連載 齋藤薫の美容自身stage2

人のせいにする女の人生

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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たとえば、失恋から立ち直れるのは、「あんな男を選んだ自分が悪い」と気づいた瞬間である。

“人のせいにする”のが良くないことなのは全員が知っている。それでも、ほぼ全員が、何かしらを“人のせい”にして生きている。たぶんそうでないと、世の中ぜんぜん上手くまとまらないからなんじゃないだろうか。

子供の頃、家の中では、「だってお姉ちゃんがいけないんだもん」などと、相手のせいにしまくっていたが、そんな時は親が「そうね、今のはお姉ちゃんが悪い」、「でもこれはあなたが悪い」と、いちいち誰のせいなのかを明らかにしてくれた。でも一歩社会に出ると、本当は誰のせいなのか、よく解らないことがたくさん存在する。仕事がつまらないのは、自分にやりがいある仕事を与えない上司のせい?魅力ある同僚がいないせい?でもそんな部署に自分を配属した会社のせい?そんな会社を受けろ受けろと強くすすめた就職部の先生のせい?いや女子学生はそんな会社にしか就職できない“就職難の時代”のせい?つまりそういう不景気を改善できない小泉さんのせい?……という具合に、とめどなく犯人を発展させていくこともできるわけで、そこで「すべては今の世の中が悪い」と思えれば、いっそ気持ちは楽になる。ただ犯人を小泉さんまで持っていきながら、“でもひょっとして自分のせい?”という疑念がわずかでも頭をかすめないと、とってもマズイ。

つまりこういうこと。人間、自分の失敗を100%“人のせい”にするほどバカじゃない。多少とも、“誰かのせい”にできるようなことなら、ムシャクシャしてもいるだろうし、とりあえずその誰かのせいにして、「まったくもう!」と心の中でイカっていればいい。ただそれで気がすんだら、「でも半分は自分が悪いのかも」と最後に思うべきなのだ。自分が関わる物事すべて、責任の半分は自分にある。であるならば、相手がほとんど悪い場合でも、半分は自分のせいにして終わらないと、人生逆に辛くなる。

なぜなら他人のせいにして事を終えても、よほどの極悪人でない限り、“後ろめたさ”が必ず残る。そもそも“人のせいにする人”は、いつでも何でも“人のせい”。だから、“後ろめたさ”はどんどんたまり、その反動で誰にも責められていないのに、“自分は正しい”ってことを一生懸命に強調する人間になりがちなのだ。ふだんから無意識に“自分は正しい”と言ってまわっているようなタイプは、きっと今までずっと“人のせい”にして生きてきたに違いないのである。

しかし“自分はいつも正しい”を貫くのも、なかなかキツイことである。だって完璧でないのが人間で、間違えてしまうのが人間で、いつも正しいワケないのが人間。その事実を隠して生きるのが辛くないはずがない。同様に「ごめんなさい」を言えない人も、じつは辛い。ひとこと言ってしまえば楽になるものを言わないから、“後ろめたさ”が知らないうちにたまっていく。それはドロドロの血液みたいに体にたまるので、やっぱり精神的に不健康になりがちなのだ。でもなぜ人は、そんなに辛いのに、“自分のせい”となかなか認められないのか。ひとつは“人のせい”にした方が楽チンだとカン違いするからだが、もうひとつは“考えること”を面倒がるからである。

最後の最後に“半分は自分のせい”と気づいて終わろうと言ったのも、すべての物事を一度分解して考えてみれば、最後に必ず“自分の問題”に行きつくようなしくみになっているからなのだ。誰かと感情的にもつれた時、その原因を浅く簡単に30%しか考えなければ、“悪いのは相手”と思うから腹がたつだけ。60%考えたとしても、相手の性格を分析して「ああいう人だから、こうなるのも当然」みたいに多少冷静になるが、依然として“自分の責任”に気づかない。そこで止めずにじっくりゆっくり100%まで考えれば、「でも自分にも問題があるのかも……」と気づくことになるはずだ。それがすなわち反省。最後まで考えるクセをつければ、自然に反省ができて、“自分が正しいこと”を喧伝する必要などなくなるはずなのだ。

いちばんマズイのが、誰かのせいにしなきゃすまないことが起こった時、第三者である友だちや家族にそれを話し、味方につけた上で“人のせい”にしちゃうこと。そういう時、「悪いのはあんたの方でしょ」なんて誰も言わないから、10%も考えずにめでたく“人のせい”にして事が終わってしまう。第三者と一緒に誰かを悪者にしてしまえば、確かにその場では胸がすっとするだろうが、いつか必ずその反動が形になって返ってくると考えて。

ともかく母親がどちらのせいかをハッキリ決めてくれた子供の頃の小さな社会に生きているのではない。“自分も悪い”と気づくところまで考えるクセをつけよう。やってみればわかるが、不思議なことに、“自分のせい”と思った瞬間、心がすっとする。そう、ちょうど恋人に裏切られた時、最初は相手をメチャメチャうらんでも、立ち直るときは必ず「そういう男を好きになった自分が悪いのだ」と気づいているように。すべてのモメごとは、“自分も悪い”と思った時、完全に清算できるのである。

“人のせい”でキレイになれない女、2つの場合

子供にまだ手がかかるから……と自分にかまわなくなる母親は、世間にごまんといる。その人たちに「子供を言い訳にして、美容をサボるなんてダメ。どんどん女でなく、“お母さん”になってしまうわよ」と言うことは簡単だ。でも子供を抱っこしていながら、丸一日を美容とオシャレに費やしているみたいなピカピカの母親を見ると、逆にとても違和感を感じてしまうのは確か。ヤマンバのまま乳母車を押している母親たちは別として、美容に必死なことが目に見えている姿のまま乳母車を押されると、美容も子供も少しかわいそうな気がする。逆を言えばスッピンで飾り気がなくても、その人が子供を抱いていると、セットで美しく見えたりして、“子供を言い訳にメイクをしない”美容もあるのだと思ったりする。

自分は何をしてもダメだから……と、キレイになれないことを“自分のせい”にするのはいけないが、誰かのせいで、誰かのために一時期キレイでなくなってしまうキレイもあるということなのだ。もし“人のせい”でキレイになれない最低の例をあげるとすれば、「おまえブスだな」なんて冗談を言われた過去を引きずって自分はブスと決めつけて何もしない人。言うまでもないが、そういう場合は「なにくそ」と立ちあがり、キレイになってそいつを見返す、“人のせい”でキレイになっちゃう道を選ぶべきなのである。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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