連載 齋藤薫の美容自身stage2

愚痴を言う女、言わない女

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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プチケーキのように軽やかな愚痴は女同士に許された小さな癒しである。

アメリカに住む女性が久しぶりに日本に帰って、こう思ったという。日本では女同士がお茶のみながらおしゃべりするのは、要するにお互い愚痴を言うためなのね。確かに愚痴っぽいのは日本人の国民性。女が2人集まって、目の前にお茶があると、なぜか愚痴から会話が始まる。「ねえ聞いてよ。うちの会社の子がさあァ……」「聞いてくれる?彼がさあァ……」と、気持ちよさそうに言い出すのが常。そうなのだ。女同士で愚痴を言い合うのって、案外気持ちいい。言うほうも、聞くほうも……。そういう話題が両方から出てこないと、何だか座がシラけるような、間がもたないような……。日本の女にとって愚痴って、わりにそういうもののような気がするのだ。

愚痴は、“言っても仕方がないことを言って嘆くこと”。改善を目的とする“文句”とは、そこが決定的に違うし、文句が“動”なら、愚痴は“静”。文句は主に相手に直接言うものだが、愚痴においては相手は不在。聞いてくれる人だけが不満をもたなければ、誰にも迷惑をかけない。それで、ひとときの心休まるおしゃべりができるんなら、別にいい気もする。たぶん、女同士の会話は“自分が充分に幸せである”という話ばかりでは成立しないのだ。「私、彼がデキちゃって、もー幸せすぎちゃって」という話は、延々と言いつづけてはいけない。自慢も同様、女同士のおしゃべりにいちばん持ち出しちゃいけない話題だ。おしゃべりの素材としては、人の噂話や悪口も重宝するが、多少の知性があるとそんな話ばっかりもどうかと自制する。まだ自分の愚痴のほうが罪がないから、愚痴ときどき噂話……というふうになりがちなのである。

つまり、愚痴は適当に自分の立場を低く置く配慮ともなり、幸せいっぱいの自画自賛よりも、よほどおしゃべりの素材として罪がない。“彼と少々うまく行ってない話”などは、たとえばどうもソリが合わない同僚などと親しくなる上ではカッコウの話題。「あら、そうなの、じつは私も……」と、心を開いてくれやすい。要は、愚痴とは自分をテキトーに卑下しながら自分を開け放すことになり、女同士の心をテキトーに結びつけてくれるのである。ただしそこには公平感が絶対不可欠。つまり片方が愚痴をたらたら言う時、聞いているほうは「たいへんね」「ひどいわね」「困ったわね」と言わなければならず、それはそれで長く続くと苦痛に変わる。「じつは私もさァ……」と言いたくなる。お互いが愚痴る量は、バランスが取れていてこそ、心の共鳴につながるのである。つまり「お互い、たいへんね」という連帯感、それを生まない愚痴なんて、まったく何の意味もなさないもの。それができないなら、愚痴など口に出すべきじゃない。お互い、同じだけの小さな愚痴のプチケーキをつまみながらのおしゃべり、そこに意味があるのを忘れずに。

ここで何が言いたいか?愚痴はもちろん口グセにするものじゃない。これも“文句”同様、言えば言うほどクセになる。“ため息をつくと、口から幸せが逃げていく”と言われるが、愚痴はため息を言葉にしたようなもので、そんなものを口グセにしたら、小さな不幸がいっぱいしみついた容姿になる。だから愚痴は、女同士のおしゃべりに上手に使えばいいのだ。相手がグチりだしたら、自分もポロリと愚痴をこぼす。あくまでお付き合いとして……。そのくらいの計算ができないと、逆に人間関係は円滑に進まない。そして、その場の雰囲気をきちんと読んで、愚痴がそぐわないと思ったら、サッサと切りあげる。愚痴はその程度のもの。覚悟を決めて言うようなものじゃない。心の中の引き出しにしまっておいて、必要に応じて、たまにちょっとだけ引っぱり出してくる。出しっ放しになった愚痴は、女の人をぜったいキレイには見せないのだから。

そして不思議なことに、長い付き合いの女友達は、だいたいが愚痴の質や量がよく似ている。愚痴をポロポロ言う人の女友達は、やっぱりポロポロ愚痴を言う。言わない人の女友達は、やっぱり言わない。愚痴の量が極端に違うと、言わないほうがやっぱり疲れ、自然に関係が遠のいていってしまうものなのかもしれない。ただ逆に、こんな話も耳にした。“愚痴を言う女”って大キライとばかりに、一切の愚痴なしに、前向きな話ばかりをまくしたてる人には、やっぱり同じような疲れを感じて関係が遠のいていくものだと。おそらく、ため息のようにポロリと愚痴をもらすことは、相手にとっても小さな癒しになるのかもしれない。

そして大切なのはここ。女同士は、悩める性同士、ある種の悩みや辛さを分かち合う宿命にあるのだろう。でも異性との間でそれを分かち合うのは、あまり良い結果を生まない。恋人同士のデートの会話が愚痴のやりとりだったら、気づかぬうちに恋愛感情は冷めていくだろうし、幸せも遠のいていくだろう。男と女は、愚痴レベルではなく、何かもっと大きな試練が立ちはだかった時に、しっかりした支えとなって初めて、心の関わりを深めていく。とるに足らない愚痴を言い合っても、心は結びついてはいかない。せっかくできた結び目もしだいにゆるみ、ほどけていくだろう。恋人との間では、だから愚痴の引き出しを開けない。男と女は、常に前向きな話をしていてちょうどいいのだ。もしその相手と人生をともに歩いていきたいならなおさら、会話はムリしてでも前向きであるべき。アダムとイブの昔から、男と女はそういう会話をすべき宿命にあるのだから。

愚痴は、同じくらいの小さな不幸感を抱えた女友達とだけ共有する、知的なため息。そう覚えておきたい。男の前でため息をもらすと、きっと相手は去っていく。

考えてみた。上手な愚痴の言い方、まとめ方

せっかくなら、ポロッともらす愚痴にも、センスと思いやりが欲しいもの。よくない愚痴の典型は、同じことを何度も何度も繰り返す愚痴。愚痴はいくら話しても、そこで何かが解決したりはしない。なのにいつまでもいつまでも同じ内容で、愚痴りつづけるから、「たいへんね」「困ったね」の返す言葉も尽きてきて、相手を疲れさせてしまうのだ。だからまさにお茶と一緒にいただくお菓子のように、何口かで終わるコンパクトなものにまとめ上げたい。愚痴はもちろん、ネガティブな心から出ているから、人を決して元気にしない。少しの愚痴なら、相手を多少とも癒すことはできるが、一定量を超えるとストレスになる。その頃合いをよーく見極めて。

たぶん、愚痴が女同士の心を結びつけるのは、心を切りかえるように次の話題へさっさと移った時。その瞬間、一緒にその愚痴を清算し、一緒に問題を解決したような達成感があるからなのだ。だから、会えばまた愚痴られるかもとわかっていても、またおしゃべりしたくなる。それを達成感なく、そのままバイバイじゃ、あまりに後味悪い。ともかく、二口三口、ポツリと言ったら、自ら「でも、きっとなんとかなると思う」とか「私、よいほうに考えるわ」なんていう、前向きな言葉で愚痴をしめてこそ、私たちっていい友達かもという連帯感がうまれる。そこのところをどうかお忘れなく。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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