連載 齋藤薫の美容自身stage2

女と男 釣り合いの経済学

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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女は自分に経済力をつけた時、男の値段を計算しなくなる。

いわゆる“玉の輿”を狙う女は、‘80年代‘90年代に比べて、明らかに減った。それも自分の未来に対し、過度な夢を見ないという、近ごろの“堅実”意識がベースにあってのことだけれども、その一方で恋愛が“純愛化”していることが、“玉の輿”願望を鎮静化させたような気がしなくもない。

恋愛はバブル期にかなりゲーム化し、女たちはピュアな気持ちを伝えることよりも、“損をしないこと”のほうに、神経を注いだりした。ちなみに、今や死語となってしまった三高、すなわち“高学歴、高収入、高身長”を結婚相手の条件に据えたのは、まさにこの頃。必然的に恋愛には“電卓”が必要だった。この人の勤務先と学歴を考えると、将来どんな暮らしができるのか、この人はどこまで出世できるのか、そういうことを複合的に計算したはずである。でもやがて、その時にした計算がまったく計算ミスであったことに気づく妻たちも急増する。ボーナスカットに、リストラ、会社倒産・・・・・・もはや、女が男を“電卓”では選べない時代に入っていったのである。

となれば、駆け引きも、損得勘定も、ぶりっ子も、何もいらない、ただ感じたままに、相手を求めればいいだけの時代。だから、いわゆる“セカチュウ”や“冬ソナ”以前に、純愛時代はもうとっくに始まっていたのである。純愛=それは“金勘定”なしに、相手を求め愛すること。また、釣り合いも考えずに、相手を選び愛すること。でも“金勘定”しないことが、逆に“玉の輿願望”より上質な結婚へ女を導いていくことのほうが、今は多いようだ。

たとえば先日、プロ野球の球団を一個お買い上げしようとした、弱冠31歳のサクセス社長が、何かの企画で某タレントとお見合いし、彼女をふってしまった理由をこう語ったという。「彼女の目に¥マークがうつってたから・・・・・・」多少とも金を持っている男は、異常に警戒心が強く、当然のことながら“金目当ての女”にきわめて敏感。そういう男の前で“素直で無欲な女”のふりをしても無駄。関心なしと、つれなくしたほうが効果的なのだ。

さもなければ、とことんピュアに捨て身の求愛をするかだ。“世界でいちばん有名な日本女性”と言われた、ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコさんは、もともとジョン・レノンの熱狂的なファンの一人にすぎなかったという。多少の“コネ”はあったというが、本人に会うためには何でもする執念は、今ならストーカーと呼ばれたかもしれないほど。当然のことながら最初は疎ましく思った男のほうも、その熱意にほだされたからなのか、それとも東洋人らしい粘り強さが興味を引いたのか、しだいに彼女に関心を持つようになったという。もちろんこれは、「ぜったい真似をしないでください」という種類の話だけれども、“玉の輿”は、虎視眈々とじっとり狙うよりも、真正面から当たって砕けるほうが効果的だってことの、ひとつの証にはなるだろう。

一方、自分の力で稼いで、それなりに経済力を身につけた時、女は釣り合いに対して、とたんに“大らか”になり、だから自分より経済力のない男を選ぶことも平気になってしまう。これもある種のゆとりなのだろうか。経済力をつけると、むしろ男のランクにさえこだわらなくなるのだ。逆を言えば、経済的な釣り合い、学歴や家柄、いろんな意味でのランクにこだわってしまうのは、早い話が、自分自身の手で人生を切り開いていく自信がないからなんである。

ベンチャー系のサクセス社長が、女優やタレントを妻にしようと思うのも、“トロフィー・ワイフ”などという言葉があるように、男は自分の力をパートナーの美しさの量で示そうとするからだが、女の場合は、自分の力量を男のランクで示そうとは考えない。女もステイタスを追求する仕事につくと、自分をできるだけ高く売ろうと、その分男のランクを執拗に追求しようとするが、ひとたび手に職をつけると、むしろ“依存心”がなくなる分だけ、ピュアな愛を求めようとする。“玉の輿”狙いはことわるまでもなく、自分で働きたくはない女の最終テーマだから、自分をせっせと磨いて“トロフィー・ワイフ”になろうと努力するわけだが、生命力ある女は釣り合いも何もなく、より純粋な愛を求めていこうとするものなのである。

ただし、経済力ある女がせめて“年下の男”を選ぼうとする傾向にあるのは、将来の可能性にかけてみようというゆとりの現れである反面、自分より経済力がない男でも、だってホラ、年下だから仕方がないでしょ?というエクスキューズのためでもあると思う。つまり、そういう時の女は最終的に“釣り合い”の帳尻が合えばいいと思っている。いつか釣り合いがとれると思っている。それを待てるゆとりを持てたということなのだ。どちらにしろ“経済力”はもうあんまりアテにならない時代、金勘定のない純愛で、相手との強い絆を作っていくのが先決。釣り合いはあとからついてくるという考え方のほうが、やはりずっと建設的だし、ずっと大きな幸せが手に入るのではないだろうか。

男は女のどのあたりに自分との釣り合いを見るのか?

男は女より、“釣り合い”をあまり考えないという。少なくとも女のように相手の将来までを計算に入れて、“釣り合い”を計ったりはしないはずなのだ。男の場合はもっと感覚的。男のほうが“恋愛の相手と結婚の相手とは別”と思っているものの、明確な計算はしない。フィーリングで女をいつの間にか採点し、自分の未来設計の中に当てはめているはずなのだ。では男は女のどのあたりを見て、それを当てこむのだろうか?

もちろん個人差はあるものの、多くの男性が採点しているのは、女性としての清潔感と、どの程度の母性を持っているかということ。つまり、年齢がいくつであれ、女性としてくたびれてしまっていないかどうか、その“鮮度”みたいなものと、自分の男としてのランクを比較し、それに見合う鮮度の女を本能的に選んでいるような気がするのだ。また、自分たちの子供を立派に育てられるかどうか、そういう母性上の能力みたいなものと、男が守っていく家の重さみたいなものを比較、ほとんど無意識なのだろうが、それに見合う母性を持った女性を、いつの間にか選んでいく、それが男の計算なのではないかと思う。

少なくとも、男と女の釣り合い計算においては、女のほうが表層的で物質的。男のほうが深くて重い。ここは男のほうが正しそう。女たちよ、電卓をしまおうよ。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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