連載 齋藤薫の美容自身stage2

ふって不幸になる女

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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ふるより、ふられる方がいい……たまにそんなことを言っちゃう人がいる。ふるより、ふられる方がいい?言うまでもなく、相手を傷つけるより自分が傷ついた方がましという、ちょっと偽善的な考え方である。そんなのキレイゴト、ふられる女の辛さがわかってないから言えること、と私などは思うわけだが、これは“ふる女”にも、それなりの苦労はあるのだよというお話。

「お財布なくしたり、車が免停になったり、楽しみにしていた旅行が相手の都合でダメになったり、最近変なことばかり起こるのよ」と言った友人は長年つき合っていた彼と別れたばかり。ふったのは彼女のほう。私たちは顔を見合わせ、「やっぱりね、それ生き霊だわ」

“生き霊”とは、文字通り生きている人の怨霊がもたらす“たたり”。いきなりコワイ話をしてしまったが、今や私たち仲間の間では、この“生き霊”話が日常的に出てきている。つまり、仲間の何人もが、かつて“生き霊”に困っていたことがあるからなのだ。とても単純に、誰かがある人をうらんでいたり、強く想っていたりすると、その想いが届いてしまうということなのか、うらまれている人を困らせることが連続して起こる。でも、ほとんどの場合、相手を肉体的に傷つけたり、仕事などで立ち上がれないほど打ちのめしたりすることはない。ただ相手を困らせてあげようというほんのちょっとしたイタズラのレベル。しかも、生き霊を出している本人にその自覚はまるでないというのもカワイイ。いわゆる“五寸くぎ”の話とは違って、想いの強さが勝手に飛んでいってしまうだけなのだ。

最初は私も「まさか!!」と思った。しかし、おはらいに行くとピタリと止まるという説は本当らしく、周囲に似たような話があまりにも多いので、いっそ信じてしまった方がおもしろいかと思って、友人の“ふった女”を生き霊話でおどろかしてやったのである。

多くの場合、それは“ふった女”めがけてやってくる。そして多くの“ふった女”は、生き霊にたたられているかもよと指摘すると、本当かもしれないと思うのだ。たぶん“ふった女”にはそれなりの後ろめたさというものがあるから、そこに“生き霊”がすっぽりハマってしまうのだろう。いや、ひょっとすると“生き霊”とは、自分自身のなかにある罪悪感が呼びこんでしまう現象なのかもしれない。財布をなくした時の動揺が、次の動揺を呼び込むみたいな不安の連鎖。“ふった女”は、仮に相手の方がより悪くて、仕方なくふったのだとしてもふったふられたの立場の違いが決定的にある限り“ふった側”として相手の心を1ミリでも傷つけたことに、無意識の罪を背負うのかもしれない。

世の中には、自分から切ることのできる女と、自分からぜったいに切ることができない女がいる。ふれる女とふれない女がいる。そして2人の心の体温をはかったら、やっぱりどうしても、“ふれる女”の方が低いのだろう。“ふれない女”の方がやっぱり心の体温は高いのだ。だから、“ふれない女”になろうというのはないが、“ふれる女”はその体温の低さがどこから来るものなのかを、ぜひ知っておきたい。

いつも他に好きな人ができてから、今の彼氏をふってしまう女は、単に身勝手であきっぽいだけじゃない、自分が傷つきたくない防衛本能が強すぎるのかもしれない。いつも“自分にこの人はふさわしくない”、という判断から、男をふってしまえる女は、単にクールなだけじゃない、むしろどこかにコンプレックスがあるのかもしれない。もちろん“ふれない女”は優柔不断でネガティブなのは確かだが、結果的にふられる立場になることが多いことだけ考えても、“ふれる女”よりは人の傷みがわかってる。その傷みが“生き霊”という形になって、“ふる女”を困らせるなら、“生き霊”とは人の心のバランスを整えようとする神さまのおぼしめしと考えてもいいのかもしれない。“ふる女”たちよ、生き霊を甘んじて受け入れよう。

男をふると一時的に肌がアレるってのは本当か?

誰が言ったか、男をふると、一時的に肌アレがおそってくるという噂を聞いた。本来ならば、ふられた女の方が肌がアレそうなものだけど、実際は逆。ふられた女の肌は、まさに病あがりの儚げな美しさでパッと目を引くのに、ふった女の肌は、くすみをもったりニキビができたりしがちだというのである。ひょっとしてふられた男の生き霊?おそらくこれ、中途半端なストレスのためだと思う。

じつは、どん底を見るような最上級のストレスを感じると、恋愛ホルモンと同じ働きをもつ“PEA”という物質が分泌される。ところが涙もチョロリンとしか出ないような、不発ぎみの苦しみはかえって体にダメージを及ぼす。まして、恋人をふるという、できれば誰かにかわって言ってもらいたいような、イヤな言葉を自ら発しなければならない場合のストレスは、じっとりと活性を低下させて、肌をくすませるに違いない。

ただ、“ふった女”は、多少の罪悪感で肌でも少々アラしていた方がカワイイ。周囲の人間から見れば、誰かをふった女は事情ががどうあれ、一応“冷たいイヤな女”にうつってしまう。それが男をふったそばから光輝くように美しいのも、どんなものだろう。あんなに疲れた顔して。きっとよっぽどのことがあったんだねェ……と同情すらされるようなたたずまいでも見せておかないと“ふった女”は、以後あまりモテなくなるので気をつけたい。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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