
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
この人のファンにだけはなるまいと思いながらも、どうしても気になってしまう存在って、あるものだ。少し前なら華原朋美で、今ならば榎本加奈子。
女が女に心惹かれる時、その形は2タイプあって、ひとつは“あんなふうになりたい”。もうひとつは“引っくり返ってもああはなれない。なっちゃいけない”。学校一のワルに憧れたり、意地悪な女王様を崇拝したりする、あれである。否定材料はいくらでもあるが、その程度じゃ戦えない“コワいものなしの反体制的強さ”には、もうひれ伏す以外ないのである。『いけいけ! バカオンナ』というタイトルのコミックが存在すること自体に、私はまずひれ伏したし、その内容は“女がキレイになるためのハウツー”など吹き飛んでしまう、“開き直り的美容法”がいっぱいつまっていて恐れ入った。そして、テレビ化された“バカ女”を演じる榎本加奈子には、まさしくその“不道徳な憧れ”みたいなものを感じてしまったのである。
おミズもマッ青のケバいファッションで大学に通う女子大生。でもじつはバージンで純粋な心の持ち主という強引な“救い”があるのだが、それにしても“バカ女”をここまでバカっぽく生き生き演じられる女優はめずらしい。しかも、顔はメチャメチャ可愛く、体は蚊のように細い。引っくり返ってもああなれないからこそ、そこに私たちは、“美容”ってものの原型を見ることができる。社会性や倫理観や理性や教養は、ある意味で“美容”の足を引っぱる。それがなければ女の美容魂は暴走し、キレイになりたい女は、みんな厚化粧になるだろう。そこにブレーキをかけるのが“世間体”であり“教養”であり、そうやって上手にバランスがとれた時、美容は初めて“美しさ”を生むわけだ。
でも、そういうふうに“濾過”する前の美容には、何か逆に清々しいものがある。良く見られたい、賢く見られたい、いいとこのお嬢に見られたい、そういう計算がまるでない清々しさ。裏返せば、計算すればするほど美容はいやらしくなっていくことの証でもある。今は、“厚塗り素顔”がメイクのテーマ。しかし、上手に素顔を装った厚塗りが、あんまりキレイに思えないのは、狡猾さばかりが目につくからか。可愛いだけの“バカ女”と、それを100%の濃さで演じられる榎本加奈子にちょっぴり心惹かれながら“世間体”を気にする美容。そのあたりから心地よい美しさが生まれるのかもしれないと、思ってみたのである。
男受けも女受けも考えない“第三の美容法”誕生か?
男受けしたいなら“コンサバ”で、女受けしたいなら“モード系”。どちらも要らない無頼なファッション。今、確実に増えつつある、派手こそ命の女たちは、見ているうちに慣れてくる。物の道理に従えば、やがては立派な“第三の系統”。キレイになりたい女の原型とでも名づけましょうか。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23