連載 齋藤薫の美容自身stage2

ケッペキな女の運命

公開日:2015.04.23

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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ひとりのOLが悩んでいた。同僚との人間関係がうまくいかないと。いや、厳密に言うと、ケッペキ症の女性が同僚にいて、もう耐えられないと言うのである。人の使ったペンは触らない。人の座ったイスには温もりが消えるまで絶対に座らない。電車の中でも、体に触れられることを極端に嫌い、もちろんつり革には触らない……まあ、世の平均的なケッペキ症と言えるが、この同僚と行動を共にするうち、彼女はちょっと立ち直れぬくらい傷つくことになってしまう。自分自身がとても汚いもののように思えてきたからなのだ。

たとえば自分のものかもしれない髪の毛がハラリと落ちた時、ケッペキな女の運命ケッペキ症の同僚は大げさにイヤな顔をする。さらにこの同僚がケータイがつながらずに困っているから「私の使えば」と、自分のケータイを貸そうとすると、「えー、いいよ」と露骨に断った……などなど、彼女は同僚のケッペキの“餌食”となってしまったのである。

ケッペキ症になるのは本人の勝手。しかし、自分を清潔なものに仕立てあげるために、相手を汚いものにおとしめるのは問題。いちばん危険なのは、自分のまわりにいる親しい人間まで汚いものにしてしまう点である。

たとえば、飲みかけのジュースを「これおいしいよ、飲んでみて」と言われた時、平気で飲めるジュースの相手は生理的に許せて、何となく拒んでおきたい相手は、生理的に合わないタイプとよく言われるが、拒まれた相手ははもちろん傷つく。たぶん、“あなたが嫌い”と言われた以上に傷つくだろう。なぜなら、人間は“自分が汚い”と思われることを、いちばん恐れている生き物だからなのである。子供のいじめに最もよく使われる言葉は「キタナイ」「バイ菌」「あいつに触るな」。“汚い”は、人を完全否定する最強の手段なのだ。それを大人になってから、無言のうちに言ってしまう罪はだから、ことのほか重い。反対に人に拒まれるという罰が待っている。親しい人間をわずかでも汚いと思うほどのケッペキは、逆に自分自身が精神のよどんでいることを人に伝える行為なのである。

ケッペキ症の同僚も、ケッペキ症であることが有名になって、しだいに周囲から拒まれるようになったという。周囲を細菌扱いしたことで、逆に自分が細菌のように、特殊な扱いを受けるようになっていく皮肉。それは何だか、洗顔のしすぎが肌に必要な常在菌を奪っていって、結果、肌が逆にいろんな菌をはびこらせてしまうのとよく似ている。清潔も度を超すと、まるで反動のように新しい汚染にさらされるということなのだ。

そもそも、ケッペキ症におちいる人の多くは傲慢だ。自分だけが清潔で、自分だけは汚れたくないという、その“自分だけ”が強すぎるから、結果ケッペキ症になったと言ってもいい。そして最初は、ケッペキから始まった“人間は汚い”という思い込みは、やがて“人間嫌い”へと発展していくことも多い。人間そのものを否定し始めるのだ。だからケッペキ症が一線を超えてしまった人は、周囲に拒まれるまでもなく自ら孤立してく運命にある。これってとっても悲しことではないのか? “人間嫌い”の上に、周囲に拒まれるほど孤独なことはない。重度のケッペキ症は、大げさでなく、女の人生の中でいちばん避けなければいけないものなのである。

人間はみんなそこそこ“自分は清潔だ”と信じている。だから見知らぬ他人をその分汚いと思いがち。でも、“親しさ”はその疑惑を晴らすのに充分な要素だろう。つまり知人をケッペキで拒んではいけないのだ。公共のトイレで、便座シートを使用するのと、オフィスで他人のペンを触れないのとは意味が違う。知り合いか、アカの他人かを分けないケッペキ症は、いつの間にか自分自身が無菌の菌になってしまうことを肝に命じよう。

手を洗うケッペキ症だけは美容上、理にかなってる

ケッペキ症の人は、必ずしも肌がキレイじゃないとはよく言われること。肌の敏感がきっかけで、やむを得ずケッペキ症になっちゃったという人もいるはずで、もちろん美容上のケッペキ症は必ずしも否定できない。それに、ファンデーションのスポンジやチークブラシにケッペキになることは、むしろ大事。ただ、美容にケッペキになったからと言って、それだけで肌がキレイになるものじゃない。むしろ神経質になりすぎることで溜まるストレスは、それ自体がマイナス要素になることが多いのだ。

しかも不思議なもので、ケッペキ症の人ほど化粧が濃いとも言われる。何かにつけ度を超してしまうのがケッペキ症の性分であることを肝に命じ、美容もすべてはバランスであることを思い出そう。

ただし、手を洗うことだけは、少少ケッペキ気味でも許される。顔には異様に神経を使って洗う人ほど、手を洗わないという指摘をしていた人もいたが、思いもかけないものに触りまくっている手は、それこそ雑菌がいっぱい。でも、清潔を期す以上に大切なことは、手を洗うことの心理的な効果。末梢神経が集中している手をていねいに洗うと、頭までスッキリし、心が嘘のように前向きになる。ケッペキ症の人はとかくイライラしがち。いや、ケッペキ症じゃなくても、イラついたら手を洗う。その場でストレス解消ができる。即効な癒しとして利用すること。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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