連載 齋藤薫の美容自身stage2

やさしい女になりたい女へ

公開日:2015.04.23

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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20代30代の女性を対象にしたあるアンケートを見たら、“どんな女性になりたい?”という質問に対し「やさしい女性になりたい」という答えが、第2位の“知的な女性”を大きく引き離してトップだった。そうか、今の女性は、やさしくなりたいんだ。“なりたいのになれない”という想いがあるんだと、改めて気づいたもの。今はむしろ、“強い自分”ばかりがイヤでも表に出てくる時代。またそうしてないとちゃんと生きていけない時代なのだろう。そのために、すっかり難しくなってしまった“やさしい女”のなり方……。

一見やさしそうだけれど、じつはやさしくない、むしろ冷たいかもしれない人って、女にも男にもいる。何か頼むとイヤな顔をせずにやってくれるけど、でもよく考えると結局のところやさしくない彼氏に、時々ふっとため息をついている女性は少なくないはずだ。その一見やさしいけど、よく考えるとやさしくない理由はどこにあるのだろう。

私はこう思う。人のやさしさには、最低2つのことが必要だ。ひとつは“他人に関心が向く”こと。もうひとつは、人を許せること。この2つ。そして2つを同時にクリアするためには、自分自身にゆとりがなくてはならない。つまり大きな意味での自信。威張っちゃう自信じゃなく、自分はひとまず大丈夫という意味の自信。自分のことで一杯一杯になっていたら、まず他人に意識が向かない。あの人は大丈夫だろうか?と気持ちが相手に向かっていかない。

たとえば、同僚が何か大失敗をおかしたとしよう。自分に精一杯の人は、同僚が今どんなに落ち込んでいるかをまず推し量るゆとりがない。自分に自信のない人は、「ホッ。失敗したのが自分じゃなくてよかった」と思うだろう。しかし“やさしい女”は、就業中もその同僚のことが何となく頭から離れず、ちゃんとタイミングを見計らって、「何とかなるから大丈夫。元気出して!」と声かけるだろう。まさに人に関心をもち、人を許せる女だけがなせる業。それができる人は、少なくとも自分はそういう失敗はしない。しないから、相手を包み込めるのだ。

よく“自分が幸せじゃないと、人にはやさしくできない”と言われる。“今の自分にある程度満足していないと、人にはやさしくできない”と言われる。それだって同じ意味。極端な話、本気のボランティアも、自分自身の生活基盤がしっかりしていなければ、なかなか続かない。心からの手助けはできないのかもしれない。“やさしい女”もだから、自分のことで一杯一杯ではいけない。自分の境遇や自分の仕事ぶり、そしてまた自分自身にも、ある程度の自信がないといけない。繰り返し言うが、これは“人に見せるような自信”ではない。むしろ、“自信がある人ほど、モノ事に対して謙虚になれる”という意味での自信。そういうものがあって初めて、人はやさしくなれるのだ。

もし今“やさしくなれないこと”に悩んでいても、あわてる必要はない。やさしいふりをすることもない。例の“大失敗した同僚”を何とかなぐさめなきゃと近づいていっても、本当の意味で心から“他人に関心”をもつゆとりから出たなぐさめでないと、同僚にしてみれば「同情はごめん」となりかねない。なぐさめるタイミングやなぐさめる言葉、声のニュアンス、そのひとつひとつが、ゆとりと自信をベースにしたものでないと、やっぱり“よけいなお世話”になりがちなのだ。

だから、“やさしい女”になるのは、本当のゆとりや自信を身につけてからでいい。それを生まれつきもっている人はいるけれど、もってなくても、やがて年齢とともにしだいに身につくもの。自然に備わってくるもの。だから“やさしくない女”も今は、早く他人に関心が向くよう、早くゆとりがもてるよう、まずは自分の中に自信とゆとりを築くことに専念すべきなのかもしれない。

日本人のやさしさが、いよいよ危うい?

友人が駅のホームの階段を踏みはずし、踊り場に転げ落ちてしまったことがあったという。バッグの中の物がそこにバッと散らばり、脚をちょっと傷めたのか、すぐには立ち上がれなかった。渋谷のJRの階段。平日の昼間でも、昇り降りする人は絶えない。ところが、誰ひとりとして、彼女を起こしてくれようとしない。散らばったバッグの中の化粧品や定期を拾ってくれる人もいない。上から降りてきた女性などは、反対側の端っこへ、ななめに降りていったともいう。信じられないだろうが、昨今言われているように、それが現実だったのだ。 しかし、たった1人、やっと起き上がってちょっと汚れた服を手ではたいている時、「ダイジョーブデスカ?」と、小走りに寄ってきた男性がいた。大きな大きな黒人の男性だった。本来ならば、人として当然にも思えるその男性のやさしさが、妙にうれしくて、「大丈夫です。すみません」と言いながら、涙が出てきてしまう。すると彼は「イタイ?イタイ?」と本当に心配そうに顔をのぞきこんだ。日本人じゃないことがよけい悲しかったと、彼女は言った。

日本人はかくも、他人に関心がなくなってしまったのだろうか? 日本人はこういう時、“駅で転ぶことの恥ずかしさ”の方が先にたつ国民性をもっているから、転んだ人を見て見ぬふりをしてあげることが“やさしさ”であると思いこむフシがある。気を遣うところが違ってる。日本人のやさしさが今、本当に危ない。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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