
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
芸能界には思いのほか“ヤンキー出身者”が多い。しかも芸能人として成功するのは、圧倒的に元ヤンキーが多いとも言われる。じつは、元ヤンキーにはオーラがあるという説が昔からあって、それ自体がオーラにまつわるひとつの謎となっていた。
実際、ヤンキーをはじめ、昔で言うところの不良、つっぱり、ゾクの類は、なぜかある種のオーラを放っている。言うまでもなく、そり返った姿勢と鋭い視線で世の中を威圧するのが彼らのモットーなわけだが、とても単純に、人間はこの“姿勢”と“視線”が、人と違っているだけで、オーラを放てるということなのかもしれない。
“姿勢”と“視線”……確かにこの2つさえキッチリ決めれば、人はそこそこ目を惹く存在になれてしまう。そり返るほどではなくスクーンと背すじをのばし、なおかつ瞳孔を大きく開くように、モノを力強く見つめる目をすれば、たぶんそれだけで“存在感”は生まれるのだ。しかし、この手の“姿勢”や“視線”は、いわゆるスキがなく遊びがない、だから退屈な女のイメージを生んでしまいがちで、“存在感”は出るが、オーラまでは出にくいのだ。ごくたまに、妙に姿勢がいい、視線にまったくフラつきのない女性が遠くからでもオーラを放っているのを見かけるが、これはたぶん相当“お育ち”がいいのだろうと思うことにしている。
少し前のインターネットのCMに「TV?うちにはありませんの」と言いながら、客のまわりを飛んでいる蚊をたたいていた“深窓の令嬢”ふうの着物女性が出てきたが、たぶん今や正統派のオーラは、あのくらい大時代的な育ちの良さがないと醸し出されないんである。しかし、先にも書いたように、人をドキリとさせ、人の記憶にこびりつくのがオーラなら、育ちの良さが作る“良いオーラ”と、つっぱらかって悪ぶることで生まれる“悪いオーラ”は、ほとんど紙一重のものと言っていい。
いや、そもそもこの2つは、俗世間から少しハズれているという意味では一緒なのだ。片や、TVのない家で育った世間知らずの令嬢、片や世間に背を向けたつっぱり。世間との距離感は共通してる。おそらくはそのあたりにも、オーラの正体が隠されているのだろう。
でも、TVを見ない令嬢のような突き抜けた清廉潔白さを今さら作り出すのは難しい。オーラを作るだけなら、いっそグレてしまった方が簡単だ。いえいえ、今さらヤンキーになろうというんじゃない。“悪っぽさ”というオーラを身につけるのも手じゃない?と言っているだけなのだ。
ちなみに“悪っぽさ”は“大人っぽさ”……そんな見方もある。クラスに必ず一人はいた、成績優秀なつっぱりクン。彼らは、世の中を知らないんじゃなく、世の中が早くにわかっちゃってる早熟タイプ。たぶんバカバカしいから背を向けているだけで、今をときめく飯島愛ちゃんみたいな、“私、全部ひと通りやりました!!”っていう悪っぽさは、世の中知ってる分だけ、年より大人にも見えるし、落ちつきにもつながる。たぶん美容的には、ああいう“悪っぽさ”をうまく取り入れられてこそ、オーラも作りやすいし、深みも出るってことなのだろう。
別にそり返らなくていい、目を鋭くしなくてもいい。ただ、体のどこかを悪ぶってみてほしい。座る時に体を少し斜めにして脚を組む。網タイツをはいてピンヒールの靴をはく。マニキュアを血マメ色にする。髪をぐわんとかきあげる。黒の革ものを着る……何でもいいから、どこかに悪っぽさを加える。そして少しだけ視線を強くしてみる。すると不思議。世の中がわかったような気がしてくる。世間と一線を画す存在感が生まれるのだ。
つまりはそれが、オーラの芽ばえなのである。
“悪っぽさ”は、眉と前髪で作られる
ちょっと悪っぽい顔は、“鋭い視線”によって生まれるが、俗に言う“ガンを飛ばす”みたいな、はしたないことをしちゃあダメ。アイラインを思い切りはね上げるなんてのも、素人がやること。目や視線そのものを無理して変えるのは危険である。
じゃあ、どうするか?目のすぐ上、眉と前髪を使うのだ。眉がなだらかなほど、目の表情はやわらかくなり、眉山が高くなってくるほど悪っぽい顔ができあがることはわかるはず。さらに自然な太さは目をやさしく見せるが、クッキリ強く描かれた眉や細いハリガネのような眉は必ず“悪っぽい目”を作る。ヤクザがハクをつけるために眉をそるのを思い出してほしい。数年前まで日本中の若い女性が、眉を抜き、眉山をそそり立たせながらハリガネ眉を作ったのは、誰に教えられるでもなく、女が本能のままにオーラを取りに行った結果ではなかったか?
一方の前髪。オールバックにあげても悪っぽさは出るが、顔を一部隠すようにセンターパートやサイドパートの髪を顔にかけても、充分に悪っぽさが醸し出せる。おもしろいことに、オンザ眉毛で短く切りそろえた前髪も、眉を目立たせた分、悪さをのぞかせることになるわけだ。
メイクとファッションにおいて、“悪っぽさ”は“格好良さ”。日本の女がもっとも苦手とするのが、この“格好良さ”だとすれば、“悪っぽさ”を上手に醸し出すのは、これからのお洒落のテーマ。今さら、ハリガネ眉はありえないが、あの気分はどうか忘れずにいてほしい。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23