連載 齋藤薫の美容自身stage2

あなたは世間にやさしい女と思われているかテスト

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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別に“やさしい女”と思われなくたっていいもん……と言う人もいるだろうが、こんなにみんなの心が疲れている時代、誰だって“きっつい女”とわざわざ関わりたいとは思っていない。しかも、理由なしにイラついたり、ムカついている人がますます増えてく世の中、“やさしい女”はいよいよ希少価値となる上に、ニーズも限りなく高まっていく。今こそ“やさしい女”になるチャンス、と思うわけだが、どうだろう。

ただ、ちょっと前にあった“託児所での赤ちゃん殺人疑惑”の保母さんや、母が娘の薬殺を企てた“保険金殺人未遂事件”の、看護婦をしている母親も、ふだんはひどく“やさしい女”だったらしい。鬼も“やさしい女”のふりをできちゃうのだから、“やさしい女”って難しい。ひょっとすると、あなたも自分が“やさしい女”か否か、本当のところは知らなかったりするのかもしれない。さて、本当の意味で“やさしい女”とは誰なのか?

まず、混同しやすい“感じがいい女”との違いから比較検討してみよう。たとえば、お茶していた時に、お店のスタッフがコーヒーをひっくり返して、あなたの服を少し汚したとしよう。基本的にはここで“感じのいい女”も“やさしい女”も怒らない。しかし、“感じがいいだけの女”は、「大丈夫、でもおしぼりいただけます?」と冷静に言い、新しいおしぼりを3~4枚使って服をふく。さらに、その店がダサめの喫茶店で相手が慣れてないウエイターだったりすると、さらにおしぼりを多く使う。

けれど“やさしい女”はドンくさい相手であればあるほど、「大丈夫、大丈夫」と言って、テーブルにあった使用済みおしぼり一枚で事をすまそうとする。とっさの時に出るその違い、第三者の目には妙にハッキリ映るもんなんである。同様に、気取ったレストランで、同伴者がテーブルの上で赤ワインのグラスを倒したとしよう。“感じのいい女”も“やさしい女”も「大丈夫?服汚れなかった?」と言うだろう。でも、“感じがいいだけの女”は、お店の人には「ごめんなさいねー」と感じがいいが、よく見ると、その直後の会話がちょっと不機嫌になる。しかし“やさしい女”は直後の会話を逆ににぎやかにしようとする。いずれにせよ二人の女の違いは“水もの”を引っくり返した時に、見えるのである。

次に“ショムニ”の江角サンみたいに、一見ぞんざいに見えるけど、じつは“心やさしい女”と “サバサバしながら意地悪な女”。実際、サバサバしていると、“いい人”に見えやすいから、何とも世の中わかりにくい。特にこの場合、本人もどちらのタイプだか、よくわかっていないことが多いので、さっそくチェックしてみよう。

たとえば、わりに美人の後輩OLが、男性社員にチヤホヤされた時の“ひと言”が“やさしいぞんざい女”は「ヤダねー、ちょっとキレイな子を見ると、それなんだから」と言い、“意地悪なサバサバ女”は「ヤダねー、ちょっと若い子見ると、すぐそれなんだから」と言う。あるいはまた、社員旅行でメイク顔とスッピンの差が激しい同僚がいたら、“やさしいぞんざい女”は「あれ、けっこう素顔もカワイイじゃん」と言い、“意地悪なサバサバ女”は「あんたってホント、化粧映えする子よね」と言う。こちらの二人は、主に女の美醜についての物言いに、その差がハッキリ現れるのだ。

さて、あなたは、街を歩いてる老人の姿が気になるだろうか?手を貸さないまでも、階段の途中でゼーゼーしてる老人の姿が、その後いつまでも目に焼きついたりしてるだろうか?それにあなたは外出先のトイレに入って、ペーパーを散らかしたまま、洗面台に髪の毛を落としたまま、出てくる人だろうか?公共のごみ箱の“ビン、カン用”に食べ物を捨てたことがあるだろうか?何だか話が“政府広報局”みたいになってきたけれど、じつはこれ“やさしい女”テストには欠かせぬ内容なんである。

そして、トイレを汚さない、食べものを“ビン、カン”のゴミ箱に入れないっていうのも、じつはマナーの話じゃない。トイレでは自分の後に入る、見も知らない人”へのやさしさが問われ、ゴミ箱では“ゴミを集める人”へのやさしさが問われるというわけで、後で知らない誰かが困らないようにしなければという気持ちは、そんなことをしたら自分が恥ずかしいという気持ちとは、根本的に違う気がする。つまり、マナーを守れるのが“やさしい女”じゃなく、マナーと思わずに、それができてしまうのが“やさしい女”なのである。

女のやさしさは、“恋愛”や“男”を通してはぜったいに計れない。なぜなら“やさしい女”は、人の失敗、同性の美醜、目下、老人、アカの他人には限りなくやさしいが、恋愛にはわりに冷酷になれるもの。こと“自分の男”には厳しくなってしまう。しかし、これも“自分の男”には、自分と同じやさしさを持ってもらいたいという願いの表れなのかもしれない。一方の“やさしくない女”は、人の失敗に厳しく、同性の美醜に冷酷で、老人はあまり目に入らず、マナーは守るが、アカの他人が困るのは平気。その代わりに、“恋愛”ではやさしさを発揮し、“自分の男”には甘くなる。

そう、問題はそこである。ともすると、“やさしい女”より“やさしくない女”の方が、女としては早々と幸せを勝ちとったりすることが多いのは、そのためなのだ。“やさしい女”が老人やアカの他人に知らず知らず気をとられているうちに、“やさしくない女”は、男にたっぷりやさしくしてる。この際、どちらがいいとも言わないが、長い目で見れば自分が老人になった時、アーア、人にやさしくしとけば良かったと、後悔しない方が結果として幸せなのは間違いない。

“女は、やさしすぎるとキレイになれない”その壁を破ることに、美容の意義あり

世に言う“いい人”には、それなりにキレイな女性が多い。これは要するに“人柄は顔に出る”ってことで、他人を不愉快にさせない人は、顔も不思議に他人を不愉快にさせない顔をしているものなのである。

でも“やさしい女”に、とびきりの美人は少ない。もちろん「美人は性格が悪い」というのはもう昔の話。でも、“美人だからやさしくなれた人”に比べ、“心がやさしいから、美人になれた人”っていうのは、極端に少ない。“女のやさしさ”それ自体は美しいものだけど、わざわざ新しい美しさまでは生まないのである。

女は“見た目にキレイになりたい”という想いが強すぎると、やがて“人よりキレイになりたい”“誰よりキレイになりたい”と念じるようになっていく。けれど一方、“やさしい女”は人と自分を比較したり、“誰より自分”という気持ちを持たないし持てない性分だから、“キレイになりたい”って想いも、一線を超えることはない。その一線を超えた人だけが、ピカピカなキレイを手に入れられるのだとすれば、“やさしい女”は“誰よりキレイ”にはなり切れないのである。

けれど、あんなにキレイなのに、なんてやさしい人なの?そう言われるのが、“最上級の女”であることに変わりはない。“やさしすぎてキレイになれない女”もちょっと淋しいから、やさしいままで一体どこまでキレイになれるか?それをあなたの美容テーマにしてみよう。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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