連載 齋藤薫の美容自身stage2

外面の良さはバレている

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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外面がよくても得をしない時代。陰でコツコツ頑張る人が最後は勝つしくみができてきた。

近ごろ流行りのタレント、たとえば菊川怜のような旬の女性を取りあげて、「じつは理屈っぽいに違いない」というような性格分析をするのが、女たちの間で今、趣味化している。まあ、ランチの話題などにおいては、同僚をターゲットにした危ない会話をするよりはぜんぜん罪がなく、ある種のストレス解消にはなっている。ともかく、特定の人物の性格をああだこうだと分析し合うのは、人間にとってひとつの快楽。それなりに鋭い分析ができると、相手をどこかで知的征服できたような気がしてしまうからであり、仲間うちでそれをやると、どこかの研究室が力を合わせてドえらい発見をした時のように、強い連帯感が生まれるから、チームワークを育てる上では格好の話題となりうるのである。

それにしても、今どきの女たちの分析は鋭い。美人のタレントや有名人を片っ端から悪く言ってしまうと、ちょっとひがんでいるみたいで美しくないかなという、バランス感覚による制御もきちんと利いていて、わりに都合がいいのは、そういう女性タレントと電撃入籍したような男を、ああだこうだと分析し“征服”することで、その一見幸せな結婚にケチをつけるみたいな分析。しかし、それが「なるほど、その通り」」とヒザをたたいてしまうような鋭い分析が、たとえば中山美穂の結婚などでは、本当に全国津々浦々、よく聞かれたはずである。女たちはいつからこれほどの分析力を身につけたのだろう。いかに情報社会だからと言って、人間の内なる性格が丸見えになるような情報があるわけじゃない。

これもたぶん、女が外で働くのが当たりまえになり、一人一人が自分を社会でアピールするようになるにつれ、学生時代には会わなかったタイプの人間と会い、学生時代にはなかった人間関係を営むようになり、だからもともと人間分析が好きだった女の本能に火がついてしまったのではないかと思う。女を主役に日常のひとコマを切り取った、いわゆる連ドラや映画につかる生活も、人間分析力を育てるが、むしろ今の複雑な社会が生む人間関係のストレスが、女たちの分析力を研ぎすませていると考えてもいいのである。

少なくとも子供の頃に読んだ「シンデレラ」や「白雪姫」のように、良い人と悪い人がきっぱり二分される単純な社会ではなく、多かれ少なかれ猫をかぶるのは当たりまえ。昔みたいに、絵に描いたような意地悪な女があまりいない分、外面と内面が違う女は増え、だからいっそう、性格分析が意味をもち、分析力も鍛えられるというわけなのだ。

というわけで、今の時代、外面の良さはけっこうバレている。上司には“よく仕事をする素直ないい子”のふりをしている要領のいいOLの本性も、じつはけっこうバレている。確かに、この世でいちばんカンが悪いのは、オヤジ世代の上司だったりもするわけで、知らぬは部長ばかりなりみたいな世界はまだあるが、それにしても、昔よりは“いい子ぶるOL”の立場は悪くなっていると言っていい。世間の目は、そんなに節穴じゃなくなっているのである。

逆を言えば、今の時代“ワリに合わない仕事をさせられているOL”や、“陰でコツコツよく仕事をするOL”の存在も、誰かがどこかで必ず見ていると考えていい。もっと言えば、どんなことでも“お天道様が見ている”と考えるべきなのだ。少なくとも今、陰で悪いことをやっていると必ずバレる時代。外務省疑惑から始まって、ムネオ疑惑もマキコ疑惑も一気に表ざたになり、雪印も日本ハムも、外面の良い会社の悪事はみんなバレ始めている。しかしそれも、政治家や一流企業レベルでの話ではすまされない気がするのだ。 

ここにひとつの法則が見えてくる。表面だけを取りつくろっている人を今の世の中、もうあんまり相手にしなくなっているが、表面だけを取りつくろい、しかも世に出ていこうとする人を世の中は許さないという構図。“出る杭は打たれる”は、世の常だけれども、その杭がちょっとでもニセくさいと、もう完膚なきまでに打ちのめされるという法則ができあがりつつあるわけだ。

だから今こう思う。ただ外面がいいのはいい。人に対して感じがいいとか、誰とも争わないとか、誰にでも優しいとか、そういう外面の良さはいい。でもその外面を利用して人より前に出ようとするのは、許されない。その外面を利用して、何かを狙っても失敗する時代なのだ。だから“計算のある外面”はもう無駄である。人と会うと思わずニコニコしてしまう、天然の外面だけで生きていくべきだ。そしてむしろこれからは、陰でコツコツ頑張る人の方が結果的に勝つ時代のような気がしてきた。現代人は少なくとも人を見る目だけはいい。人がどんなズルをやっているか、人が陰でどんな努力をしているか、そういうものを見極める視力はすこぶるいい。だから私たちも世間を侮ってはいけない。世間さまはきっちり見ている……のである。

天然の外面の良さは、女を老けさせない

いつもニコニコしていて、誰にでも感じよく接する外面の良さは、とりあえず女の財産であると言っていい。誰にでもニコニコできる八方美人を非難する女は、そういう外面の良さをもちえなかった自分の運命をうらめしく思っているだけ。女は天性の八方美人である方が、誰が見たって得なのである。しかも天然の外面の良さは、30代以降、意外なところで役に立つ。

外面とは文字通り、外に向けた顔のことで、他人に対し反射的に“いい顔”を作ってしまう性分の女は、外面など気にしない女より、必ず若くいられる。少なくとも、人と面と向かうとまるでスイッチが入ってしまったように顔の筋肉に緊張を走らせ、外向けの顔になることは顔の筋肉をいつまでも衰えさせず、40代で5歳分、50代60代で10歳分くらいのリフトアップ効果につながると考えてもいいからだ。電話を取る時も第一声の「もしもし」が一オクターブくらい高いのは、女だけの外面。とっさに自分を、若く上品で機嫌のいい女に見せようとする意識が、まさにスイッチが入ったように、高く澄みきった華やかな声を出させるわけだが、この反射神経が、オバさんに首までつかった自分をハッと我に返らせる。その見えない警告が日常的に行われている限り、女は完全なるオバさんになりきらずにすむのだ。実際「もしもし」が一オクターブ高い人は、いつまでも若々しい。外面は極めて重要な美容なんである。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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