
人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
「俺の色に染めてやる」なんて、どこかで男が言おうものなら、今や女全員の袋だたきにあう時代。“男受け”を狙わないのがトレンドとなって数年、夜光虫色に輝く爪に、男たちも「き、きれいだねェ、ゴキブリみたいで……」と、一応の礼儀を尽くすようにもなり、女は勝利の高笑い……と言いたいところだが、男に何も文句を言わせない態勢を整えたとたん“雑踏の中、夫をローファーで殴打したあと”みたいな後味の悪さを感じている人、案外多いのじゃなかろうか。「男に媚びないメイクって、何でこんなに不潔っぽいんだろうね」
モードメイク全盛のまっただ中、よりによってメイクの撮影中、男性カメラマンがモデルの顔を見てそう言うのを、私は胸にずっしり受けとめた。そうなのです。男に媚びないキレイなど、本当は絶対にありえないのですと、この時どんなに叫びたかったか知れない。
結局今年は早々と“男受け色”が戻ってきた。でも何か中途半端な気がするのは、この数年“男受け”を徹底糾弾してきた後ろめたさからだろう。“流行”というのは、時に大ウソをつき、明々白々ウソとわかっても、どこかの政治家みたいに、それが真実だと言いはる特徴を持っている。モードメイクの流行の中にもじつは女を汚く見せる“大ウソ”がいくつも含まれていて、終わったあとも大きな後遺症が残っているのは事実。だから誤解を恐れず、言い切ってしまおう。「もっと男に媚びよう!」と。
何だかんだ言われようと川島なお美がドラマの主役をはり、犬っころみたいに直接的に男に媚びる華原の朋ちゃん人気がますます高まり、“男に媚びて何が悪い?”系の藤原紀香の時代が来てしまう。ビューティの世界でだけ「こうすると“媚び”につながるから要注意」なんて言ってる場合じゃないのである。もちろんこの3大“媚美人”の真似をしようと言ってるのではない。ただ、この3人には、ひとつだけ学ぶべきものがある。“媚び”を決して隠さないことである。
昔の“媚び”は、女が見ていないところでこっそり男に媚びる、なかなかに小狡い方法が目立っていた。これじゃあ女は納得しない。しかし今の媚美人たちは正々堂々男に媚びて、批判をおそれない。周囲はあっけにとられながらも、そこに新しい潔さを感じるのだ。特に藤原紀香の体育会系的な媚びの形は、新しい力を感じさせる。それは“女たらし男”の逆、日本史上初の“ゴージャス系男たらし”の誕生を予感させるものがある。
男が虚弱化し女の言いなりになっても、男の存在を無視しては生きられない。ならば男の好きなものを着て、好きな色を塗って、それで“好みの男”ににこやかに声をかけて悪びれない。そんな女が今妙に格好いい。女がキレイになるべきは男のため。これを否定するとキレイは相当不純なものとなる。結局は男の思うツボなれど、女もそこにハマッてこそ、輝ける生きものなんじゃないだろうか。
もうそろそろ本音で語ろう、媚びてこそ、女は輝き、おさまるところへおさまる真理
そうそう、この堂々たるエッチがやっぱりどこかに必要なのだ。男たちを黙らせたり、男の存在を見て見ぬふりをしてるだけじゃあキレイは前に進まぬことが、ついにわかってきた私たち。つまらない小細工はやめて、正々堂々男に媚びて、目指すはゴージャスな男たらし。ただし清潔感はお忘れなくね。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23