連載 齋藤薫の美容自身stage2

エレガントの嘘~この日本には、本当にエレガントな女性は2人しかいない?~

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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“エレガントになること”が女性誌の追う最大のテーマだった頃、編集者だった私は、“日本のエレガンス”の頂点に立つような女性たち主催のパーティを取材半分、のぞいたことがある。日本でいう上流婦人たちが集まるチャリティーパーティである。そこには確かに、日頃そうそう目にすることができない“本物のエレガンス”があったと思う。たとえば、50代を大きく超えているかに見える女性が、スカートが大きくふくらんだ真紅のサテンのカクテルドレスを着ても、それが明らかに似合っていて、美しくも可愛くも上品でもあるという、“奇跡”を、私はそこで生まれて初めて目撃したし、世間一般では間違いなく“オバサン”と呼ばれてしまう年齢と風格を備えた中年女性たち7~8人のおしゃべりの輪の中に、品格はもちろんのこと、清潔感や爽やかさすら漂っていたのには、ちょっと驚いた。なるほどエレガントとは、こういうことを言うのだなと、目で見るエレガンスに、まだ20代だった私は圧倒されながらも、何とも言えない心地よさを感じたもの。

ところが、例のおしゃべりの輪の脇を通り抜けようとした私のウデが、その中にいた一人のご婦人のヒジにわずかに触れた時のこと、その女性は、大げさに身をひるがえし、「イタイ!」と声をあげ、射るような視線を私に向けたのだ。当然、その7~8人の輪は一斉に私を見る。その目は明らかに「なーに、この小娘は?」「一体どこの馬の骨?」と言っていた。別に卑屈になっていたのではない。でもどう見ても、その目はそう言っていた。

ごく常識的に謝ってそこを離れた私に、じつはこの時思いがけなく、ひとりの女性が声をかけてきた。ゴージャスなふくれ織りのドレスがさっきから目立っていた40代くらいのご婦人である。「コワイでしょ、奥さまがた……」こう言ったということは、さっきのいきさつを見ていたことになる。「でもね、いくら気取っていても、会話の内容は男のことばっかりよ」不意を突かれて、何のことやらわからない私に、「どこのお宅も、夫が全然かまってくれないからね」。その内容のどぎつさにも、またエレガントの権化みたいな女性が初対面の自分にいきなりそういう暴露系の話をしてしまうことにも、私は面喰らい、からかわれているのかもと身を固くしたほど。

しかしこの女性が、ひとりでまごまごしている私を救ってくれようとしたのは間違いないらしく、その後はまともな会話が続き、暴露が冗談ではないこともわかった。最初は下品にも思えたこの女性こそ、じつはこのパーティ会場でいちばんエレガントだってこと?と思った。エレガンスは、背景や見た目や雰囲気には現れぬもの……そう学んだ気がしたものである。

しかしこの話はまだ終わらない。そのパーティに誘ってくれた別のご婦人にこう言われたのだ。「あの時あなたに話しかけた方が、“あの子、私のこと知らなかったわよ”って、あきれていらしたのよ」じつは某名門の奥さまだったらしいその女性のプライドを、私は無意識といえども傷つけ、そしてあきれられて蔑まれたのだ。日本のエレガンスって、コワイ……つくづくそう思い、“触らぬエレガンスにたたりなし”と知ったのだった。

でもその名門婦人を私は今もどこかで“エレガンスのある人”だと思ってる。なぜならその会話の中でこの人はこう言ったのだ。「エレガントな女性?そんなのこの日本には美智子さまと、そのお母さましかいないわよ」と。

形のエレガンス修業はもう終わった

“エレガンス”という言葉には、そもそもピタリとハマる日本語がなかったとも聞く。そのくらい精神的なものなのに、日本人はまず形から入ってしまった。コンサバ……もしそれが形のエレガンスなら、純粋なコンサバが野暮ったくも見える今日、ひとまず形の修業は終わったということか?

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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