしていれば、そのうち水が出てくるでしょう」

 一人の人をひたむきに愛したからこそ言葉に重みが生まれ、年齢を重ねても、メイクなんか全くしなくても、どこかで艶っぽい人だなと思うことができる。女とはそういう生き物。やっぱり誰かをまっすぐ愛していたい。たとえ報われなくても、一人をとことん丁寧に愛する人生は、自ずと魂がしゃんとしてくるから。

Image title

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳