1. 【齋藤薫の美容自身】人間の形は怖いほど変わっていく。だから30代からでも遅くない、美人をつくり直す方法

斎藤薫の美容自身2

2019.11.13

【齋藤薫の美容自身】人間の形は怖いほど変わっていく。だから30代からでも遅くない、美人をつくり直す方法

人気連載「齋藤薫の美容自身 stage2」。今月のテーマは「人間の形は怖いほど変わっていく。だから30代からでも遅くない、美人をつくり直す方法」について。毎月第2水曜日更新。

【齋藤薫の美容自身】人間の形は怖いほど変わっていく。だから30代からでも遅くない、美人をつくり直す方法

大人気連載「齋藤薫の美容自身」の全アーカイブはこちらで公開しています。是非ともチェックしてくださいね。

20年ぶりの再会は、だから劇的! 人生がそのまま見た目になるから

 たとえば中学校の時、目立って可愛かったクラスメイトが、30代で出会ったら、とても普通になっていた、いやどうにも冴えなくなっていたとしよう。さあその人に一体何が起きたのか? 逆に何が足りなかったのか?

 そもそも今そうした、何らか縁ある人間の、何十年後かの姿を時空を飛び越えて見てみたいという奇妙な願望が、にわかに広がっていて、それを題材にしたテレビ番組すらあるほど。いや、大昔から「あの人は今シリーズ」は存在したが、ひと時代昔の興味は、人間こんなに変わってしまうものだろうか、ということに驚きたいがためのものだったのに対し、今の興味は、逆に人間こんなに変わらないものだろうか、と驚きたいがためのもの。これはもう美容の進化も含めた、人間の進化そのものを見たいという興味なのかもしれない。

 でも現実には今、若いまま生きていく手段が山ほどあるだけに、不自然に若すぎるが故の変貌も含め、想定外に太ってしまったり痩せてしまったり、人間の見た目は全く予期せぬ方向へ変わっていく。そう考えると人間の20年後の姿って、どんなドラマを見るより興味深いし恐ろしい。こうした視点で自分の姿の変化を見つめ直したこと、あるだろうか。20年ぶりに会った昔のクラスメイトは、自分を一体どう見るのだろうと。

 人間のカタチの変化は、その間に繰り広げられた人生をドラマ以上に劇的に物語る。だから、姿形からその人が生きてきた人生を占うのはある種の快感。自分が知っているその人の内面の情報と、今の見た目を照らし合わせて点と点を線で結ぶように、その人の人生を想像するその喜びたるや、他の物では替えが利かないほど。40歳を越えたら自分の顔に責任を持てという言葉があるけれど、女の場合、30代ともなれば美しいも美しくないも自分の責任。もはや親がどう生んだかは関係ない。30代の見た目には、その人の生き方が露骨に見えてしまうのだ。

 そういう意味での危険な事例は、子役でブレイク、20代前半まで輝いていた美女、リンジー・ローハン。申し訳ないけれど、まだ33歳なのに、人生に疲れきった50代に見えるほど変貌してしまったのは残念な限りだが、どう考えても、薬物、事件、醜聞、何でもありの乱れた私生活が外見を激変させたわけで、まさに見た目は生き方がつくるものと思い知らされる。これまでの人生がハッピーかどうかを残酷に物語るのだ。もちろんこれは極端な例で、かつての美少女が冴えなくなってしまう時、そこに共通する原因はむしろ5つの意識の欠落。一番大きいのは、やはり美意識の欠落だろう。

 美意識……曖昧な概念だけれど、美意識に欠けると単純に美しさへの執着がないことに加え、オシャレへの関心も薄く、だからセンスも育っていかない。たとえば、少しでも自分が可愛く見える髪型を探すかどうか。女はある意味、髪型次第。美意識が高くセンスがいい少女は、髪型に命をかけるから、これはもう見違えるほど可愛く見える。だからその辺りから、美意識が貯金のようにキレイにどんどん差をもたらし、30代でその差は決定的なものとなるのだ。

 原因の2つ目は、客観性の欠落。人と比較をしないこと。これが、キレイの成長を止めてしまう。一方に、他人との比較は美しくなる上でもNGという言い方もあるけれど、多少とも比較しないと客観性も生まれない。美しい人を見て、自分より美しい、自分もああいう風になれれば……、そう思わない限り人は美しくはならないのだ。

 3つ目に、自意識の欠落。これも一方に、どう見られているかを気にしない潔さの素晴らしさもあるし、自意識過剰は言うまでもなくバツ。でも他人から見られる自分を客観視しない限り、やっぱり美しさは生まれない。さらにもう一つ、

 愛されたい意識の欠落もまずい。異性に(もちろん同性にも)きちんと愛されたいと思うことが、自然に人の形を整えるから。そこに屈折した感情があると、素直にキレイになろうとする意欲が生まれない。自分は愛されないのだという決めつけも、美しくなろうとする生理作用を育まないのだ。

 そして、いくら美人でも美人の自覚がないと、キレイは保たれないが、自覚があっても、それに慢心すると美しさはたちまち風化する。すごい勢いで光がなくなっていく。常にキレイであろうという意識がなければ、やっぱりキレイは続かない。キレイでいるのは簡単なことではないのだ。

 美しく生まれた人が何もせずに美しいままなのは、やはり20代半ばまで。それ以降は、意欲がないとダメ。美しさは増えていかない。どう考えても、意識が顔立ちをつくるのだから。キレイとは生まれつきじゃない。後天的に育てていくものなのだから。

 昔、勉強ばかりしている美少女は大人になって美人になれなかった

 全く目立たなかった少女が、再会したら“別人美人”になっているメカニズムも逆にわかったはずだが、最近思うのは、知性ある女性の成長が目覚ましいということ。正直、昔は違った。

 大人になるほど冴えなくなる美少女は、頭がよくて勉強ばかりしているタイプが少なくなかった。しかし最近は、大人になって美人に急成長する人には、成績優秀者が目立って多くなったのだ。

 これは、いやでも情報が入ってくる時代、いやでも人と比較されてしまう時代、たとえ関心がなくても持ち前の知性が無意識にキレイの知識を取り込んでしまった結果。東大出身美人がにわかに増えたのもそのせいだ。東大首席卒業で財務省勤務を経て、米国で弁護士資格も取った山口真由さんという超エリート女性は、死ぬほど勉強した、勉強しかしなかったと言うが、30代半ばである今、美貌でも注目の的だったりする。余りある知性が、自然にキレイのツボをキャッチしてしまった結果に違いない。美意識や自意識に加え、今は知性も美人を育てるカギとなったのである。

 井川遥に木村佳乃、中村アンに貫地谷しほり、満島ひかりなど、30代に入ってから美しさを増す女優が少なくないこと、決して見逃さないでほしい。これもひとつの知性の成果。女優として、女性として、人として、成熟するほどに美しくなる人がいること、そういう女性が増えている時代ってすばらしいと思う。大昔から、内面からにじみ出る美しさという表現があるけれど、それは多分これ。こういう形で生まれる美貌こそが本物なのだと私は思う。もちろん、天性の美しさはピュアな透明感を持ち、人の心を動かすけれど、全く違った意味で、時間をかけてつくられるキレイは拍手をしたいような美しさ。30代でも遅くない、どころじゃない、30代からでいいのである。慌てなくていい。これからじっくりと熟成させていってほしい。でないと、これからの人生100年時代、キレイがもたない。あまりにも早々と慌ててつくったキレイは、100年もたないのだ。

 人生においてキレイは増えたり減ったり、進化したり退化したり、心持ち次第、生き方次第でその量と質は劇的に変わってしまう。これほど不確定なものはないくらい。でもだからこそ逆に、あの手この手で育てていけるということを忘れずに、もう一度鏡の前に座り直したい。少なくとも今までの延長上の美容をぼんやり続けているだけではダメ。いや、同じ美容をやっていてもいいから、意識を変える。意識が美しさを育てるということを、もう一度自分に言い聞かせること。

 30代からは完全に運命に逆らえる。人生100年時代となれば、30代はまだ子ども、人生これからという年齢、もう一度自分を育て直してみたい。美人はまだまだ全然間に合う。

女の場合、30代ともなれば美しいも美しくないも自分の責任。もはや親がどう生んだかは関係ない。逆に言えば、30代でも全然遅くない。30代からでいいのだ。慌てなくていい。これからじっくりと、美人になっていければ。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳