1. 【齋藤薫の美容自身】悪口を言わない女は信用できない?

2019.09.11

【齋藤薫の美容自身】悪口を言わない女は信用できない?

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは 「悪口を言わない女は信用できない?」 について。毎月第2水曜日更新。

【齋藤薫の美容自身】悪口を言わない女は信用できない?

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悪口に反論するなとは言わない。でも、それ、難しすぎる

「あなたは人の悪口を言いますか?」と聞いたアンケート。結果は、見事にイエスとノーがちょうど半々。いや、厳密に言えば、ノーと答えた50%の人も「悪口はあまり言わない」か「ほとんど言わない」。つまり100%言わないという人は、ほぼ皆無であるということ。これが悪口というものの特性なのかもしれない。そして、それでいいと思う。

 以前『マツコ&有吉』が、「悪口を言わない人は信用できない」と指摘、物議をかもしたことがある。いや、概ね共感を得たことがニュースになったというほうが正しいのだろう。頑なに悪口を言わない人とは、コミュニケーションが取りにくい。カマトトぶっていて、逆に信用できない……というものだったが、これも一理あるのかもしれないと、納得させられたのは確か。

 こういうことなのだと思う。人の悪口を振られた時、「そうかな。私はそうは思わない」ときっぱり言うとカドが立つ。「でもそれ、見方次第じゃない? 彼女いいところもある人なのに」と言えば、相手が傷つく。「私、人の悪口言えるような立場じゃないから」と言えば、相手をムッとさせるのだろう。いずれにせよ何なのこの人!となってしまう。悪口への反論ほど難しいものはないのだ。“ちゃんと的を射てる悪口”なら、いっそ同調するほうが無難なほどに。

 少なくとも自分が日頃より、快く思っていない人物の悪口を振られた時、胸がスッとするのは人として当然のこと。そこでなお、頑なに同調しないのは、むしろ不自然、何かの保身に見えてしまう。あなたはどれだけご立派なの、という気配を醸し出してしまうから。

 ただ悪口の主導権を握るのは、当然のことながらやっぱり避けるべき。TV的悪口の天才たちは「人の口は悪口を言うためにある」とまで言い放ったが、一般人がそれを真に受けて悪口を言いまくれば、それこそ信用ならない人になる。100%損をする。彼らはあくまで「自分たちは、悪口をお金に変えた人たち」と自認していて、実際ここまで面白おかしく洒落た悪口を言えるウィットがあればこそ、確かに悪口も人間をぞんざいに見せないし、知性に溢れた悪口は、人間を高級に見せもする。でもそうでないなら調子に乗ってはいけない。自分から悪口を人に振らない努力は必要。そうでなくても、ひとたび口をついたら撤回はできず、あの人があなたの悪口を言っていた、と告げ口をされ、貶められても仕方がないのが、一般社会の悪口というものなのだから。

 じゃあ、極めて一方的で悪意に満ちた、同調できない悪口の場合はどうだろう。これはもう、ひたすら受け流す。つまり同調ではなく相槌でもなく、「え、そうなの?」「そうなんだ」と、単なる聞き手として距離を置きつつ、その場をやり過ごすのだ。カドを立てずに抵抗はできるということも覚えておきたい。

 またそれが3人以上の会話だった時は、反論もしないが同調もしない、いないふりをすることはできるはず。それは、“自分だけいい子になること”ではない。悪口はある意味お付き合い。自分が付き合わなくても、他に付き合う人がいるならば、積極的に付き合うことはない、悪口とはその程度のものだということ。

 そこで一人だけ、悪口に反論すれば、あなたがいないところで会話が“あなたの悪口”に変わるのは目に見えている。所謂、悪口はその場で覆すことなどできない。引っ込みがつかないのが悪口。否定すれば、悪口を言った人たちは猛然と自己弁護に走るだろう。だから反論した人間を悪者にするしかないのだ。「彼女は立派、人格者!」なんて誰かが褒めてくれる訳がないのである。

 もちろん反論していけないとは言わない。しかし悪口を撤回させるのには、とてつもない手間と時間がかかる。それが明らかに免罪でも、それこそ有罪を無罪に変えるくらいの証拠と説得と根気が必要だということ。悪口は落とし穴だらけだからこそ、怖いのである。 

「彼女は、悪口を言わない人」人間そう思われたい。でも……

 一方で、体質的に悪口が合わない人もいる。悪口を言うこと自体にストレスを感じ、悪口が語られている場所にいるだけで、ひどく消耗したり、自分に腹が立ち不愉快になったり。そういう性分の人は確実にいる。じゃあどうすべきか。悪口を自ら言う人とは極力付き合わない、近づかない、これしか方法はないのだ。同じ体質、同じ性分の人はちゃんと探せばたくさんいる。悪口を言わない人とのコミュニティーをつくればよいのである。

 でも逆に、悪口がストレスのはけ口となる人もいる。悪口を言えば言うほど楽になっていく人もいるのである。これもまた体質。当然のことながら、悪口好きは悪口好きを引き寄せる、そして悪口をエスカレートさせ、気がつけば会話のほとんどが悪口というコミュニティーをつくることになるのだろう。同じ悪口を共有することは、友情と勘違いしやすいから、結構絆は深くなる。そうやって、価値観が同じ者同士、時間を共にすれば、みんな平和でいられるということ。

 じゃあネットでの悪口はどうだろう。これは匿名であろうとなかろうと、一人呟く悪口を公開するなんて、憂さ晴らしか自己顕示欲を満たす自己表現に他ならないのだから、いかなる悪口も“自分の作品”として発表すべき。つまり、ほとんど誰の共感も得られない、意地悪なだけの悪口は作品として恥ずかしい。誰もが拍手し共感するような、あるいは笑いを取れるような機知に富んだ見事な悪口が吐けた場合だけ、達成感を覚えていいが、そうでないなら恥じるべき。そういうものなのではないか。

 いやまず書いてみるといい。書いて一晩寝かせる。もし怒りがあるなら、書いただけでも怒りの半分は収まるはず。でも単なる悪意だけの言葉なら、読み返すほど自分が傷む。自分はこういう罵詈雑言で人を傷つけることができる人間なんだと、一拍置いて客観的に自分に見せるべき。それでも人に見せたいなら見せればいい。永遠に残るあなたの作品として。

 ただし、後でブーメランのように自分に戻ってこないのは、正義感から出た言葉だけ。悪口は悪口だ。ネット上であれ、会話の中であれ、正義感から出る批判と、単なる悪口はまったく別物。人の不幸を願う悪口は、結局のところ自分に返ってくる。それだけは肝に銘じておくこと。「彼女は、悪口を言わない人」……何だかんだと言っても、やっぱり一般社会では、そう言われる人になるべきだ。とはいえそこも簡単ではなく、そう言われるのは自分から「私は人の悪口は言わないタイプ」なんて言わないタイプ。悪口に頑なに同調しない人も、不思議に評価されない。悪口を言わない自分を、善人として殊更に印象づける人はやっぱり信用がならないのだ。そこがまた、悪口の難しいところなのである。

 時には同調するけれど、キホン聞き手になるだけ。いろんな意見があることを認めて、積極的に悪口は言わない。そういう人が正しい。どちらにせよ、人として今どうすべきか、悪口に対してはその場その場で対処を変える、そこにきめ細かいセンスが必要になってくるのは言うまでもない。もちろん知性も。悪口はそれくらい難しい。恐ろしく難しいのだ。

 そうした悪口の難しさを、わかっている人こそが、実は一番好かれる人、そう考えてもいい。悪口をどう扱う人間なのか、それがその人の人間性をつくっていると言ってもいい。つまり悪口の量が、その人の印象を決めている。悪口の質がその人の質を決めている。いや大げさではなく、そうなのだ。悪口なんて、軽口に過ぎないのに、人の評価において、そこまで重要なファクターになってしまうこと、絶対に忘れずにいたい。

VOCE

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳