連載 齋藤薫の美容自身stage2

「あの人、変わっちゃったね」と言われることの天国と地獄

公開日:2022.02.09

「あの人、変わっちゃったね」と言われることの天国と地獄

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「“あの人、変わっちゃったね”と言われることの天国と地獄」。毎月第2水曜日更新。

「あの人、変わっちゃったね」と言われることの天国と地獄

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「“あの人、変わっちゃったね”と言われることの天国と地獄」。毎月第2水曜日更新。

興味本位では決して見られない。哀しいほど、顔が激変した人

ネットで「見た目が激変したハリウッドセレブたち」を検索すると、大量の情報が現れる。世間はなぜこんなに“人の変化”に強い関心を寄せてしまうのだろう。自分も含めての話だけれど。

もちろん多くは興味本位。今はそういうコンテンツの大半が、美容整形による顔印象の変化をまとめているわけで、単純にゴシップを見るような物見高さからに他ならないが、実はその背景に、人間の本性や人生の悲哀、葛藤までが写し出されるからこそ、もっとも好奇心を刺激するものとなるのだ。変わってしまった顔の向こうに、誰もが秘めている欲やサガが露骨に見えてしまうから。ある意味の“恐いもの見たさ”かもしれないが。

それを象徴するのが、今さらだけれど、マイケル・ジャクソンの変貌。20歳前、ソロデビューを果たし天才として世界の注目を集めた頃のマイケルは、紛れもなく絶世の美少年だった。24歳『スリラー』の頃は、少し“変化”が始まっていたものの、最高に美しかったと思う。なぜここで止めておかなかったのだろう。29歳『BAD』のヒットの頃から、次第に変貌がエスカレートしていき、40歳では肌真っ白、別人と化し、その後は奇行も目立ち、50歳で死去している。

不世出の天才が見せた激変は正視できないほど切ないが、でももし彼があと10年遅く生まれていたら、こんな哀しい変化は望まなかったはず。少なくとも今、10年前には想像できないほど社会が多様化、彼が自分のアイデンティティーに関して、深く悩むことはなかっただろうし、もっと普通に生きていたはず。異常とも言える喝采を浴びただけに、同じ量の苦悩を覚え、屈折した変化を見せざるを得なかったのは残念でならない。

だから逆に、彼のこの変貌は興味本位では見られないのだ。自分のイメージと違う人生を生きた苦しみが、劇的な変貌にそっくり見えてくるから。

一方、容姿に不満はないはずなのに、単に若さにすがりたいがために、プチ整形のやり過ぎですっかり変貌してしまったセレブも少なくない。たとえばそういう時、申し訳ないほど必ず名前が挙がってしまうのが、メグ・ライアンだったりするわけだが、この人の場合も、やっぱり興味本位では見られなくなった。

ラブコメの女王として一世を風靡、あんなに可愛らしかった人が、まったく得をしないことは火を見るより明らかなのに、なぜこういう変わり方をしてしまうんだろうと、疑問を持ったからなのだ。しかも、世のバッシングを受けて元の顔に戻る人は戻るのに、なぜこの人はますますエスカレートしていくのか。そこに何があるのだろうと引っかかったのだ。

人気のピーク30歳で、デニス・クエイドと結婚、でも10年後に自身の不倫が元で離婚(実は夫のほうも不倫していた)、イメージダウンにより一時期干された形になり、逆にシリアスな役でイメージチェンジを図ったものの失敗。その後、長らく低迷を余儀なくされる。顔がどんどん変わっていったのはこの時期にあたるのだ。約10年のブランクがあってアーティストの恋人ができるが、相手はバツ3、不安定な交際を続け、婚約するもすぐ解消、話題になるのはもっぱら“変わってしまった顔”についてばかりだった。

こうした経緯を見るにつけ思うのは、輝かしいキャリアを過去のものにすまいと、ラブコメ向きのキュート系の顔立ちから、美人系の顔立ちへとシフトしようという焦燥感があったのか。あるいはまた、プライベートにつまずいたことで、幸せの枯渇から、自分を変えたいと思ったのか。どちらにしてもやっぱり辛い。

どちらにせよ人が変貌する時、そこには必ず人生に関わるドラマがある。だから、見る者に強烈な印象を与えるのである。

実は誰にもある「顔細胞」が他人の顔変化を決して見逃さない

「あの人、変わっちゃったね」……一般社会でも極めてよく交わされる会話だ。変貌を遂げる人に対して、世の中はとても敏感。人が変わっていくことに無関心ではいられない。しかも一般社会では興味本位では終わらず、相手に対する評価を変え、感情まで塗り替えるからより厄介なのだ。

たとえば、一気に老けてしまった人に対しては「幸せではないのではないか?」と身の上を案じるのだろうし、ひどくやつれてしまった人には「一体何があったのだろう」と、詮索まじりに思いを馳せる。でも何かあったの? と直接は聞かない。聞かずに遠巻きにしてしまう。さらに露骨に顔立ちが変わってしまった人には、急に距離感をとり、明らかに好感度を下げてしまうのだろう。どちらにせよ、そこには多少の失望が混じるのだ。言い換えれば、印象が変わってしまった人のまわりには、必ずある種の壁ができ、他者を遠ざける。同窓会でも変貌した人のまわりに人が集まることはないはず。だから人は顔が変わってはいけないのである。対人関係で紛れもなく損をするから。

逆に“プラスの変化を遂げた人”には、もちろんそれだけで人を惹きつける引力のオーラが生まれる。それも「あの人、見違えちゃったね」と噂されるのは、顔だけでない、体からも生命力が溢れ出て、内側から若さ、美しさが弾け出ることに他ならないから。外見の変化だけでは生まれない力強い美しさが目に見えるから。時間を逆行するのは、紛れもなく人としての進化。ただならぬエネルギーを見た目にも感じさせ、生命感が輝くからなのだ。

逆に言うなら“プラスの変化”によるオーラは、その人が輝いている時以外には生まれない。プチ整形で、たとえ顔立ちが整っても、シワやたるみが消えても、そこに生命感の輝きがない限りオーラは生まれないのだ。いかに顔を整えても、光のない変化は人の心を動かさない。むしろ“マイナスの変化”に属して、かえって損をするほど。他者の目は生命力の有無を執拗に見分けるのである。

いやそれどころか、“見た目が全然変わらない人”にも、私たちは生命力の輝きを見ている。時間の経過を感じさせないこと自体が生命力。果実や花が生き生きしているのと同じ、新鮮さが見た目に透明な光を生むことになるのだ。だから“顔も印象も変わらない”だけで、充分人を魅了することができるのである。

でも、不思議に思わないだろうか。人はなぜ他人の顔の小さな変化も見逃さないのか? 実は、私たちの脳には、まさに人の顔だけを専門に記憶する「顔細胞」という神経細胞が存在し、AIの顔認識のように人々の顔を見分けている。人間の顔に対する記憶力は別格のものがあるのだ。だから、生命感も輝きも透明感も、すべてひっくるめ、些細な変化も見逃さない。逆に、本人が気づかぬ変化まで他人が気づくほど。

一般的に、人の顔立ち印象の個性を決定するのは顔の下半分、口元とされるのに、マスクをしていても誰だかわかってしまうのは、「顔細胞」が最初に覚えるのは目元だからとか。赤ちゃんが母親の顔をすぐ覚え、他人と見分けられるのもそれがため。人混みの中でも知人を見つけ、人の表情のわずかな変化も見逃さない、それは私たちが壮大かつ濃密な対人関係の中で上手に生きていくための重要な能力なのだ。

言い換えれば、それは他者の目は欺けないことを意味する。顔が変わるのは、その人の内面にも変化があった証。他者がそれを顔だけで判断するために、顔細胞があるのだから。それだけにマイナスの変化は、必ず人を遠ざけること、肝に銘じて「あの人変わっちゃったね」と言われないこと。逆に「あの人見違えたね」「あの人変わらないね」そう言わせる一番価値あるものは、生命力とその輝きなのだということも心に留めおきたい。

マスクを外す日が来るまでに、必ず間に合わせたいのは、生命力の輝きなのである。

人の脳には「顔細胞」が存在し、他者の顔を詳細に見分けている。それは、他者の目は欺けないことを意味するのだ。だから「あの人変わっちゃったね」と言われないこと! マイナスの変化は、必ず人を遠ざけ、人生で損をするから。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

Edited by 中田 優子

公開日:2022.02.09

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