連載 齋藤薫の美容自身stage2

出直す女と引きずる女

公開日:2015.04.23

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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本当に”もったいない”のは、長い恋愛をダメにすることじゃなく、他の恋愛を知らずに終わることである。

たとえば、彼と別れたような時、引きずらない方がいいに決まってる。出直す方がいいに決まってる。そう、簡単に出直すことができたら、何も苦労はしない。じゃあ人はなぜ、引きずるのか?

これはもう答えは明らかだ。人はだいたい、自分の人生の選択肢はいくつもないと思っている。つまりこの人と別れてしまったら、自分には一生“恋人”などできないかもしれない。この会社を辞めてしまったら、自分を認めてくれる会社はもうないかもしれない……みんな、そう思うから、引きずるのだ。自分が生きられる人生は、ひとつかふたつと思っているから、ひとつの事柄に執着してしまうのではないのか。自分はいくつもの人生を選べる立場ではないと思うから、さっさとそれを終わらせて、次のコースを歩き出すことができないのではないのか。

でもみんな間違っている。人生の選択肢は、無限にある。しかも今の日本の独身女性は、世界でもいちばん選択肢をいっぱいもってると言っていい。結婚したら、子供ができたら、選択肢は突然減るし、男は男というだけで、まっとうな仕事をもち、家庭をもってそれを支えていかなきゃいけないという義務感を宿命的にもたされる。でも、女は幸い、何をしていても、逆に何もしていなくても、男よりカッコがつく。“家事手伝い”という選択から、“海外留学、そのまま移住”という選択まで、幅広くカッコがついてしまうし、どこでどう暮らそうと行方不明にならない限りは後ろ指をさされない。ひょっとすると、そこまで選択肢が多いからこそ、早いとこ結婚して子供をつくって……と、自分の選択肢を逆に無意識にせばめていこうとしてしまうのかもしれないけれど……。ともかく日本の独身女性は生きるコースを無限にもっている。それをまず多くの人が、忘れてしまっている。自ら選択肢をせばめながら、その狭い選択肢に自ら執着してしまう。その悪循環に、みんな気がついていないのじゃないか。

何かに失敗して、ゼロにもどった時、あるいは誰かと別れて、“ひとり”にもどった時、自分の選択肢が無限にあることに気づいている人は、少しも慌てないし、少しもひるまない。たぶん悠々と、次のコースをさがすのだろう。前のコースを引きずりながら、後ろを振り返り立ち止まって、前へ行けないなどということはないだろう。これを逃したら、次がない、だからしがみつこう……などとは思わないはずなのだ。

確かに、3年つき合った彼と別れる時、その3年が無駄になる……と思うかも知れないし、5年勤めた会社を辞める時、そのキャリアや忍耐が無駄になるような気がする。そう思うのは仕方がないのかもしれない。しかし、そこで“もったいない”と思うのは間違いだ。本当に“もったいない”のは他の人生、他のコース、他のチョイスを試せないこと。

そう、“もったいない”を何に対して思うか? その違いが、“引きずる女”と“出直す女”を分けるのだ。一回きりの人生、いろいろ見てみないともったいない……たぶん女も、大学入学くらいの時まではそう思っているはずである。ところが、結婚を意識する最初の恋人が現われるあたりになると、早くも“もったいない対象”が、“一回きりの人生でいろいろできないこと”じゃなく、“その恋愛を無駄にすること”になっている。それ、すごい変わり身だ。大きく広く、人生を見ていこうとしていた学生が、数年たったら、もう一個のコースも捨て去れない大人になってしまうのだから。

でも、“一回きりの人生をいろいろに生きたい願望”は、人間の普遍的な欲望のひとつ。だから“安定”を求め自ら選択肢をせばめて、早々と落ちついてしまった主婦が、30代後半くらいになって私の人生には別の選択肢もあったんじゃないかと、不倫に走ったり、仕事したい病でノイローゼになったりすることがよく起こるのだ。自分の人生、こういう平凡な生活に全編使っちゃうなんて、もったいない……そう思うようになってしまうのだ。から女はギリギリまで選択肢をしぼらず生きていきたい。早々にしぼってしまっては“もったいない”と思おう。そして、うまく行かない恋人と別れる時、それで別の選択ができると喜ぼう。いくつものコースが体験できることをラッキーと思うのだ。

ただし、司法試験に何度も挑戦するような場合、話は別。努力が足りないで落ちる、運が悪くて失敗する……それが明らかならば、気のすむまで引っぱればいい。引きずるだけ引きずって成功や達成を手にできるものなら、引きずるべきだと思う。引きずるのは、出直すより、よほどエネルギーのいること。そのエネルギーがあるなら引きずればいい。しかし、もうどうにもならないことを引きずるエネルギーはまったく無駄だ。

妻子ある不倫相手の“離婚”を待つような場合、相手が待ってほしいと言い、自分も待ちたいと思い、“黙って待つ努力”ができるなら、それはもう“引きずる女”じゃない。見込みもないのに未練だけで切れないのが“引きずる女”。努力しているうちは、“引きずる女”にはならないのである。“引きずる”をあらためて辞書で引くとこう書いてある。〈1〉下にすって引いていく。〈2〉無理に連れて行く。〈3〉長引かせた状態でいる。そこには喜びもなければ、達成感もなければ、生き生きしたパワーも感じられない。努力は喜びがあるからこそ、続くもの。喜びのまったくない努力は、やっぱり間違いなのだ。100%辛いだけの努力など、ありえないと考えてほしい。そういう意味で、あなたは何かを“引きずる女”になっていないだろうか。

さて、スポーツでも、ミスを引きずる選手はぜったい勝てないが、ミスをバネにしない選手はミスを繰り返すという。ミスを繰り返すたびに、顔が引きしまっていく選手でないと勝てないともいう。つまり“懲りない女”と“出直す女”はぜんぜん違うということ。“懲りない女”は同じコースで同じ失敗を繰り返すが、“出直す女”は二度と同じ轍は踏まない。引きずられないが、心と体にその失敗を刻みつける女が“出直す女”。さあ、あなたは“出直す女”として生きているだろうか。

引きずる女は見た目でわかる?!

“情念の女”をやらせたら、この人はスゴイかもと演劇関係者に言わせた、若手女優がいる。意外だが、それはあの井川遥。で、早速恋の恐さを描いた『HAKANA』の舞台で、情念メラメラの女を演じることになったらしい。最近はさすがにイメージが変化してきたが、少なくとも井川遥がブレイクした理由は、“希代のいやし系”ということにあった。でもわかる。この人は、確かに情念が強そうだ。

まず、唇の厚みは、情の深さを意味するようで、この人の際立ったふっくら唇はなるほど情のかたまりだ。また、ふくよかな桃肌も、一人の人を愛したらとことん想いを貫きそうではある。そして、とてもつぶらなくるっとした目は、男から見たらたまらなく可愛いのだろうが、そういう目でこそ上目づかいににらまれたら、男はゾクッとくるほど恐いものらしい。そういえば、奥菜恵も同じ顔で男に人気。そうか、一見可愛い人形のような顔ほど、つまり男をほんわかいやしてあげる優しさこそ、立場が変わると激しい情念に変わるのだ。

引きずった経験はまだないけれど、引きずるかもしれないと不安な人は、ちょっと鏡をのぞいてみてほしい。お人形系のいやし顔は、その裏に強い情念を秘めている。おどかすわけじゃないけれど、そういう可愛い顔に引きずられたら、男もおいそれとは捨てられないから、泥沼になりやすい。“引きずる女”の資格充分ということで、理解しておいてほしい。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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