連載 齋藤薫の美容自身stage2

個性と欠点の分かれめ

公開日:2015.04.23

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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キレイじゃない個性なんて、サヨナラだ。誰の心も魅了しない個性なら、いらない。

人間の魅力は、もちろん“人と違うところ”に宿る。しかも21世紀はますます“個性”の時代。女優からOLまで、女も個性がないと売れない時代。ところが私たちは個性と非常識をよくはき違えてしまう。個性もちょっと間違えば“非常識”になり、個性を気どっていたら、いつの間にか周囲に嫌われてしまってたということにもなりかねない。だから聞いてほしい、個性と欠点のビミョーな分かれめ。

「あの人、変わってるね」あなたがもし、周囲にそう言われていたとしたらどうだろう。自分に限って、そんなことを言われているはずがないと思うだろう。でも考えてみてほしい。日常的なウワサ話の中で、ちょっとだけ誰かの悪口を言う時に「ま、あの人、変わってるからね」などと言って、話を終わらせることはよくあるし、逆に、ふつうの人ができないこと、たとえば早朝、街のゴミ拾いなんかをしている人を、ほめ言葉の延長として「あなた、変わってるよね」と面と向かって言うこともある。いや、もっと安易な理由で、私たちは周囲の人間を“変わってる”と言っている。たぶん“自分と違うことをする、または違うことを言う人間”は、みんな“変わってる”のだ。つまり“普通の人”なんてそうそういない。みんなどこかが“変わった人”なのである。

しかし人との会話において“変わっている”と言われていたら、とってもマズイ。それは間違っても個性じゃない。人と話を合わせる常識を持ち合わせていない、明らかな欠点と言っていい。もっと言えば、人の心が読めない、その場の空気が読みとれない、重大な欠点と考えてもいい。そういう “変わりもの”にだけはなっちゃいけないのである。

でも、じゃあ、ファッションの個性はどうなのか?確かに、みんな横並びのファッションで安心している日本的な“没個性”は、評価された例しがない。日本の女はことに個性的であるべきだとさんざん言われてきた。しかし、誰も着ないような服で、みんなと遠くかけ離れたファッションをすることを、“個性的”ですませて本当にいいんだろうか。不思議なファッションをする人は、やっぱり会話でも一人浮いてしまう。

そういう個性は、誰が見ても美しさを感じないから、間違った個性と言うほかない。ファッション上の“個性的”は、たぶん誰でもが手を出せるような服を使って、誰にもできないようなコーディネイトをするか、もしくはいっつも黒い装いとか、いっつもハイソなカジュアルに徹してるとか、自分流のオシャレを確立させてる人にしか当てはまらない“ほめ言葉”。個性とは、“ただ人と違うこと”を指すのじゃなく、本当は“その非凡さで人を魅了すること”を指すのだから。メイクも髪型も同じ。それが美しくなければ、ただの“変わった人”になりかねない。そこのところ、ぜったい間違えないでほしい。個性はたまに、社会性のない人、非常識な人、世の中が見えていない人の言い訳にされる。また時には、自分勝手な人、人の心が読めない失礼な人の隠れミノにされる。それじゃ個性がかわいそう。それが輝いていないなら、個性とは呼べないと割り切るべきなのだ。

性同一性障害に悩んでいた女性の競艇選手がカミングアウト、男性選手として再スタートするという記者会見を開いたことが、大きな話題になった。体は女、心は男……それを一種の“病気”と見る人もいるが、非常に強い個性と見る人もいる。しかしどちらにしても、この人はなぜ今、それを自ら世間に公表して、新しい人生を始めたのだろう。単に、女のまま生きることに耐えられなくなったから……ではないと思う。じつはこの人、女子の大会で優勝し、“第一人者”と言われる立場にあったという。たぶん、今の自分が輝いているからこそ、その非常に強い個性を自信をもって世に問うことができたのではないか。今まで引け目を感じていた“人と違うこと”。

でもそれを“単に人と違うこと”じゃなく、立派な個性としてアピールする自信がもてたからこそ、同じ“個性”に悩む人のためにも……と思って立ち上がったのではなかったか。つまり、“個性”とただの“非常識”のビミョーな違いを正確に見極めて、世間が受け入れてくれるかどうかを正しく判断できる目は、世の中をよーく知っている、きわめて常識的な目。だから個性で成功する人は、じつにまともな人間性の持ち主なのかもしれない。

個性とは、いつも輝いているもの……そう考えてほしい。人からただ浮いていて、誰の心も魅了しない個性ならいらない。個性が尊重される時代だからこそ、それを強く言いたいのだ。アインシュタインもモーツァルトもピカソも、人を感心させたり感動させたから、ただの変人で終わらなかった。今、その違いを見つめて、個性の時代に挑んでいく女が美しい。あなたの個性は、光っているだろうか?本当に個性と呼べるものだろうか?

“キレイじゃないけど個性的”は、ウソである

「あの人、美人じゃないけど、個性的よね」という言い方がある。女にはそれ、よくわかる。いわゆる“黄金比”にのっとった美人顔に当てはまらないと、“個性的”というほめ言葉で救ってあげるみたいな発想。しかし、たとえばだ。男性に、知り合いの女性を紹介する時、“うーん、美人じゃないけど、個性的な人よ”と言ったりすると“だったら、パス!!”なんて男は言う。いや、彼らは、“いわゆる美形じゃなきゃ許さない”とゴーマンなことを言っているわけではない。“個性的”と言われる女性は、広い意味で美人であり、魅力的でないといけないと思っているのだ。

逆に言えば、男にとっての“美人”とは、女が考えている“美形美人”とは定義が異なり、基準は厳しいが、魅力的なファニーフェイスもセクシーなクセ顔もひっくるめて美人と呼ぶ。つまらない美形顔より、そっちの方が魅力的だと思っている。だからどんなに個性的であろうと、その女性に魅力があれば、それは美人。いわゆる美形男より、ちょっとくずれた男の方が女にモテたりするのとそれは同じ。キレイじゃない個性なんてサヨナラなんである。

女は、“個性的”をキレイじゃないことの言い訳に使う。キレイのすべりどめに使う。でも、男は“個性的”はキレイな女性にしか使わない。そして、2つの異なる定義づけにおいては、男の言い分の方が正しいと思う。美形じゃないならいっそラッキー、個性美を目指しましょう。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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