連載 齋藤薫の美容自身stage2

運命を信じたくなる話

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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心を研ぎすませて、毎日をていねいに生きていないと”運命”の気配を見逃し、聞き逃す。

「今のあなたの、いちばんの望みは何ですか?」いきなりそう聞かれたら、あなたは何と答えるだろう。あるアンケートでは、「運命の人に出会うこと」が1位になっていた。思うにこれは形を変えた結婚願望。“運命の人”とは、アッという間に結ばれてもおかしくないから、裏を返せば、もうムダな恋愛はしたくない、という気持ちの表れかもしれない。あるいはまた、自分の“男を見る目”はアテにならないから、いっそ運命に身をまかせてしまいたいと思うのか。いずれにしてもこれは“運命”という神秘的な力を借りて、努力せずに揺るぎない幸せを手にしてしまおうという、少々ちゃっかりした願望に他ならないのである。

でも“運命の人”や“運命的出会い”って本当に存在するのか?問題はそこである。そこで思い出されるのは、ある夫婦の話。妻のほうは、子供ひとりを連れての再婚、夫のほうは40代での初婚という、まだ結婚数年の俳優夫婦。これが確かに“運命”の存在を信じないわけにはいかないような、見事な結婚だったのだ。

一度目の結婚に失敗した女性のほうが、今度こそはと“運命の出会い”を望んだのは当然のことだが、そこでなぜか自分の名前にもまた子供の名前にも入っている一文字が、同じように名前についている人こそ“運命の人”と信じて生きてきたという。そういう思いこみこそが運命を呼びこむのか?しかも、その一字が名前に入っている人と知りあった時、言葉もほとんどかわさないうちから、「あ、この人だ」と信じて疑わず、5年もかかって結婚にこぎつけたというのだから、まさに執念。 “運命”を信じて前進するのみだったのだろう。それにしても、こういう人がよく残っていたなと不思議に思うほど、その母子にとって完ぺきな相手であったというから、それがまた“運命”の確信につながったのだろう。結婚後もその“運命の人”は、血のつながりのない子供を実の子供以上に可愛がり、仕事も絶好調。今はまさに非の打ちどころない幸せの中にいるというのである。

でも本当に、なぜそういう人が残っていたのか不思議・・・・・・今度はこちらがそう思ってしまうが、この話を聞いていて思うのは、“運命の人”と運命の出会いを果たせるかどうかは、まず本人しだいだってこと。この妻の場合は、何かの啓示を受けたように、自分たち親子と同じ一字を持つ名前をさがしたが、そこからしてまず“運命の人”はいるという強い信念の表れに他ならない。加えてこの母親がもし、自分さえ良ければという人だったら、子供の名前にも共通する一文字を手がかりにはしなかったはずで、そういう想いもまた“理想の人”を引きよせる牽引力となったのだろう。つまりそこには“運命”の存在以上に、その女性の信念や母性、またその集中力のほうをより強く感じる。それが幸せに対する強い磁石となって、自分たちを大切にしてくれる人を呼びよせてしまったのではないかと思う。

つまり、“運命の人”がいるかどうかは自分しだい。ましてやその人と“運命の出会い”が果たせるかどうかは自分しだいだということ。少なくとも、この人のように心を研ぎすませて、毎日を相当ていねいに生きていないと“運命”の気配は感じられない。聞き逃すかもしれないし、見逃すかもしれない。そのくらい運命というのはデリケートなもので、たぶんその人がちょっとでも毎日をテキトーに粗雑に生きてしまうと、たちまち破れたり、くずれたりしてしまうのだろう。でも逆を言えば、気持ちをしっかり持って生きていれば、ちゃんと目をこらせば、必ず見えてくるのが、すなわち運命というものなのだ。

その“気持ちをしっかり持って生きる”って、いったいどういうこと?自分にはわからないという人がいたら聞いてほしい。近ごろまた大ブレイクしている六星占術の細木数子さんも、いい運勢を呼びこむためには“心を高めること”というような提案をよくするが、それもたぶん同じこと。端的に言って、当たりまえの毎日をぼんやり生きてはダメということ。力なく、ゆるゆる生きてはダメということ。よく気が張っていると風邪をひかないなんて言うけれど、たぶんそういうことなのだ。スポーツ選手も神経を集中させていると、決してケガをしないと言うけれど、たぶんそういうことなのだ。

頭がクリアで心も澄んでいて、ふたつがきちんとつながっている状態とでも言うのだろうか、そういう状態を自分の頭と心でつくってみてほしい。一日中やってたらもちろん神経が疲れるが、それが疲れなくなった時、運命がぼんやりとでも見えてくるのだろう。そして人には大なり小なり“霊感”のようなものが備わっていて、そういう時にこそ何かが見えたり感じたりするのだろう。

そう、運命は小さな“霊感”で見るものなのだ。人の運命を占えるような大きな霊感ではなく、目をこらすと、自分の運命だけがやっとぼんやり見えるくらいの小さくて弱い霊感。でもそれならば、全員が持っていて、ある瞬間にそれを呼び覚ますことができるはずなのだ。せっかくの霊感、一生眠らせておくことのないように。“自分の運命”を決して見逃さないためにも・・・・・・。

気持ちが入っている人と入ってない人

気持ちが入っている人と入っていない人・・・・・・まず、あなたはいったいどちらだろう。自分がどちらの種類の人間であるか、人はたぶん自分のことはよくわからないのに、他人に関してはほとんど一瞬でその種類を見分けてしまう。たとえばカフェでお茶を飲む時、コーヒーを運んできた店のスタッフが、“気持ちの入っている人”か“入ってない人”かを、私たちはたぶんコーヒーが置かれたその瞬間に、見分けることができるのだ。

そしてここで言う“運命”が見える人は、“気が張っているから風邪をあまりひかない人”と言ったけれど、そういう人はまさに、全身のすみずみにまで気持ちが入り、関わりを持つ相手に対しても神経を張りめぐらせている人。だからコーヒーを出されただけで、気持ちの有無が伝わってしまうのである。そして同じ店に再度出かけたら、気持ちの入ったスタッフはあなたのことをだいたい覚えていて「いつもありがとうございます」なんて言うかもしれない。

そして大切なのはここ。そういう神経は、そのまんま“好感度の高さ”になる。気持ちが相手に伝わる時の波動が、そのまま相手を引きつける引力となり、だから“運命の人”をもより強く引きつけるエネルギーとなる。従って、気持ちが入っている人は、早い話が人に愛され幸せになれる人。ともかくすべての言動に気持ちを入れるだけでいい。その成果は測り知れない。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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