連載 齋藤薫の美容自身stage2

“他人を気にしない”なんて可能か?!

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

他人と自分を比較してどうするの?比べて何になるの?そんなふうなことを、私もかつて何度も書いた気がする。人との比較で生まれるコンプレックスは、決して女をキレイにしないとか、特定の誰々に負けたくないという頑張りは、女を醜く見せるとか、そういうことを訴えた気がする。ともかく、他人を気にしないことである……と。 でも“他人を気にしない”なんて本当に可能なのか?

“他人を気にしない人”とは一体どんな人なのか?自分がイチバンだと心から思っている人と、自分は人より劣ってると素直に思っている人。どちらもある意味大らかなのだろうが、イチバンだと信じている人は、やっぱり他人に嫌われるし、ビリでもいいかと思っている人は、やっぱり魅力に欠ける。真の友だちはできにくいし、どちらにも成長はない。でも“他人を気にしない人”には、もうひとタイプ存在する。それは、人の順位づけをあくまで嫌う人。人と競うことを嫌い、ひとり降りちゃう人。できればそうなりたい。イチバンになることに興味はなく、仮にビリになっても気がつかない。そうなれたら、きっと楽である。

でも自ら競争を降りていく人の中には、自分の順位を知りたくないから、あえて他人を見ないようにしている人も、じつは少なくないのである。いつも悠々、他人を気にせず我が道を行くうらやましい人がいた。その人は、いわゆる出版プロデューサーで、自分の企画ものがいくつもの“ヒット”をとばしている。でも自分がスゴイと思っている様子もなく、それがまたうらやましいほどカッコイイ。しかもその人は、他の本をほとんど読まないし、本屋にもほとんど行かないんだと言った。スゴ腕出版プロデューサーなんだから、今どんな本が受けてるか、誰より長いアンテナを張っているものとばかり思っていたが、他の本を読まないし、本屋にも行かないと聞いて、そりゃまたスゴイと思ったもの。でも、よく聞くと違うのだ。他の本を読まないんじゃなく、読めない。本屋に行かないんじゃなくて、行けない。だからそれは大きな悩みなんだと言うのである。

たぶんそれは、イチバンじゃないとマズイという義務感みたいなものから、他人と自分を比較できないように、競うことを避けているのじゃないか?彼にしてみれば、競わないことが後ろめたいのだろう。世の中にはどんな本があるのかを知らない負い目もあるのだろう。でも彼は、他人との比較によって、いらない計算やいらない気負いを生まないため、そして何より自分の感性を鈍らせないため、他を見ない努力をしている。“となりの芝生が青く見える”のは、人が生きていく上での宿命みたいなもの。他人を気にしないのは本当に難しい。たぶん“性分”としてそうできるのは、50人に1人位なのだ。それでも他人との比較を避けたいなら、頑なにとなりの芝生を見ないように努力するしかないのである。

これは、口で言うより難しい。本を作ってる人が本屋に行かないのだから、けっこうな忍耐がいる。他人のことに目をつぶり、途中で絶対目を開けない。他人と競いたい人とは付き合わない。競い合わなきゃならない場面にはあくまでも足を踏み入れない。これはけっこうな孤独な作業である。しかも、自分はひとりきりで黙々と頑張らなきゃいけない。世の中の人と比較もせず努力もしなかったら、やっぱりすぐビリになる。それがイヤなら、ひとりで努力する。そう、それは典型的な自分との戦い……これもまた大変だ。

それもダメならこうしてみてはどうだろう。私は3番手でいい、そう思うこと。イチバンを狙うからしんどい。2番は“負けた感”を味わなきゃならないからやっぱりしんどい。3番以下はもう一緒、でも3番は一応入賞。だから3番でいいや!!と思うこと。うん、これがいい。楽かもしれない。でも3番になって気づくのは、自分が3番であることを誰も知らない。自分だけの順位づけ。なーんだ、順位なんてそんなものなんだってこと。だからよけい、3番になると吹っ切れる。他人と比較しても、あまり意味がないことを知るのである。

“他人と自分を比較しない美人”たちへ

他人と自分を比較することで生まれるコンプレックスは、女を美しくはしないと言ったけれども、さて逆に、他人と自分をまったく比較せずに、女はキレイになれるのだろうか?クレオパトラが世間で言われているほど美人じゃなかったという説は、今も絶えないが、世の中自分の気持ち次第でどうとでも動かせると思えば、他の女と自分を比較したところで何の得もなく、クレオパトラはたぶんまったく客観性のない美意識をもつことが、唯一許された女性だったはず。クレオパトラが、誰とも自分を比較せずに“自分を世にも美しい女性”であると自己申告をしていたことも容易に想像がつく。自分が美人と言えば、美人なのよと。そう言い切られると、周囲も何となくそんな気がしてくるみたいな現象も、女性の美に関しては起こりうる。エリザベスI世などもその手の“美人”だったのだろうが比較の対象がいない権力者の美しさは、だから少し怪しいのである。

自分のモノサシで測ればキレイ……みたいに、本来女性の美しさなんて主観で決めてもいいもの。しかし誰から見てもキレイな自分でいたいなら、鏡の前だけで美容をせずに、青山でも銀座でもどこでもいいから、キレイな人のいる街へ出て、美人を目で見るべきである。特定のあの人よりも……と美容するとキレイが偏るが、世間一般のキレイとの比較は、日々やっておく。美容ばかりは横目で他人をチラチラ見ながらやるべきなのである。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

Serial Stories

連載・シリーズ