連載 齋藤薫の美容自身stage2

あとを引く女

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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“正しさ”はあとからしみじみわかるもの。だから”正しい女”は分かれたあとで必ずあとを引く。

別れて10年たっても、あとを引く女・・・・・・男に言わせると、そういう女性がたまにいて、月日がたつほど別れたことを後悔させるらしい。女のほうはそんなこと知るよしもなく、ましてや戻る気もない。ただ別れた男の心に住みつづけていく女・・・・・・せっかくなら、そういうふうに男の記憶に残ってみたいもの。

男のほうからふった場合にも、“あとを引く女”は存在しうる。つまり“あとを引く”は基本的に未練とは違うのだ。未練は、恋愛感情というあいまいな感情が、くすぶりつづける炭の火みたいに残っている状態を指し、だから放っておけばやがて完全に消えてしまうはずのもの。けれども“あとを引く”は、まさしくあとを引くおせんべいみたいに、もう一枚食べないと終わらない。だから食べられないと、その“おせんべい”自体がどんどん偉大なものになっていく。もうおそらくは元に戻らないだろうとわかっているからこそ、心の中で相手の存在が逆により大きく鮮明になっていく・・・・・・。それが“あと引き”なのである。 じゃあ一体、“あとを引く女”とは誰なのか?

結論から言うなら、正しい女。正しさは、あとからしみじみ心に染みてくるものだからである。恋愛は時に正しいことを正しいと言わない。正しいことが正しいと認識されなかったりする。恋愛感情というのはだいたいがとても身勝手で、好きになったら何をしてもいい、逆に愛しているならここまでしてちょうだい、と男も女も“愛”の名のもとに言いたい放題、やりたい放題になりがち。“愛”は確かに万能だが、身勝手を通すまでの効力など本来はもちえない。第一に、恋愛の愛は“愛”ではないことがほとんどで、“ホントの愛”は正しいことを正しいと言うが、“恋愛の愛”は正しいこともひん曲げてしまうエクスキューズとなりがちなのだ。

そもそも恋愛感情はかなり架空のもので、ひとたび冷めてしまうと、憑き物が落ちたように我に返ったりする。だから、道徳観や倫理観などがはさみこまれる道理がないし、正しい人の正しさをしみじみと評価するなんてヒマもない。恋愛中は駆け引きに勝つことや、結婚まで持ちこむことなどでじつは頭がいっぱい。相手の人間性をじっくり見極めるヒマなどない。だから“正しい人間性”はどうしても見落とされがちなのである。女として可愛いかどうか、気がつくかどうか、あるいは気の強さや頑固さなど、恋愛において日常的に顔を出す性格は熟知できても、その根底にある“人格”みたいなものを正確に見極めるのは、ハッキリ言って20代の恋愛ではムリなのだ。

しかし、“人としての正しさ”は、日々のいろんな言動から形のないまま見えないまま、相手にインプットされていっている。たとえば、彼が予約した店なら料理がまずくても決して「マズイ」と言わないとか、自分は残業で疲れていてもデートの時は疲れた顔を見せない、仕事のグチも言わないとか、その時々では見逃してしまうような、正しいけれど地味なことがいつのまにかたまっていく。別れ際に悪態をつかなかったことなども・・・・・・。ところがそういうことは別れたあと、煙幕みたいな恋愛感情が消えるやいなや、すっきりした脳に急に思い出されてくる。別れた女がもっていた、人としての正しさ優しさ温かさが像を描いてきて、時間がたつほど男の心に染みついていくのだ。

そうなっていくもうひとつの理由は、相手の男もひとつの恋愛を終えたことで、人として知らないうちに少し進歩するからなのだと思う。自らが多少とも成長するから、あとから解ける謎のように、“正しい女”の正しさを知り、今さらながら心を打たれたりする。恋愛感情とは別の、切なさに似た“軽い尊敬”が生まれるのだ。そういうふうに女への尊敬を心に住まわせた男は、おそらく次の恋愛では、もう少しまっとうな“人間”になっているだろう。魂のちゃんと通った“人間”として恋愛をし、やがて幸せを手にしていくはずで、だからよけいに“正しい女”を心穏やかに思い出すことができるのである。 

かくして、人間の形成や他人の人生にわずかでも影響を与えるために、人はいくつもの恋愛を繰り返しながら大人になっていくのではないだろうか。いやそうでないと、恋愛なんて、幾度繰り返しても意味がない。別れたあとで“あとを引く女”や“あとを引く男”から、人間としての正しさを学んでいく、そういう恋愛でなければ、ドロ沼の恋愛なんて人間を意地悪くするだけ。だから女はなるべく若いうちから、恋愛に対しても“正しい女”でのぞむべきなのだ。“あとを引く女”になるためにも・・・・・・。本人にその自覚がなくても、別れた男の心に住みつくような女は、知らないうちに厚みや奥ゆきをもっていく。別れた男に尊敬されるほどの女は、それだけで存在に輝きが宿ってくる。そうでなければ、女はなぜ悲しい恋愛なんかするのだろう。

結果として、自分は人を憎まなかった、別れ際も誇り高く、理性的な人間でいられた、そういうギリギリのガマンが、あとになって“人格”として育ってくる。立派な別れ方をすると、人格が育つのだ。悲しみやくやしさに暮れて終わるような恋愛だって、その時恥ずかしくない自分でいれば、やがてそれが血となり肉となって立派な女ができあがっていく。だからこそ、せっかく恋愛をするのなら“あとを引く女”になっておくべきである。そういう恋愛をすべきでなのである。

男のほうが“あとを引く”その本当の理由

別れた恋人をいつまでも心に住まわせているのは男のほう・・・・・・これはもう世界の常識。女のほうが現実的だから、新しい彼氏ができればすぐ気持ちが切りかえられて、前カレを記憶の彼方に追いやることができるが、男はロマンチストだから、いつまでも“あとを引く”のだと説明されれば、それもごもっとも。

私たち女は確かに現実的である。もともと原野をかけまわって獲物をさがしていた男の視野はあいまいに広く、それに比べてタテ穴式住居か何かでごはんを作っていた女は、当然視野が狭く、目先のことしか見ていない。そういうDNAから、女は今目に見えるものしか信じない傾向にあるのは確か。でも“あとを引かない”もっと確かな理由は、“あとを引いてるヒマ”がないから。早いとこ“次”を見つけて関係を煮つめていかないと、結婚のチャンスを逃してしまいかねないという切羽つまった想いがつねにあるからなんじゃないか。 そして一方、女は別れた男を忌み嫌ったりできるが、男はよほどのことがない限り、別れた女も憎からず思いつづけられる性。これは男と女の生理の違いという他ないが、一夫多妻が男の夢ならばこそ、男はあとを長ーく引くのである。

こうした事情を踏まえると、女より男のほうがあとを引くのが道理。だったら私たち女も、いよいよ“あとを引く女”にならないとマズイのかも。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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