連載 齋藤薫の美容自身stage2

神様を信じたくなる話

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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自分の身に何か悪いことが起きた時、それは神様による”浄化作用”?必ずそう疑ってみる

あるカップルの身に起きた、ウソみたいな本当の話をしよう。二人は、けっこう密度の濃い交際を3年ほど続けていた。そう遠くない将来、お互いこの人と結婚するんだと何となく決めてもいた。ところがある日、女のほうに彼女の親しい友だちが電話をしてきて、どうしても今日のうちに会いたいと言う。いったいどうしたの?と出かけていった女は、てっきりその女友だちに何か厄介なことが起きたのだろうと思うのだ。ところが女友だちは「あなたの彼、今日はどこにいるの?」と聞く。「今日から確か、香港かどっかに出張だと思う」。「それ、違うよ。驚かないでね、彼、新婚旅行でハワイに行ってるんだよ」。女は友だちがいったい何を言っているのか、まるで理解できずにちょっとキョトンとしている。

すると、女友だちはおもむろに話しはじめた。じつは昨夜食事に行った店の奥で結婚式の二次会をやっていて、その花婿のほうが彼女の恋人の彼だったのだ。さっそく以前会ったことのある彼の友だちを見つけて問いつめたら、相手は同じ会社の女性で、“デキちゃった結婚”ならぬ“デキちゃって騒がれちゃった結婚”だという。つまりちょっとした出来心で、会社の女の子に手を出したら、一回でデキちゃって、“おろして”とか“別れて”とか言うなら、会社にバラしてやると騒がれた。気持ちはまだ彼女のほうにあるし、あまりに急なことなので、彼女にはついぞ言えないまま今日に至ってしまったのじゃないかというのである。

そして彼は翌日からハワイへ新婚旅行。彼女には海外出張とウソを言って・・・・・・。しかしよりによって二次会の店に、彼女の親友が居合わせていたのだ・・・・・・それってあまりにも皮肉、彼女のほうにとってみれば、恐るべき暗示。早いうちにわかって“不幸中の幸い”と言うべきなのだろうが。これは実際に私の身のまわりで起きた出来事。誇張はひとつもない事実。つまり悪いことは本当にできない、という話をしたいのだが、結局のところ神さまがそういうめぐり合わせを作ったとしか思えない、何よりもそれを訴えたかったのだ。

とてもいい人が、若くして亡くなってしまったり、罪のない人が殺されたり、あるいはまた小さな子供が一方的に危害を加えられたり、そういう時ってみんなこう思う。「神さまなんて、じつはいないんだ」と。しかしそれでもどこかにいる気がする、いてほしいと思うのが神さまで、ましてや予期しなかったそういう時にひょこっと現れ、ドラマのような出来事を采配するのが、すなわち神さまというものなのかもしれないと思うのだ。

つまり、人の運命はたぶんだいたい決められていて、神さまといえどもそれを大きく覆すことはできないのだが、人が人の道にハズれたことをやると、神さまはどこかできっちり見ていて、世の中に何かのヒントを与え、尻尾をつかませようとする。そういうふうに、“人の過ち”ばかりは見逃してくれないのが、神さまの存在なんじゃないかと、そう思うわけである。人はみな、“苦しい時の神だのみ”、イザという時だけ、神さまを信じてしまう。お正月のカップルは、一年にいっぺんだけ神さまの前で手を合わせようとする若いカップルだらけ。しかも女の子たちの“祈願”は、「カレシとうまくいきますよーに」的なことばかり。神さまもそんなにお人よしなわけがないし、そんなヒマなわけがない。

ただ、誰かのついたウソがバレちゃったり、やたらイバっているだけの上司がリストラされちゃったり、ともかく何らか間違ってしまっている人の間違いは、やがて必ず暴かれたり正されたりすることを、私たちは近ごろとみに強く感じるわけだが、それはたぶんことごとく神さまの仕業。“苦しい時だけの神だのみ”に、あんまりご利益はないはずなのだが、不思議なことに、間違った人を自動的に罰するシステムだけはあるわけだ。

だから、たとえばオフィスで“間違った人”に足を引っぱられたり、辛く当たられたりして苦しんでいる人がいたら、そういう人の“神だのみ”は効くと思っていていい。つまり、誰かを苦しめる“間違った人”は、やがて勝手に排除されていくしくみになっている。従って今はしいたげられている人も形勢は必ず逆転するから大丈夫、とそう言いたいのだ。でもそれで調子に乗って、ちゃっかり別のお願いも叶えてくださいと言っても、ぜったい叶わない、神さまが持っているのはたぶん“浄化作用”だけだから・・・・・・。ちなみに、例の“デキちゃって騒がれちゃった結婚”をした男は、なぜだかしばらくして会社をやめることになり、結婚生活も2年ほどで破局したという。それやっぱり浄化作用?

逆から言えば、自分の身に何か悪いことがあった時も、それは神さまが指示した“浄化作用”が働いたせいかもしれないと疑ってみるべき。人はだいたい自分が排除されるようなことがあると“運が悪かった”と思ったり、あいつが悪い、会社が悪いと、ともかく人のせいにしてしまいがちだが、けっこう多くのケースが、その“浄化作用”による排除であると思うからである。そういう“神さまの浄化作用”を信じるようになると、人間は大きく変わってくる。いくらうまくごまかしても誰かにどこかで見られていると思えば、人間の行動もどうしたって変わらざるをえなくなる。やばい嘘はつけなくなる、人を裏切れなくなる、人の足を引っ張れなくなる。それだけでも大変な浄化である。つまり、神さまがいようといまいと、それが問題なのではない。神さまの存在は自分の体の中に、そういう浄化作用を持つためのきっかけにすぎないのだ。

ちなみに、その浄化は、想像以上にすごいパワーを持っていて、人を内から外からみるみる磨きあげてしまうだろう。まず、いつも誰かに見られていると思うと、女は知らないうちにキレイになっているもの。一人で部屋にいる時、つまり誰にも見られていないはずの時も、どうしようもない格好はできないはずだし、おしりをぽりぽりかいたりする自らにも、羞恥心を覚えるはずだから。また冷蔵庫の中とかトイレの中が汚いことにも何か無性に気が重くなったり、外出してもちょっとくたびれた下着をつけていることに、居心地の悪さを感じたりするからなのだ。従って翌日は、いつ誰が来ても恥ずかしくない部屋に住み、いつどこで倒れて救急車で運ばれても恥ずかしくない下着を着ている。つまりいつの間にやら、体の中からにじみ出る見えないキレイを身につけているのである。

結果として、ごまかしのない、身も心もとても清らかな自分ができあがっていく・・・・・・これこそが、最大級の神のご利益なのかもしれないが。

人には時々、神さまが降りてくる

人並み外れた才能を持つ人は、だいたい同じことを言う。仕事が驚くほどの勢いで片づいてしまう時、作るものが素晴らしくいい出来だった時、決まって“何かが降りてきている”と感じるというのである。たとえば、メイクアップアーティストもVOCEで特集を組むくらいのレベルの人になると、おそらくみんな“降りてくる”のを日々体験しているはず。モデルの顔を見て、スポンジやブラシを取ったとたん、何者かが降りてきて、まさに神ワザのようなテクニックやアイデアが次々とあふれ出てきて、気がつくと見事な顔ができあがっている、みたいな。

しかしながら、それは私たちにとっても遠い話ではない。なぜならそれは神さまの仕業じゃなく、むしろ山のような努力によって、手の中や頭の中に入りこんできた、神さま級のパワーに他ならず、それが勝手に動いているだけだからである。たとえばパソコンを目にも止まらぬスピードで打てるのだって、それを一定以上の時間やりつづけた結果、体の中に神さま級の力が宿るから。

ある高名なピアニストがこう言っていた。演奏会ではいつも神が降りてくるけれど、それはそれだけのレッスンをしたからであって、レッスンをちょっとでもサボれば神さまなんて冷酷なもので、ぱったり降りてこなくなっちゃうと。神とは、練習や努力によって自分の中に呼び込むもの・・・・・・なんである。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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