連載 齋藤薫の美容自身stage2

“犬”的キレイのすすめ~犬は誰にもかなわない~

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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無人島に、男がひとりに女がひとり、そして犬が一匹住んでいたとする。ふつうに考えれば犬のいる幸せなカップル……しかし実際にはこういう時、犬が立派に参加した“三角関係”となってしまうらしいのだ。

犬はあくまでも“愛の生き物”。愛を求め、愛を与える、それだけが生きがいの生命体である。無人島の男と女も、食べるものに困らなければ、やっぱり“愛だけが生きがいの生き物”と化す。よく、恋人とぎくしゃくしてきた時、「無人島に二人きりだったら、きっとうまくいくのに」なんて思うことがあるけれど、無人島とはたぶん、もっとも純粋な形の愛を営むところなのである。で、男と女と犬の“3人きり”なら、当然のように三角関係になっていく。そしてその時、女はだいたい犬に負ける。犬にはかなわないと思うのだ。

これとまったく同じ設定の「ひきしお」という映画があり、カトリーヌ・ドヌーブ扮する女は、マルチェロ・マストロヤンニ扮する男の愛をその愛犬と奪い合い、やがては自らが四つんばいになって、言葉を話さず、男の手をペロペロとなめる“犬”になる。最後は美貌も愛の言葉も役に立たず、犬に学んだ計算のないピュアな愛が勝つという、ちょっと奇妙なお話だったが、犬になったカトリーヌ・ドヌーブが、いつまでも頭にこびりつき、“女は最後に犬になれ”という、古臭くも斬新な教えを無視はできない自分がいた。

ファッション同様、“女の流行”も繰り返す。媚びないことを強く押し出す“大人の猫”みたいな女が流行したのは、つい数年前のこと。しかしこの流行は、可愛さのない女をまったく救ってくれず、女たちは心を入れ替える。たとえば、何でも欲しがる“マツキヨのマミちゃん”が、なぜあそこまでの支持を得るのか?これが数年前ならポカスカもの、今どきあーゆーCMを作ること自体に腹がたったろう。それが今はいやに新鮮。それも、媚びない時代の反動と“媚び”にも新種が出てきたことの表れ。

昔も今も女が嫌悪する“媚び”は“ぬれぎぬ”かもしれないが裕木奈江的媚び。でもマミちゃんの媚びは、友達の恋人を見て、その場で指をくわえてしまう、きわめてシンプルで露骨なもの。これが男なら、まるでケダモノだ。何の計算もなく、誰にでも愛を求め、誰にでも愛を与えてしまう、その素直な欲求の発露としての“うるうるの上目づかい”。あれは紛れもなく犬の目と同じだった。しかもあのビービーした声には「私リカちゃん、よろしくネ」みたいに人形に内蔵された機械音と同じ響きがあり、アホくさくなるほど素直な“愛される受動態“の姿を浮き彫りにした。それが「なんなの!?あの子は」という反発をかわないどころか「あの子にはかなわない」という諦めにも似た新しい支持を得たのである。

日本の女性はここ数年で、たいへんな成長を遂げた。キレイを増やし、女としての賢さも一気に増やした。しかしキレイをこねくりまわし、女をこねくりまわした結果、女たちはもっとも単純な“愛される立場”を放棄してしまったような気がする。だから“マミちゃん”を心のどこかで脅威に感じてしまうのだ。

じゃあどうすれば、女は犬に勝てるのだろう。私が思うに、その決め手は“視線”である。いつも低い位置から人を見上げる犬の視線。くもりなく濡れているマッ黒の目が100%の集中力で人を見上げ、撫でてくれるまで、欲しいものをくれるまで、決して目をそらさない。あの犬の視線をもった女は強い。中山美穂や菅野美穂に対し囁かれている“人の目より2まわりほど大きなマッ黒のコンタクトを入れている”という噂がもし本当なら、あの二人に“犬にも勝る生き物としての愛らしさ”を感じてしまうことにも納得がいく。

ともかく今、犬の目を真似たい。そこには“愛を乞う汚れのない欲求”があふれている。平成の女のキレイにひとつだけ欠けているものがそこにある。犬的キレイ……それは視線の中に純粋な愛を息づかせることなのである。

犬の目づくりの決め手はマスカラ

黒目がちの目をうるうるさせる決め手はぜったいマスカラ。上下のまつ毛を黒のマスカラでこってりふっさりさせると不思議に瞳がうるんで見える。まつ毛が作る陰影が瞳に光を集めてしまうのだ。いつも目を濡らしておきたいなら恋をするのがイチバンなのだけど。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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