連載 齋藤薫の美容自身stage2

あなたの不幸は、何ですか?

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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20代30代の不幸は”仮の不幸”。なのにそこで諦めてしまうから本物の不幸になっていく。

人が一生のうちに得ることのできる“幸せ”の量は決まっている・・・・・・よくそう言われるが、これには異論もあるはずだ。恵まれている人は生涯を通じて恵まれ続け、不幸せなんてほとんど感じずに生涯を終える。不幸な人はなんとなくずっと不幸なまま生きていく、世の中まるっきり不公平だって、そう言い張る人もいると思うのだ。でも“幸不幸”というのは、ほとんど主観によるもの。つまり“恋愛経験もなく、だから失恋経験もないこと”は幸せと思えば幸せだし、不幸と思えば不幸。すべては本人の判断、本人の気持ちしだいだってこと。

そして、不幸とはすなわち“諦め”。すべてのネガティブな事柄は諦めた瞬間に不幸になる。つまり“モテないこと”はその時点ではまだ不幸なことでも何でもないが、私はどうせモテないからと、合コンを断った瞬間から不幸が始まる。確かに、家族の中で病気や事故などがいくつも続くと本物の不幸の正体を見てしまった気がして、恐怖を感じたりするものだが、もっと日常的な、あるいはもっと自分自身の能力に関することは、諦めが不幸を呼ぶと考えておくべき。もちろん人には諦めざるをえないことも、じつはたくさんある。たとえば、貧乏な家に生まれてしまったことは、自分ではどうしようもないこと。

でもその“貧乏”も永遠のものじゃない。親が年末宝くじを当てるかもしれないし、自分自身が成功して一転大金持ちになるかもしれない。どんな家に生まれたか?という宿命的不幸も、人の一生から見ればほんの一時的な不幸にすぎない。だからそれもやっぱり、諦めてはいけないのだ。いやその前に、人には2つの運命がある。諦めざるをえない、避けては通れない不動の運命と、自分でガンガン変えていける、切り開いていける変動の運命との2つを生きている。つまり“どんな家に生まれたか?”は避けて通れない不動の運命。ヤクザの親分の家に生まれてしまったら、当面はヤクザの家の子として生きていくわけだが、でも大人になって、ヤクザ稼業を継がずに外交官になろうとするのは、自らで切り開ける運命があることの、決定的な証。人には必ず、両方の運命がある。みんな必ず2つの運命を生きている。だから、2つを混同してはぜったいにいけないのだ。

さて、あなたの不幸とは何だろう。まず変えられる運命なのか、変えられない運命なのか、どちらで発生した不幸なのかを考えてみる。変えられる運命なら変えてしまえばいい。変えられない運命だって、諦めなければ、まだ変えられる可能性をふくんでいる。ともかくは、どちらに属する不幸なのかを考えてみてほしいのだ。しかも20代30代なら、変えられない運命も、充分に変わる可能性を孕んでいる。従ってすべては“仮の不幸”。そして何度もくり返すが、その仮の不幸を諦めてしまうから本物の不幸になる、それが不幸のからくりだ。

もっと言えば、日本の20代30代の不幸は“比較の上の不幸”にすぎない。戦争ばっかりしている国に生まれてしまったら、それは当面動かぬ不幸。でも日本の若い女性の不幸などは、人と比べてどうか、隣の席の○○ちゃんに比べてどうかというふうに比較した結果でしかない。つまり、環境を変えれば、自分よりも不幸な子ばっかりで、自分がたちまち幸せに思えたなんていう程度の不幸なのである。さて、こういうふうに自分が感じている不幸を分析していると、そのうち不幸がバラバラに分解されてしまうことに気づくかもしれない。諦めてしまうから不幸になり、比較するから不幸に思える・・・・・・そうやって自分の不幸の成りたちをひもといていくと、それって大した不幸じゃないじゃない? と気が抜けたようになるはずなのだ。

しかし、そういう分析でも分解されない不幸感というのもある。それは、分解できるほどくっきりした像を描いていない不幸。それは毎日の生活の中に、よどんだ空気のように浮遊している不幸感。何がどうというのじゃないけれど、私は何となーく不幸・・・・・・みたいなそんな感覚。いやむしろ、形のある、ストーリーのある不幸より、こっちの形のない、姿の見えない、説明のしようのない不幸感に、よりどっぷりつかってしまっている人のほうが、じつは多いのかもしれない。

そしてすべての人に何らかの不幸感はあるのだろう。でもそれはあくまで文字通りの“不幸感”にすぎない。まだ本物の不幸にはなっていない、心の中だけの不幸の予感にすぎないのだ。しかしそういう日々の不幸感を消し去る方法はもっと簡単。元気になればいいのである。たぶんそのよどんだ空気のような不幸感は、一度ソファにしずみこむと二度と立ち上がりたくない、みたいな倦怠感や肉体的精神的疲れからきていて、テキパキと動けないから、ずーんと重しをのっけられたまま、物事を悪いほうへ悪いほうへと考えてしまう。そういう悪循環にハマっているにすぎないのだ。そこを、すっくと立ち上がって、先送りにしてきたことを元気に片づけていくにつれ、私は案外幸せなのかもと思えるようになるはずなのだ。

だから必要なのは、元気になること。そこは、“生きがいを持つこと”とまったく一緒。結局、人は生きる気力みたいなものがなければ、心も前を向かず、わずかな幸福感さえ呼びこめない、心身がそういうしくみになっているのである。逆を言えば、不幸感なんて、ちょっと元気になるくらいで消え去る程度のもの。不幸感が体の中にたまってきたら、おへそのあたりにグッと力を入れてみる。その勢いですっと立ち上がって何か別のことを始める、それだけで不幸感は消える。不幸なんて本当は、吹けば飛ぶようなものなのだ。

さあ、あなたの不幸はなんだろう。それは、本物の不幸なのだろうか?

あなたは不平・不満がありますか?

女性の美しさを決める、知られざる基準のひとつに“不平度・不満度”がある。たとえば、レストランで料理が出てくるタイミングが遅いなどと、一品出てくるごとに不満を口にする人と食事をしたとしよう。スタッフに対し面と向かってではなく、「間が悪い」「気がきかない」とこちらに同意を求めてくるのだ。すると料理の味は不思議なほどマズくなる。不平・不満はそれを聞く第三者にも不愉快感をもたらすのである。

ともかくこういう文句の多い人って、世の中決して少なくない。どこへ行っても、まず不平・不満から始まり、平和な環境でもいつの間にかどこかから不平・不満のネタをさがしてくる。口をつぐむべきところでも言い続ける。でもなぜかそういう人は根は悪くない。単に、クセになってしまっているのだ。自分がそんなに文句の多い女だなんて気づいていない。ただ思考回路が何でも不満を感じるしくみになってるだけ。

問題は、不平・不満が多いと、女性の美しさがその分確実に減っていくこと。不平・不満はそこにある空気をくすませると同時に、それを口にする人をよどませるからなのだ。今の世の中、確かに腹の立つことばっかり。でも誰かと一緒の時は、自分からは不平・不満を口にしない。忍耐で口にしない。相手から言い始めて同意を求められたら一緒に怒る。これが大人の女の処世術。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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