1. 【齋藤薫の美容自身stage2】男運の悪い女、女運の悪い女

斎藤薫の美容自身2

2019.10.09

【齋藤薫の美容自身stage2】男運の悪い女、女運の悪い女

人気連載「齋藤薫の美容自身 stage2」。今月のテーマは「男運の悪い女、女運の悪い女」について。毎月第2水曜日更新。

【齋藤薫の美容自身stage2】男運の悪い女、女運の悪い女

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キャリアのある知的な女ほど、男運の悪さを自覚している

 「私は、男運の悪い女……」そう言いながら、ダメ男とばかり付き合ってしまう人がいる。そういう運命なのだから仕方がないのよ、と言い訳しながら。じゃあそれ、果たして本当に運なのか?

 はっきり言って“男運”は運とは別もの。自ら好んでそういう男を選んでしまう“性分”を“運”という、どうにも避けられないもののせいにしてしまいたいだけ。ただ確かに、NG男と関わったら人生を歪ませてしまうことが充分わかっていながら、自らハマっていってしまうそのジレンマは、やはり運の悪さと思うしかないのかもしれない。どちらにせよ、男運の悪さとは、ズバリ“男を見る目がない”こと。いやそれ自体も本人はわかっているのだ。

 そもそも“男を見る目”と“人を見る目”は違う。“男を見る目”には、女としての本能的な習性が加わってきてしまうから、理性とは別のところで男を見ている。その結果、どういうわけか、キャリアのある知的な女性ほど、“男を見る目”だけ持たなかったりするのだ。

 そう、女はなまじ自分に生活力や独立心があったりすると、うっかりダメな男を支えてしまうという習性があるからこそ、男運が悪い女には知性派が多くなる。ちなみに、マライア・キャリー的な歌姫や、パリス・ヒルトン的なリッチセレブの場合は、財産とステータスがあるからこその男運の悪さ。20世紀、絶世の美女と謳われたエリザベス・テイラーが8回も結婚離婚をくり返し、史上もっとも男運が悪い女とも言われたのは、美しすぎたが故、ちやほやされすぎたが故に、判断力が極端に鈍った結果だった。恵まれているが故の男運の悪さってあるわけだが、恵まれている女だけに少しも痛まない。

 男運の悪い女は、それなりの自覚があり、ある種の覚悟もできているのだ。男選びで失敗した経験があるのに、何度も同じタイプを好きになる学習のなさが、男運の悪い女の一つの共通点ではあるものの、どこかでわかってやっている。とはいえ、男の好みと男運は、やはり直結して、一見ダメンズを渡り歩いていても、幸せな女はいくらでもいる。

 そういう意味で絶対に避けるべきタイプは、自分しか愛せない男。チャラくても弱弱でもいい。自分しか愛せない男だけはダメ。男運とは愛情のない男と生きてしまうか否かの運に他ならないのだ。それだけなら自ら避けることはできるはず。逆を言えば、愛ある男に巡り合うまで、二度三度失敗したとしても、それは男運の悪さにはならない。愛ある男の価値に気づかず、失敗をくり返す習性が最悪だというのである。

 一方の、女運の悪さ。これはむしろ不可抗力。学生時代はともかく、社会人になってからは自分の周囲を取り巻く女を選べない。その時、本来関わってはいけないタイプの女と関わってしまうのは、やはり女運の悪さだろう。その時加害者側となる、傲慢だったり非常識だったりする厄介な女は、心が弱っている女性に対して、当たりが強くなったり、意識的に深く関わってきたりする。弱っている時に人間関係で痛め付けられるのはもう災難でしかなく、まさしく運の悪さ。

 もちろん女同士の人間関係は、喧嘩両成敗的にお互い様のケースも少なくないはずだし、逆に言えば、周囲に迷惑をかけまくっているような“元凶の女”が自分の方こそ被害者であるかのように思い込み、「私は女運が悪い女」と思ってしまうケースも少なくないはずだ。つまり、被害者がいつの間にか加害者になってしまうようなパラドックス。だから女同士の人間関係は難しいし、女運の行方は読みづらいのだ。

 でもここまでは一般論。人間関係にも、本当に運というものが介在するならば、むしろこう考えるべきではないかという提案をしたい。

人生において大切なのは女運の方だったりする理由

 「私、女には恵まれているのよね」という女性が実は少なくない。これは、女友達には愛されているという自慢にかぶせた、“男にはちょっぴり苦労している”という自虐ネタ……でも、これこそが正解。まさにこのバランスで生きている人こそが、実はもっとも充実した人生を生きているはずなのだ。

 なぜなら、男運はほどほどでいい。一生に一人、「アタリ」があればいいのだから。たとえ30代まで男運が全くなかったとしても、今どきは41歳でも日本中の女が羨む妻の座を獲得する滝クリのような人も存在するわけだし、仮に今まで男運の悪さに泣いていたとしても、逆に男運が悪くてよかったねという結末だ。もちろんこの先どういう展開になるかは知らないが、少なくとも長年にわたり続いていたと報道があった恋愛は、結局のところ成就しなかったわけで、40歳を越えての大アタリが、男運の大逆転になったと言ってもいいのだから。

 しかもこの人の場合は、結婚報道が過熱する中、親友と名乗る人がたくさん登場して、どうしても聞こえてきてしまう“ネガティブな意見”を難なくかわしていく。意外にも女友達が多く、女運はとてもよい人だったことがうかがえる。だからこそ、男運はともかく、女運だけはちゃんといい方が、人生うまくいくことをここでしっかりと物語ったのだ。

 単純に友達が多いことだけが、女運のよさではない。人数ではなく、質のよさ。本当の意味で信頼できる女友達が、少数でもいるかどうか。総合的に見て、長い人生の密度を決めるのはそこ。

 女の人生において、男運が支配する時期と、女運が支配する時期とが、交互にくるような傾向がある。子どもの頃はやはり女運が支配し、いわゆる年頃になればにわかに男運が女を支配するようになる。20代30代、少なくとも結婚願望が強くあるうちは、女の人生を支配するのは男運なのだ。しかし結婚後、子どもが小さいうちは、女運が日々を左右するわけだし、職場においても、むしろ女運が女の日常を支配する。そしてまた、年齢を重ねるほどに、何か女運の方がじわじわと女の人生に影響を与えてくる。

 人間も最後は一人。夫も家族も関係ない、一人の単位で幸せかどうかが問われるようになっていく。それはもちろん遠い将来の話かもしれないけれど、今からもう意識の上では、個人の単位で生きている人も少なくないはずなのだ。とはいえ一方で、人間、絶対に一人では生きていけない。意識として個人の単位になった時にまわりにいるのは、やはり女。だから始まりも終わりも、女の人生は女運で決まると言っていいのだ。

 話を元に戻して、女運の悪さは厄介な女に関わってしまうことを言うけれど、じゃあ“女運のよさ”とは何かというと、これが全く別のベクトル。何からも壁を作らず、常に心を開いたまま自分からいろんな人にどんどん接触していく人は、紛れもなく女運のいい女。

 だからといって、いろんな人とアッという間に親しくなって、アッという間に徒党を組むようなスタンスでは、女運は続かない。始まりは軽やか、でも人間関係を深めていく時はあくまでも丁寧に。荒っぽく人間関係を広げていく人の女運は、必ず落ちていく。結局のところ、女運もまた、愛情なのだ。同性に対しても、一人一人に愛ある対応ができなければ、運はどんどん落ちていく。

 運とは本来、人智では計り知れない身の上の成り行き。その人の意思や努力ではどうにもならない巡り合わせ。でも対人間における運は、愛情の有無が自然にその成り行きを決めている。それだけは忘れないでほしい。男運も女運も、自らが知らず知らずコントロールしているのである。結局は、愛の量で。

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撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳