
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
自分が相手を好きにならないと、いつまでたっても女は○をもらえない。
たとえばこんな場面。合コンにちょっと遅れると電話してきた男が、「どーお?」と聞く。すでに女の子たちと会っている男が、「今日はマル」とか「うーん、バツだな」などと小声で報告・・・・・・一体何が○で、何が×なのか?いや私たち女だって、○と×の意味くらい説明されなくたってわかってる。説明なんかしないでほしい。しかし、○と×の境目ってどこにあるのか、それだけは知りたい気がしてしまう。そして、ふつうに考えると、○とも×ともハッキリ言えない、△程度の女がいちばん多いはずなのに、男たちにとって△な女はあまりいなくて、○な女か×な女ばかりなのは、一体なぜなのだろう。
まず、“△の女”がいないのは、“○の女”以外は言い訳もさせず有無も言わせず全部失格だから。本当に忌々しいが、こういう時、自分たちのことはタナにあげて、女に対する男たちの評価基準はとても明快。まずは容姿を書類選考のようにふるいにかける。カワイくなきゃ話にならないでしょとばかりに、○×をつけるのだ。ちなみに、ここで言う、容姿ヲとは、顔だちが50%で、残り50%がスタイルと全体の雰囲気がイケてるかイケてないかってこと。ここで75点はとらないと×になる。
そして少し会話すればわかる、へんな子や暗い子やカン違いした子や常識のない子に、さらなる×をつけて、○を絞りこんでいく。最初は×をつけたけど、あまりにもいい子なのであとで○に昇格するみたいなケースもなくはないけれども、そういう温情はめったにかけられない。×は最後まで×だったりするのである。しかしそういう○×の採点に対し、目くじらは立てにくい。だって彼らがつける○×は、ある意味で至極ごもっとも。反論のしようがないほど当たっていたりする。女として、男に対して、“○の女”になろうという努力をおこたれば、即刻×をつけられる、それだけのことだからである。
逆を言えば、○の女なんかその気になれば、みんななれる。そして○の女になれば、要するにいろんな場面で得をする。それが露骨に示されるのが合コンであるというだけ。だから、女として生きている限り、やっぱり○の女で人生をやっていくに越したことはないのである。相手は男に限らない、同性にも同僚や上司にも、○をつけられる女になることはやっぱり女にとって大切なテーマなんである。そこで今、あらためて問う、あなたは○の女だろうか、それとも×の女だろうか?たとえば就職試験の面接で、○をつけられる人は、○をつけられることがあらかじめわかっているはずだ。なぜならそれは、意識して、○の女をやっているからである。人に好感を与えることは、すなわち“人受け”を考えること。○の女になりたいなら、男受け、女受けを侮ってはいけないのだ。目上受けや同僚受けをためらってはいけないのだ。
もちろん、世間は昔から“人に好かれる人”を、いい子ぶりっ子とか八方美人などと呼んで、チクチクといじめてきた。でもそれは、人に好意をもたれない人のひがみ、“×の女のやっかみ”。ここからが大事、よく聞いてほしい。人に受けようとすることは、自分がその相手を受け入れようとすることに他ならず、だから人と人の間には、相思相愛の関係が生まれる。相手が同性でも上司でも、相思相愛になることが“好意”“好感”“好印象”の正体。そして○の女とは、どこへ行っても、誰とでも相思相愛になる女。つまり○の女は、早い話が愛ある女、誰をも拒まない女、だからみんなに○をつけられるのである。
今の日本の20代で言えば、いちばん○なのは、たぶん矢田亜希子あたりになるのだろうが、この人には100人に聞いたら98人くらいまでが○をつけそうだ。でもそれは矢田亜希子が自分を拒否しないだろうと思う人が98人いるということに他ならない。自分はデブで汗かきで、どう頑張っても女にはモテない男だが、そんなボクとも矢田亜希子さんは快く会話してくれそう・・・・・・そう思う男がいっぱいいるから、あの人は圧倒的に○なのだ。
そう、“好感”というのは、好感度の高い服や好感度の高い笑顔を作ることじゃない、自分自身が相手を好きになること、それが好感の正体なのだ。お年寄りが“彼は好青年”なんて言う時も、要はお年寄りが彼に優しく感じよく会話してもらってうれしかったから出てくる評価。他に好青年のなり方なんてないように、○の女も相手を好きになるのが、いちばんの近道なのである。よく“誰にも嫌われない人”と言うけれど、あれも要は、その人が周囲の誰をも嫌っていないことを指す。ついでに言うなら、第一印象がよい人も、自分がその初対面の相手に敵意をもたない人。それが第一印象を光り輝かせる最大のコツなのである。
○の女・・・・・・合コンでは、“カワイイ子”。とはいえ、これは顔だちが整っていることじゃない、ちゃんと男の人を認め、男の人に愛されたいという素直な願望をもっていて、だから男の人の好きな服が着られて、男の人の好きな髪型ができる、それだけのこと。誰だって○の女になんて簡単になれるのだ。自分の中に、世間一般の人々に対する愛情さえあれば。世の中がキライ、人間がキライ、そういう厭世主義の女は、いつまでたっても×の女。どこへ行っても結局×をつけられる。そこからすべてが始まるのだということを、どうか覚悟しておいてほしい。
自分にもつけてみよう○か×かを毎日一回
女も毎日同じ顔で生きているのではない。キレイな日もあれば、キタナイ日もある。そして、人としてキラキラ輝く日もあれば、何だかぜんぜん冴えない日もある。自分自身に大きく○をつけられる日と、まったく×の日とがあるはずなのだ。それはもちろん、仕事だったり、恋人との関係だったり、人間関係だったり、もっと個人的な気分だったり、要素はいろいろあるのだろうが、結局のところ女はこの○の日が多ければ多いほど、自分を幸せと思えるのだろうし、×の日が多いほど、自分に自信をもてなくなるのだろう。
だからあえて、自分の毎日に○×をつけてみてほしい。一日の終わりに、今日の自分を採点するのだ。すぐに気づくのは“今日はいい日だった”とか“今日は悪い日だった”と言う、あれはすべて自分が作っていた良し悪しなのだということ。○をつけられるのは、今日の運勢が良かったからじゃない。自分がちゃんとしてたから、自分がうまくやったから。×も運が悪かったんじゃなく、自分が×なことをしただけのこと。その当たりまえのことに気づくのだ。
そして×をつける時、どこが×だったのか、仕事か人間関係かと考える時、自分の弱点がそこでハッキリ見えてくる特典も。自分が見えると生きるのが楽になる。○を増やそうという気持ちにもなれる。○を増やせば幸せ。だから毎日○×を。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23