連載 齋藤薫の美容自身stage2

その瞬間、私の中に掟が生まれた

公開日:2015.04.23

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

間違っても美容を難しくややこしくしようとしているのではない。
でも、美容=化粧品でなく美容=人に見せるものでもなく美容=他人にまかせるものでもない。
では一体何なのか?私がその答えを見つけるまでのプロセスを、まず聞いてほしいのだ。

自分は将来“何をする運命にあるのか?”つまり天職みたいものについて、すべての人は子供の頃に何らかの“神の啓示”を受けていると私は思う。服飾デザイナーになった男性が、ふり返れば幼稚園の頃、絵本より母親の洋裁本の中で見つけた“型紙”を見るほうが好きだったとか、手相占いを生業とする女性が物心ついた頃から、人の手ばかり気になったという話を聞いて、そう確信したのだ。

じゃあ自分の場合はどうだったのだろう。その仮説にのっとるならば、私は物心ついた時から、母親の口紅とかクリームに異常に執着していなければならない。でも幼い私が激しく心惹かれたのは、化粧品ではまったくなく、むしろ鏡であった。しかも三面鏡。さまざまな角度から見える自分の顔。意図する形とは違う目鼻だちを「なぜだろう」とあきもせず観察したりした。悩むのでなく客観的に。そして、髪を耳にかけると目鼻だちがキリッと見えることを面白がった。それを今改めて「なるほど」と思う。私にとって、美容は化粧品を使うことじゃない。人はちょっとしたことで、キレイになったりブスに見えたりするもので、髪を耳にかけるくらいの“ちょっとしたこと”こそ美容だと思っている。しかも、それを怠ると、女はとんでもなく大きな損をすると信じてきて、今がある。「女は可愛い子のほうが性格もいい」みたいな話を、男の子たちがしていた。確か中学の頃、私たち女の間ではそれとまったく逆、「美人は性格が悪くて、ブスは性格がいい」と決まっているから驚いた。でも反論はできない。容姿か性格か、誰でも片方はクリアできてしまう女の論理はやはり都合が良すぎる。女はどこかでそれを言い訳に使い、自分を安心させてきた。しかし真実は男の子が言うほうにある。「可愛いほうが性格もいい」女はまずそれを認めないと、成長もないし、幸せにもなれない。もし、“ちょっとしたこと”でキレイになれて、性格も磨けるなら、美容するのは女の義務。早速みんなに教えなきゃ……、その歳で心にそう誓ったとしたら、それはたぶん2番めの“神の啓示”だったかもしれない。

色選びなんて楽しいわけがない

でも待てよ。美容ってのは、なかなか扱いが難しい。「私、美容やってます」と顔に書いてあるのでは、キレイより美容のほうが目立ってしまう。高校時代、もともと可愛い子なのに、化粧をまる出しに、髪を巻いたロッドの数が数えられるほど、その跡をくっきりつけて登校する生徒がいた。学校で注意されるからマズイのじゃなく、それじゃああの子は美容してるから可愛いんだとぬれぎぬを着せられる。なーんともったいない。化粧もロッドもバレたら無意味。私はここで自分の中に、初めて掟が生まれたのを感じる。美容はバレちゃいけないのだという……。かくして私が選んだ最初の美容は、マスカラだった。1本でも2本でもいい。正面からまつげの存在が他人の目にもハッキリ見えるくらい、長さと濃さとカールがあると、女は思いっきり可愛く見える。何より、まつげは顔の中にもともとある素材だから、上手にやればまずバレない。私はまんまと、素顔のままで少し可愛くなった。

ところが周囲に「キレイになった」とは言われず「やせた?」と聞かれた。しめしめと、私は大きな手応えを感じて胸躍らせる。素顔のまま目鼻だちがクッキリすると、人は程良く小顔に見えるものなのである。こうした発見は、バレない美容へと、私をいよいよ激しく駆りたてていく。やがて赤みの強いブラウンが目をハレぼったく見せたり、赤い口紅は顔だちの欠点を目立たせるといった、逆に人をブスにする化粧品があることを知るに至ると、私は20歳前にして、自分の化粧品に行きついていた。だからそれ以降、メイクの色選びを楽しいと思ったことは一度もない。自分をブスにしないわずかな色を必死でさがすのだ。楽しいわけがない。そう、私は化粧品がモノとして好きなのではなく、その“才能”を見出すのが好きなのだ。化粧品にモノを所有する喜びばかり感じる人は、キレイのチャンスと費用をみすみす無駄にしてしまうよと、ここで断言してしまおう。

受け身の美容はウソである

ある日私は決心した。美容室に行くのはやめようと。別に腕があるわけじゃないが、自分が“違うもの”になっていくのがコワかったのだ。髪は顔である。10代の頃から、額に前髪を何本かけるかにこだわってきたのも、髪が顔をつくるから。なのに、髪型だけを単独で完成させて「ほーらお似合い」と言われても……。子供の時に耳に髪を引っかけたとたん、目鼻だちがくっきりするのを発見して以来、トップの立ちあがりも毛先の向きも私にとっては顔だった。だからもうここ6~7年、自分で髪を切って、巻いている。そして初めて裁ちバサミを手にした時、もうひとつの掟がパッと見えた。結局、自分をキレイにできるのは、自分しかいないということ……。

多くの人はたぶん間違えている。化粧品も美容の記事も、アーチストのメイクもエステも美容室も、じつは誰も私たちをキレイにしてくれない。いや、正確にいえば、一時的にはキレイにしたり、ハッとさせたり、その気にさせたりはしてくれる。でも、それをナマのキレイに変えて持続させるのは自分。誰も手を貸してくれやしない。だから私はテクニックを自分で作ろうと決めたのだ。化粧品は乳鉢こねて自分では作れないが、頭はひねれる。メイクの腕はないが、鏡と発見工夫がある。美容とは、すなわち考えること。そう言い切ってもいい。頭を使わずに得たキレイは、顔を洗えば終わり。だから一生もののキレイを得るために、ない頭をひねって、こうしたらああしたらと考え抜こうと決めたのである。今の自分の仕事は、その結果でしかない。だからこれからこのページで書いていくルールも独断的ではあるけれど、みんなが美容を考え始めるきっかけになれば、最高に幸せだ。

裁ちバサミに魂こめて

腕がないどころか、髪を2束に分けて、イチ、ニ……と、ただまっすぐに切るだけ。だからごまかすために、2週間はしっかり巻く。そんな乱暴な……と言うだろうが、いかにも美容室帰りの自分は他人みたいで許せない。裁ちバサミで無謀をしても、魂だけはこめるから、私はいつも大満足。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

Serial Stories

連載・シリーズ