連載 齋藤薫の美容自身stage2

“いい子になる”のウソ

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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“いい子”は、愛されたい生き物。”いい人”は、人を嫌わない生き物。でもだから”いい人”の方が楽である。

“いい人”と“いい子”は、ハッキリと別の生きものである。“いい人”は、人とぶつからないよう、穏やかにたおやかに生きている善良な市民であるのに対し、“いい子”は「ひとりで“いい子”になっちゃって」などという表現があるように、その場その場で正しい存在であろうとする優等生。“目的”が明らかに違うことはわかるだろう。“いい人”が人と争わないための処世術なら、“いい子”はむしろ人に評価されるための処世術。そして、“やめた方が楽になる”のは“いい人”よりむしろ“いい子”の方じゃないかと思うのだ。 

子供の頃に親の前で“いい子”のふりをずっとしてきたというある女性は、大人になってからおそらくはその弊害であろうことに悩んでいる。あまりにも傷つきやすくて、会社勤めがなかなかできなかったりする。好感度はとても高くて就職試験は難なくパスするが、続かない。上司や先輩に多少とも強く注意を受けると、そのショックで何日も立ち直れない。つねにつねに、ほめられていないと不安になってしまうというのである。

しかも彼女は未だに親に対して、“いい子”であり続けようとしていた。だから、会社で傷ついたことなどもちろん言えない、体調が悪いと言って会社を休む。しかも自分は会社でとても評価が高いと、親には伝えている。会社を辞めることになっても親にそれを告げられず、それがまた大きなストレスになるという具合。人間は、親の前で“いい人”のふりはしないでも、“いい子”のふりは大人になってもやってしまう。つまり“いい子”のふりは基本的に自分のいちばん身近な人に対してやってしまうから、ウソにウソを重ねるみたいな形で、自分を追いこんでいきやすいのではないだろうか? だから“いい子”にはなるもんじゃないのだ。とりわけ愛を得られないと知った時の“いい子”は開き直りも手伝って、極端なゆがみを見せてしまいやすい。

つまり、“いい子”になろうとするのは、ひたすら愛されたいから。子供の頃に優等生であろうとしたのも、親の愛をひとり占めしたかったから。そう思うと、“いい子”はけっこうせつない想いの現れ。だから一概に否定したくはない。子供の頃に、母親から怒られたくなくて「いい子になるから」と言って泣いた健気な気持ちはウソではなかったし、大人になってせめて好きな人の前では“いい子になろう”と心に決めるのだって、相当にピュアな気持ち。だから、女はそこそこ“いい子”になろうとしてもいいのかもしれない。

問題は、その反対側で、「でも私ってホントはそれほど“いい子”じゃないもん」と思えるかどうか。そう思えないと、“いい子”は危ない。子供が自ら“いい子であろう”とするのはいいのだが、親が子供を手放しで“いい子”と信じ、「あなたはいい子ね、ホントにいい子ね」とほめそやす、たぶんそれが、子供を本当に弱くしてしまうのだろう。そして、ある日“いい子”じゃない自分を親に悟られたと感じたとたん、どうしていいのかわからなくなる。いい子のウソをそこまで大きく成長させてはいけないのである。

だから人は、「いい子になる」と言いながら、でもじつはそれほど私、いい子じゃないかもって舌をペロッと出すくらいの生き方をしていたい。でないとその場所その場所で、評価を決める人の目に自分がどう評価されるのかが優先して、じゃあ自分は何をしたいのか?どうしたいのか?がずっと後回しにされる。自分がいいか悪いかを決めるのはいつも他人、結果、人がコワくなる・・・・・・。だから子供の頃も、そして大人になっても“いい子”にあまり深入りすべきじゃないのだ。「いい子になる」と言いながら、ちょっと悪い子でいるべきなのである。

さて“いい人”と“いい子”はまったく別の生きものと言ったが、少なくとも“いい人”と“いい子”は同時になれない。それだけは確か。だから、今もついつい“いい子”のふりをしてしまうという人は、“いい子”を卒業し、意識して“いい人”になるように心がけてみてほしい。もともと“いい子”と“いい人”は一見よく似ている。でも決定的に違うのは、“いい子”は人に愛されたい生き物で、“いい人”はなるべく人を嫌わないようにする生き物。でもだからこそ、自分から人に優しくしないと愛されないのを知ることで、“いい子”は確実に“いい人”へ成長していく。“いい人”は “いい子”が更生した結果・・・・・・に違いないのだ。だから、“いい子”は必ず“いい人”になれる。しかもその方がずっと楽である。“いい人”は、“いい子”と違って愛されたいがために陰でもがいたりしないから、いつも心穏やかに人を愛せる。結果、ほのぼのとでも長ーく愛される。女として幸せに生きたいなら、“いい人”になること。これに尽きるのかもしれない。少なくとも、愛されるには、“いい子”より“いい人”が早い。

“いい子”は女に嫌われる分男に好かれる怪

いわゆる“ひとりだけいい子になるタイプ”が、あろうことか“ひとりだけモテてしまう”現実が、今の日本でもけっこう多い。女は女同士、“ひとりだけいい子になる女”を許さない。ましてや、そこが合コン状態で、男が同席していたら、女たちはよけい“いい子”を許さない。許すはずがない。

ところが、そういう場面で結果的にいちばんチヤホヤされるのは、その“いい子”だったりする。男たちの目は節穴なのか?そういう場所で、不特定多数に対し“いい子”ぶる女の計算がなぜ見えないのだろう?いや、間違ってはいけない。男たちはちゃんと見えているのだ。ひとりだけ“いい子”ぶっていることが。知っていて、認めてしまうのである。

そう、男は自分たち男に対してウソでも計算でもワザとらしくても何でもいいから“いい子”でいようとしてくれる女が好きなのだ。ひとまずそういう努力をしてくれる女が好きなのである。確かに“いい子”のふりをしている子供の母親も、ふりでも何でも“いい子”でいてくれればうれしい。より溺愛できるだろう。男も同じ。女の“いい子のふり”が大好きなのである。あとで“いい子”でないのがバレるのもまた可愛い。ただし延々いい子でダマして、最後の最後でヒョウ変する女ばかりは恐れられるが、とりあえず付き合いが浅いうちは“いい子”のふりはしたもの勝ち。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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