連載 齋藤薫の美容自身stage2

人と比較する人生は空しい

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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人と自分を比較するなら、羨むのではなく、最後まで比較しつくし分析せよ

ひとつの結論から言えば、他人と自分を比較するから、人間は辛いのだし、隣の芝生は必ず青く見えてしまうから、人間は辛いのだ。まず、「私は幸せではないかもしれない」と思う時、人は必ずどこかで“幸せな人”と自分を比較しているし、あらゆる嫉妬は、比較から始まる。もしも、人と自分をまったく比較しなければ、人間もっとずっと楽になるし、もっとはるかに幸せな瞬間は増えるはずなのだ。

しかし、自分が比較したくなくても、学校は、社会は、人と人をさまざまに比較してきた。成績優秀者の名前が廊下に張り出されたりは、まだいい方で、成績によってクラス分けしたりする学校も現実にあったわけだし、男子が勝手に「ミス3年2組」の公開投票などをして女子を傷つけた。そもそも“偏差値”は比較の象徴、私たちは比較されること自体に慣らされてきた。だから大人になっても、自ら他人との比較でものを考えるクセがついている。そのために、何をやってもどうせ人には勝てないからと、最初から諦めてしまう諦めグセがついてしまっている人もいれば、いつも“平均”でいた方がいろんな意味で楽だし安全と考えてしまう人もいる。そして一方、人と比べて上位にあろうとばかりしてしまう人もいる。

何もヤル気が起こらないのは諦めグセ。ファッションから仕事から結婚まで、すべて人と同じであろうとするのは、“平均願望”。妙なエリート意識は、言うまでもなく上位でありたいから生まれるもの。どう転んでも、“比較”は、人を良い方向へ導いてはくれない。日本人に自立心や個性が育ちにくいのも、明確なクラスがないのに加え、比較する社会であるからだとも言われる。つまり私たち日本人には、根底に“比較する心”が流れてしまっていると言わざるを得ない。多少の比較は、もう仕方ないのである。 

でも、自分自身も含めた私たち日本人の中にある“比較する心”に、ひとこと言いたい。人には、“決まっている人生”と“決まっていない人生”がある。顔やスタイルや頭の良さや生まれ育ちは、生まれつき決まってしまってる。しかし、それ以外は全編自分で決めるもの。ほとんどの人が忘れがちだが、今生きている生活は、良くも悪くも自分自身で決めたものなのだ。不満だらけでも、元はと言えば自分が選んだ生活。辛いことだらけでも、やっぱり自分が選んできたことの積み重ね。逆に“幸せすぎてコワイ”と思うような瞬間も、運が良いのではなく、何らか自分自身が積み上げてきた人生の結果なのだ。そして、この2つの人生のうち、“自分で決められない人生”を人と比較してしまうのは仕方ないが、“自分で決められる人生”を人の人生と比較するのは、おかしい。 

顔やスタイルや頭の良さ、生まれ育った家に関しては、比較するなと言ってもしてしまう。なぜ自分はこんな顔に生まれたの?A子ちゃんみたいに可愛くないの?なぜ自分はB子ちゃんみたいなお金持ちに生まれなかったの?子供の頃、そういう葛藤があるのは無理からぬことだが、でもひとたび“自分で決める人生”を始めたら、もう人との比較をやめるべきなのだ。というより、子供の頃に、A子やB子との比較によって、自分に足りないものをよーく知っておけば、じゃあ自分には何が必要か、自分は何をするべきかを見極められる……そのために、子供の頃のA子B子との比較の時代があるのじゃないか。つまり、大人になって“自分で決める人生”で、他人をいたずらに羨ましがらないためにこそ、子供の頃の無邪気で残酷な比較があるんじゃないのか。A子よりキレイじゃないなら、A子より優れている才能をのばして、将来に備える計画なら若いうちに立てられるし、B子ほどお金持ちのうちの子じゃないなら、B子より勉強を頑張って、いい仕事につけば、結果自分の方がお金持ちになれるかも……と、若いうちに思っておくべきなのだ。

そして、ひとたび“自分で決める人生”が始まったら、今更のように、私はA子よりブスだったから幸せになれないんだとか、B子より貧乏だったから、何もかもウマくいかないんだなんてことを蒸し返してクヨクヨ比較するべきじゃない。まして、“自分で決めた人生”を“人の人生”と比較して、あっちの方がいいなんて、ウジウジ言ってはいけない。隣の芝生が青く見えるなら、隣よりもキレイな花が咲く庭を、自分で作っていけばいいのだし、明日からの人生もすべて自分で決めるのだから、他人との比較は無意味。それでも人と比較したいなら、ただ羨むのじゃなく、その人と比べて自分には何が足りないのか?をつかむまで、徹底的に比較すべき。途中でやめずに最後まで分析して、自分の人生に応用すべき。 

スポーツジャーナリストの乙武洋匡さんが、自分で自由に移動するために特殊な車を依頼して、運転免許をとったという。この人は子供の頃におそらくいやというほど人との比較を強いられて、でもその大きすぎるハンディに屈することなく、自分に足りないものを埋めて埋めて、“自分で決める人生”を、恐るべき逞しさで生きている。だから今、隣の芝生が青いなんて、たぶん全然思わずに自分の庭の花をどんどん増やしてる。

人と比較する時期はもう終わり。今は、比較しているヒマがあったら、自分で決められる来年の自分にもっと情熱をかけてあげるべきじゃないのか。隣の芝生をのぞいているヒマがあったら、自分の庭の花をひとつでも多く咲かせるべきじゃないのか。大人になってからの比較はもう、何も生まない。

美容においては、人と自分をとことん比較せよ!

大人になってからも、他人と比較していいことがふたつある。ひとつは、ともかくエライ同年代、立派なことを成し遂げた同年代との比較。同じだけしか生きてないのに、どうしてこんなに違うんだろうと、ただへこんで自信を失うのではなく“その人にあって、自分にないものは何なのか”を徹底的に比較する。つまり、うわべの比較じゃなく、自分に足りないものは何かを見つけるところまで比較しきることなのだ。

もうひとつは、美容上の比較。目を見はるほどキレイな人を見た時、あら、負けちゃったワ……ですますことなく、その人がなぜ目を見はらせるのか、自分はどこがどう負けているのかを徹底的に見極めること。自分とは大違いと匙を投げてしまうのなら、比較なんてしないこと。相手にあって、自分にないものがわかるまで、考えて考える。

それがわかったところで、落ちこむだけじゃない?というかもしれない。でも大切なのはむしろ、美容において?考えるクセ?をつけること。私は、今の美容にいちばん足りないのは、考えることだと思っている。情報がありすぎ、化粧品がありすぎるから、考えない。比較の分析さえしなくなっている。「なぜ?」「どうして?」それが何より必要だから、自分よりキレイな人を見たら、徹底比較する。それがクセになった頃、人にはいつの間にか、新しいキレイが身についているものなのだ。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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