連載 齋藤薫の美容自身stage2

死ぬのはぜったいイヤな時

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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“やり残しつづけること”が力強く生きるコツ。だから人はあまり早く成功してはいけない。

突然だが、今ここで自分はぜったい死にたくない・・・・・・そう強く思った瞬間はあるだろうか。死を覚悟するような非常事態に追いこまれた時か、さもなければ天にものぼるような幸せの中にある時。もちろん死に直面する恐怖など、進んで味わいたいとは思わない。が、今死ぬのはもったいないと思うほど、今の自分に価値を見出せるのは、それ自体が幸せ。そういうふうに生を意識する瞬間、一度味わっておきたいとも思うわけだ。何年間もずっと片思いしていた人に、初めて想いが通じ、お付き合いすることになったような時、女はたぶん死にたくないと思うのだろう。あるいはまた、競争率100倍くらいの就職試験や、司法試験みたいな狭き門に合格したら、今は何があっても死にたくないと思うのだろう。

つまり、ああ今死んではもったいないと思うような幸せって、3億円の宝くじに当たったような、ちゃっかりした幸せではなくて、もっと地道な努力や忍耐をのりこえた末に手に入れた、手間のかかった幸せに限られる。“濡れ手に粟”的に手に入った幸せでは、そこまで自分の生命に有難みを感じないはずなのである。

罪のない人の死亡を伝えるニュースで、その被害者にまだ幼い子供がいたり、ましてや奥さんのおなかの中にこれから生まれる子供がいるような時、その死はあまりにも惜しまれる、あまりにももったいない。その人がそれまで積みあげてきた人生の重さ、生命の密度に対して、その死のあっけなさがあまりに悲しいということなのだ。

いずれにしても、“ぜったい死にたくない時”は、人の人生において、もっとも充実していて、なおかつ愛する人や愛される人がいっぱいいる時、すなわち自分の手でつかみとった人生のひとつのピークに他ならない。今はぜったい死にたくないと強く感じる瞬間をもてる人は、それだけ人より人生を懸命に生きてきた人、そう言えるのかもしれない。しかしまったく反対に、今の自分の年齢において、やり残したことが多すぎる、まだ未体験なことが多すぎる。だから早いとここの自分の人生を何とかしなきゃ・・・・・・そういうプレッシャーみたいなものがある時も、人は今死ぬのはぜったいにイヤと思うのかもしれない。

不治の病に冒されている若い女性が、自分はまだバージンだから、このまま死ぬなんて女としてあまりに心残りとか、結婚という人生最大の喜びを知らずに死んでいくのはとても悔しいと嘆くドラマは少なくないが、そういうふうに“何か重大なことをやり残している自分”を感じている時、別に不治の病に冒されていなくても、人は死や生というものに強くこだわる。そしてそのことは、人に思いがけなく力強いエネルギーを与えたりする。

今の天皇陛下は皇后へのプロポーズの時、“家族というものを持たないままで、私は死ねない”というようなことを言われ、その言葉が皇后の心を強くとらえたということが報道されている。今の皇室とは異なり、両親と離れて生活してきた当時の天皇は、“ご学友”の作家が書いた『孤独の人』のモデルになるような、宿命的な孤独を強いられていたはずで、それをこのままでは死ねないと訴えたことが、美智子様の気持ちを激しくゆさぶったわけである。 

両手いっぱいにいろんなものを手に入れた、人生充実のピークの時の、もったいなくて死ねないという生の動機よりも、はるかにパワフルで持続力あるエネルギーを生む、このままじゃ死ねないという生の動機。だから人は、あまり早くピークを迎えなくてもいいのである。いい年をして、やり残したことがいっぱいでもいいのだと思う。“大家”と言われる芸術家は、長生きする傾向が強いというが、それも彼らは自分の実績におぼれない。つねに不満を残し、“もっともっと”とさらなる傑作を生み出そうとし、そこに自分が生きていかざるをえない理由を、ちゃんと見出しているから。

つまり芸術には、100点満点の基準がなく、“完璧”の概念がないからこそ、芸術家は終わりなき修練を強いられる。そしてまた“大家”ほど達成感がないから、まだまだと先を目指し、まだまだ死ねないと思うのだろう。“やり遂げ感”がないことが、ある意味人を生き生きさせ、長生きさせるのである。

とても若くして大成功をおさめた女性のアーティストや女優が、“できちゃった婚”も含め、とても早く結婚するケースがよく見られるが、これは成功によって、一瞬目指すものを思い切り見失い、どこへ向かって歩いていっていいかわからずに、ひどく不安になるからなんじゃないかという説がある。でもそこで、結婚出産も一度に済ませてしまったら、よほど強い意志をもっていかないと、次に目指すテーマを本当に見失いかねない。 そう考えると、“やり残しつづけること”が、力強く生きる糧。どんどんやり残していいのである。あまり早く成功しすぎたり、あまり早く人生のピークを迎えてはいけないのである。

このままじゃ死ねない。死に切れない。私の人生まったく未完成。何もできあがっていない。まるでまとまりがない・・・・・・それでいい。それくらいが輝きながら生きるコツなのである。

“物欲”がなくなった時女は生きる意欲を失う?

“生きていくのがイヤになる”のとはまったくレベルが異なるものの、生きてはいくけれど、何だか終わっちゃった感じ・・・・・・この先、30代40代でふとそういう心境に至ることがあるかもしれない。一概には言えないけれども、女性の場合は“物欲が消えた時”にそういう心境になりやすい。つまり、もうあんまり欲しいものはない、“何が欲しい?”と人に聞かれても、コレと言って欲しいものはないことに気づく時、ああ私、もういつ死んでも悔いはないかもと同時にそう思うものなのである。

ついこの間まで、いつかぜったいエルメスのバーキンを手に入れてやると思っていたのに、カルティエのタンクフランセーズもぜったい欲しいと思っていたのに。そういう物質欲は、女にとって立派な“生きる動機”となり力強い生命力となりうるのだ。だからそういう物欲がなくなると同時に、女は生きる目的も少し見失ってしまったような気がする。でも物欲がなくなることは、同時に人として“次の次元”に進むことを意味する。つまり、物欲ではなく、精神的な充足を求める精神性が生まれたことの証。一時的に生きたいという強い動機を見失うかもしれないが、きっとまた再び、生きる意欲が生まれるだろう。きっと間もなく“次の生きがい”が生まれるはずなのだ。物から心へ、その切りかえにおいて、女は自分の心の中で“生きる意味”をも書きかえるのである。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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