1. 【齋藤薫の美容自身】幸せになる具体的な方法が、ひとつはっきり見えてきた

斎藤薫の美容自身2

2019.06.12

【齋藤薫の美容自身】幸せになる具体的な方法が、ひとつはっきり見えてきた

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは 「幸せになる具体的な方法がひとつはっきり見えてきた」。毎月第2水曜日更新。

【齋藤薫の美容自身】幸せになる具体的な方法が、ひとつはっきり見えてきた

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幸せは実体がないからこそ、幸せになるのは難しい

 「幸福は夢にすぎず、苦痛こそが現実だ」そんな格言がある。確かに痛みは心の痛みにしろ、体の痛みにしろ、非常に明快なもの。でも幸福は非常に曖昧だ。夢なのだと言われれば夢のような気がしてしまう。そう、こんな言葉もあるのだ。「幸福には翼がある」。

 今この一瞬がとても幸せだと感じても、次の瞬間、一本の電話で急に不幸感が襲ってくるかもしれない。まさに、幸福は一瞬の夢であり、飛び去るのだと日常生活の中で思い知らされる。ましてや、今の幸せは、自分にとって以前よりも幸せという意味であり、だから今とても幸せなら、この先それ以上に幸せかどうかわからない。結局幸せは比較でしかないのだ。実体がないのである。

 だから究極は、これ。「幸福の話をこれほどまでに聞かされていなかったら、人間はもっと幸福だっただろう」。幸せとはかくも危うく不確定なものなのだとすれば、幸せになりたいと思うこと自体が不毛なのだろうか?

 いや、でも一方に、「人間は幸せになるために生まれてきたのだ」という言い方もある。とりわけ女はそう。まさに幸せになるために生きている。美しくなりたいのも、誠実な人と結婚をしたいのも、ある意味の成功をしたいのも、要は幸せになりたいからである。

 日頃そういう自覚はないのかもしれないけれど、メイクもファッションも、女は間接的にでも幸せにつなげていきたいと思っている。だからこそ、幸せの定義は何より何より大切なのだ。幸せをどう定義するかで人の人生は変わってくる。そして不幸な時間よりも幸せな時間のほうが少しでも長くないと、女はやっぱり悲しいから……。人間は、自分が幸せであることを知らないから、不幸なのだ、そんな格言もあるのだから……。

幸せな国から教わった幸せ。日々、ヒュッゲを探すこと

 最近、ある言葉がとても気に入っている。それが「ヒュッゲ」。いつもその提案が心を整えてくれるコスメキッチンが、毎年掲げるマインドの年間テーマが昨期の「キリゲリ」(いつも微笑みを絶やさないと幸せがやってくる)に続いて、今期は「ヒュッゲ」だったのだ。何かこの言葉には、不思議な力が宿っていて、最初に聞いた瞬間、体の中にスルリと入ってきて頭から離れなくなったもの。

 それは日常の何気ない時間を大切にすること。物質的な贅沢より心の充実を大切にすること。心地よいくつろぎの時間や空間を大切にすること。デンマーク語だが、これを一言で表現できる日本語訳はないといわれる。「ほっこり」とか「癒やし」とか、そういう言葉を連想することもできるが、それとも少し意味が違う。どんなことに人生の価値を見いだすかという、生き方全体に関わってくる概念だから。幸せの定義そのものを自分の中で塗り替え、頭ごと切り替えないと、ヒュッゲの意味は本当には理解できないのかもしれない。

 いずれにせよ、極めて日常的な何気ないひとコマに、心から幸せを感じられることがヒュッゲ。この言葉を生んだデンマークは世界幸福度ランキングでも常にトップクラス。フィンランドやスウェーデン、ノルウェーなど、北欧の国々には皆同じような考え方があり、いずれも幸福度ランキングで上位に挙がっている。つまり、ヒュッゲこそが誰もが同じように幸せを感じることができる唯一のテクニックと言えるのかもしれない。

 ふと、かつて読んだインタビュー記事を思い出した。以前から憧れていた石田ゆり子さんのロングインタビュー。植物に水をあげたり、今日はお天気がいいと思ったり、そういう瞬間にこそ幸せを感じると語っていた。ヒュッゲという概念が日本に伝わるずっと前のことである。ましてや時代は、バブルこそ弾けていたものの、いろんなものを貪欲に求めていくようなガツガツした時代だった。そんな中でその美しい人が、植物に水をあげることに幸せを感じるといったニュアンスの話をされたのが、大変ショックだったのだ。

 当時、自分自身も、幸せとは何なのか、そのありかを求めて何か悶々としていた。ただ正直、そこまで平板な日常を幸せと思えるほど、心が成熟していなかった。だからこそ余計に石田ゆり子さんという人の精神性に衝撃を受けたのだ。何という、穏やかで清らかな感性なのだろうと。

 奇しくもその後、この人は40歳を過ぎてから大ブレイクする。年齢のことを言うのはもはや時代錯誤な気もするけれど、その年齢でああした人気を得る人はまずいない。だから石田ゆり子人気のなぜ?という記事を何度も見かけたもの。もちろんこの人ほど今も昔も透明度の高い人はちょっといない。それこそとっても不思議なくらいの透明感。それがどこから来ているのか、明快な答えはなかなか出せなかった。

 でも今さらのように気づいたのが、そういうヒュッゲのような価値観を持っていること、それ自体から湧き上がる透明感でもあるのではないか?と。もちろん誰だって、家でのんびりしていれば、ほっこりするし、少なからず癒やされる。でもそういうことではないのだ。たまたま疲れていたから、たまたま家で過ごし、たまたまゆるりとするのではない。家で過ごす何でもない時間で心をいっぱいに満たすのは、そのための環境づくりにも手を抜かず、日々をとりわけ丁寧に生きていることの証。もっと言えば、そういう時間を持てることに、感謝の気持ちが自然についてくる。つまり多くを望まないことがヒュッゲではない。もう価値観が根本から違う。そういう境地まで達したから、存在に透明感が宿るのだろう。

 なぜそもそも北欧で、ヒュッゲという精神が生まれたか? それは、一年の半分以上は極寒と言ってもいい、過酷な環境で生きている人々。人間と気候の抜き差しならない関係を考えれば、日々の暮らしから心を晴れやかに明るくする工夫がなければ、気が滅入ってしまうのだろう。北欧の家具がナチュラルで温かみがあり、食器や小物がカラフルだったりするのも、そのためなのだろう。そう考えることが、幸せを自ら生み出すたったひとつの方法と考えたのかもしれない。

 幸せは、待っていてもやってこないという言葉もあるし、翼が生えているという言葉もあるならば、確実に自分で生み出し、確実に幸せと共に生きていくという覚悟がなければ、やっぱり人はずっと幸せではいられないのだ。

 それこそ毎日自分でヒュッゲを探し出したり、生み出したりしなければならないのだ。例えば、庭に花が咲いたこと、それを家族に伝えてみんなで眺めることがヒュッゲ。今日は開けたワインが本当においしいこと、それをみんなでおいしいおいしいと言って飲むことがヒュッゲ。もっと言うなら、ブランド物の紙袋が捨てられなくて、どんどんどんどん溜まっていって、クローゼットの半分以上を占めるようになってしまったときに、それを思い切って処分することがヒュッゲ。そしてそれこそ、部屋の植物に水をやること、お天気がいいこと、それを嬉しく思うことがヒュッゲ。

 本当に些細なこと、でもそこに見つけたささやかな幸せが、いかにかけがえのないものなのかということも、きっとすぐわかるはずなのだ。

 豊かな時代であろうがなかろうが、そこは変わらない。ヒュッゲの精神で日々を大切に生きたら、もう幸せかどうかなど考えなくなるのかもしれない。それは幸せが当たり前になったとき。そういうとき、本当に心が穏やかで清らかで澄みきっているのだろう。誰にでも営める日常の小さな幸せを嫉妬する人もいない、自分が誰かの生活に嫉妬することもない、それがヒュッゲなのである。

格言


撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳