齋藤薫の美容自身stage2

「この女にはかなわない」と思わせるのは、一体誰なのか?

2020.10.14

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは“「この女にはかなわない」と思わせるのは、一体誰なのか?”。毎月第2水曜日更新。

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは“「この女にはかなわない」と思わせるのは、一体誰なのか?”。毎月第2水曜日更新。

嫉妬にも似た不可解な憧れ それが高じた、かなわなさ!

例えばの話として、メーガン妃の記事が未だに日々ネットを騒がせることに、違和感を感じながらも追いかけてしまう人は少なくないはず。この人は今、何をしてもニュースになる。悪いことも良いことも。もちろん悪い方が8割を超えるが、良い内容も時々見かけることに、マスコミによる良心の呵責が見え隠れ。読者もそれを見ることで、知らず知らずバランスをとっているのだろう。

このメーガン妃報道、世間一般の噂話の構造に見事に当てはまる。それは職場において、目立つ存在だった隣の部署の社員が、ちょっと身勝手に会社を辞めていった後の動向を、みんなであれこれ詮索するようなこと。どこかの家の嫁が非常識な行動をするのを、姑世代がこき下ろすようなこと。正直、自分たちはとくに実害を被っていないが、ある種の正義感と好奇心で、黙ってはいられないというスタンスでの、悪口含みの噂話にそれはとてもよく似ているのだ。

そこには好き嫌いじゃなく、自分たち自身も気づいていない、嫉妬にも似た逆説的な憧れがある。派手に会社を辞めていった人間への不可解な憧れ、また嫁の立場や若さに対するかすかな嫉妬。だから、直接関わりはないのに無視できない。あれこれ言いたくなる。一般的には人の噂も七十五日。今どきのネット上の噂は75時間しか持たないが、そこに嫉妬や憧れがあれば、もっとしつこく何らかの結末を見たいという思いに駆られる訳で。

ましてやシンデレラになれた上にやりたい放題のメーガン妃の場合、彼女が騒動を起こさなくなるまで、あるいは大成功を修めてしまうまで、遠い日本でも噂話は続くのだろう。なぜなら彼女には嫉妬にも似た不可解な憧れが高じて、“あの女にはかなわない”という、ある種の屈服感が生まれているから。だって考えてみてほしい。壮絶な歴史を考えても百戦錬磨の最強ロイヤル、英国王室に盾突ける、ただならない女である。世界規模のバッシングにもめげない女である。それどころか次の成功を狙ってる。一番敵に回したくないタイプ、だからこそ、この女にはかなわないのである。

ちなみに、同じように英国王室の一大スキャンダルとなったアンドルー王子の元妻、セーラ妃も王子の留守中に複数の男性と不倫、破廉恥行動も目立って離婚、その後NYに渡って事業を起こすも、離婚したアンドルー王子に会わせてあげると多額の紹介料を要求していたのが明らかになるなど、やりたい放題。ただメーガン妃のような注目は浴びなかった。悪女には違いないが、女としての才能はメーガン妃の方がはるかに上。そう、メーガン妃は悪女かどうかの判断がまだつかないからこそ、注目を長引かせるのだろう。それも含めて魅力のパラドックス。

本人、女優復帰よりも狙いはキャスターか政治家、はたまた大統領まで視野に入れているといわれる。いやトランプが大統領の国だから、さもありなん。野心家はおよそめげずにガシガシ前に進むから、彼女が何者であるかの結論は、挫折するか大統領になるか、それまでわからない。彼女に対する興味と“かなわない感”は、そこまでずっと続くのだろう。いずれにせよそれが、かなわないと思わせる女のエネルギーなのである。

一生懸命かつ諦めない人に かなうわけがないという道理

一方、私たちは今、韓国に対してある種の“かなわない感”を持っている。言うまでもなく政治的には敵対し、エンターテイメントでは極めて近しく仲よしといった具合。ただどちらにおいても、かなわない感がある。政治的には約束もひっくり返すような大胆不敵さで。またエンタメでは、隙のない完成度で日本を圧倒してくるのだ。ともかくポップス界でもドラマや映画界でも、アジアにおける一人勝ち、美容の世界ですら韓国ビューティに憧れる日本女性は増える一方だ。

ただ、理由は明快。彼らは常に一生懸命! 絶対に諦めない。才能もさることながら努力は100%、妥協はゼロ。何でも完璧に仕上げてくるから、誰も、どの国も、かなわない。さらに言うなら、それぞれの分野で目的に対してまったくブレずにストレートに答えを出す国民性も強み。つまり女はセクシーで美しく、男は逞しくも美しく、映画はどんなジャンルであれ速いテンポで面白く、K-POPはアイドルの立場に甘んじず踊りも歌もめちゃくちゃ上手い……当たり前のことだが、その当たり前を見事にクリアしてくるのが、かなわない要因なのだ。

非常にわかりやすいのは、女子ゴルフの世界で、かつては筋肉モリモリ、重心の低い選手が世界で勝つための徹底した布陣を組んでいたのに、イ・ボミなる美人ゴルファーが日本で人気になるや否や、必要以上に美人でセクシーな選手がゾロゾロ輩出されてきて、この国には本当にかなわないと思ったもの。四の五の言わず、満点評価されるため、世の中のニーズに対し露骨なまでに忠実に応えてくる国なのだ。日本人が見習わなければいけないのはこの、需要に対してストレートな供給、何より、一生懸命を恥ずかしいと思わないこと。これなのだ。

とはいえ、“韓国にはかなわない”、“韓国の女の子にはかなわない”という日本人のメンタリティ自体も、一方で評価されるべきものである。嫌韓も一部にあるのは確かだが、何かと比較されがちな関係にありながら、多くの日本人が敵対心をむき出しにせず、ちゃんと評価して拍手を送れる。韓流ドラマにハマり、K-POPの追っかけができる、そういう日本人を我ながら愛おしいと思うのだ。隣人を愛しなさい、自分を愛するように愛しなさい、という神の教えが、誰に教えられずともできているってことだから。

そして一方、今の日本において“誰もかなわない女”といえば、やはり田中みな実という人なのだろう。この人のすごさは、ニーズに対してストレートに答えを出しながら、そこに知的なひねりを加えること。“女はセクシーに美しく”を非常にわかりやすく形にする韓国女性が日本で受けるのは、日本女性ではないから。日本人が直球でセクシー美人をアピールすると、逆に野暮に見える。でもこの人はそれを十分わかっていながら、逆に“知的で上品じゃなければいけない女子アナ枠”にいる自分だからこそ、それを直球でやる価値があるとの判断から、あえてストレートに応えてくる。言葉は悪いが裏の裏をかく知性、あっぱれではないか。ましてや、“女子アナはあざとい”というイメージを逆手にとって、あざとさを隠さない。計算高さって、隠そうとするからイラッとさせることをよく知っていて、図太いくらいのあざとさを見せて大拍手を浴びたのだ。もちろん女優としての演技も含め、本当に計算があったらできない“やり過ぎ”もやれてしまう、肝の座りや破天荒さも日本女子の憧れを一身に集めるわけだが、普通そういう何でもやっちゃうタイプは、抑制もきかず、やり過ぎを出しっ放しにすることも多いのに、この人には閉める蛇口もある。極めて常識的な落ち着いた大人の女性である軸も持っているのだ。従っていろんな側面と深い奥行きを持つのに、そのスケール感を前面に出さないところがまた賢い。私たちはその説明のつかない、よく見えないスケールの大きさに知らず知らず圧倒されているのである。

少なくとも同じ男を取り合いたくないタイプ。もちろんそういう女性は基本的に女に嫌われるが、それも重々わかっていて、その壁を自ら乗り越えてきたからこそ、今がある。そういうことも含めてすべてがお見通し、全部読んでいる、その恐るべき知性にこそ、かなわなさを感じているのかもしれないのだ。

つまりこれは、強い女に憧れ、大人カワイイ女子が好きというような単純な話ではない。ある意味とても複雑な、まさに知性が編み出している魅力の罠に私たちもまんまと捕まったわけだ。ただこの人の魅力をこんな風に評価できるようになったのは、やはり日本女性の進化なのだろう。何より“こんなに美しく能力も知性もある上に、女を上手に生きている女”を妬まない、それどころか、かなわないと負けを認めることができる、それ自体、とてつもなく素敵なことなのである。

齋藤薫の美容自身 STAGE2/“美しくて能力も知性もある上に、女を上手に生きている女”を妬まない、それどころか、かなわないと負けを認めることができる、それ自体、とてつもなく素敵なことである

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

Edited by 中田 優子