1. 怒るキレイ〜いつ誰にどのように怒るかで、女の価値はかなり決まる〜

斎藤薫の美容自身2

2015.04.23

怒るキレイ〜いつ誰にどのように怒るかで、女の価値はかなり決まる〜

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

怒るキレイ〜いつ誰にどのように怒るかで、女の価値はかなり決まる〜

電車の中などで、走りまわっている他人の子供をしかる女性を、たまに見かける。ここで今どきの親は「ほらっ、こわいオバちゃんに怒られるから、ちゃんと座ってなさい」と言ってしまうから、結果的に立場はない。でも同じ大人として本当はそういうふうにすべきなんじゃないかと、一瞬の負い目を感じる。感じるが、自分にはぜったいに言えない。言えないからこそ、できる人の勇気と正義感をよけいにスゴイと思うのだ。ただ、怒ったあと、この人にはどんな評価が下るのだろう……。問題はそこである。

怒る女……時には美しいが、時には醜い。しかも醜い確率のほうがずっと高い。以前、「テカリのある女の肌をどう思う?」という質問を男性にした時の答えが振るってた。「一生懸命何かをやっていてテカってしまった肌は可愛いと思うが、テカリながら怒っている女の肌はいかにも醜い」怒れる女は肌にも落ち度があってはいけない。怒るのはそのくらいリスキーだということなのだ。

しかし、総裁選のあの騒動の中での田中真紀子氏の怒りは、何だか美しかった。あれだけの早口で「これは在庫セール」だの「骨董品は無用」だのとまくしたてれば、醜く見えるのは当然なのに、庶民感覚で歯に衣きせぬからこちらの“胸がすく”だけでなく、たぶん自民党の男性議員の中にも惚れた人がいるのではないかしらと思うほど、眩しかった。なぜかと考えたが、あれは自分自身のための怒りではないからなのだ。派閥抗争や保身のためではない、あくまで国のための怒りだから、美しいのである。不満をぶつける、浮気をなじる、なじられて逆ギレする……そういう女の怒りは肌が涼し気マットでも醜いが、人のため正義のため平和のために怒る女は、肌がテカっていても結局美しいのだ。

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