連載 齋藤薫の美容自身stage2

105%の女

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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105%……それは、やりすぎにならないギリギリ。でも人の心を動かせるギリギリ。

いわゆるミスコンや、新人女優のオーディションなどの審査風景には、独特なテンションの高さがある。候補者たちが横一線で並び「どうか私を選んで!」と自らをアピールするのだから、冷静に考えると、ものすごい場面。どうしたら隣の候補者よりキレイに見えるか、何をしたら前の候補者より目立てるか、そればかり考えながら、にっこりしているのだから、こんなにコワイ笑顔はない。

もちろん私たちは、こういうベタな戦いを制するのが、どんな女性なのかを見届けたいと思うのだけれど、審査過程を見ているうちに何かいたたまれなくなって、見るのをやめてしまったりする。それはひとえに、“力の入りすぎた人々”を見ている消耗感ゆえ。もちろんここ一番、力が入りすぎて当たりまえなのだけれど、今にも泣き出してしまいそうなほどの全力投球は、どこか痛々しい。見ているほうはなかなかしんどいのである。

で、こういう場面で目を惹くのが、じつは105%の女。ほとんどの候補者が、120%以上のパツパツの状態にある。そういう中では、適度に力を抜いているかに見えたほうが美しいのは当然。かといって、力を抜きすぎて100%に満たないというのもマズイ。いやこういう場面で、90%の力しか出さなかったら、むしろふてくされて見えるだろう。だから、100%を少しだけ上まわる105%。ちなみに、審査結果がやっぱり気になって、もう一度TVをつけてみたりすると、案の定150%の女はもちろん、120%の女も選ばれない。ちょうどよく力を出した印象の人が選ばれる、まさに105%くらいの。ミスコンなどの場合、だいたいどれを見ても、105%くらいの人が勝つようになっている。顔とかスタイルより、じつはそういうふうに力を抑えるセンス、そういう感性を審査しているのかと思えるくらい。

さて、一般社会においてはどうだろう。まず現実の社会に、ミスコン候補者みたいな120%以上の女がいたら、それだけで嫌われる。日頃はみんな60~80%のあたりで生きているから、100%に近づくだけで、女はもう痛々しく見え、周囲を疲れさせるだろう。だから、そこそこに力を抜いていたほうが、うまく生きられる。周囲との協調を考えると、その時々で、入れる力のパーセンテージを微妙にコントロールできるのが、賢い大人ということになるのだろう。朝からテンションが高すぎるのも迷惑だろうし、かといって低すぎるのも不健全に見えるから、朝のスタートは70%くらいのところに目盛りを合わせる、みたいなこと。

でも本当は一般社会でも、イザとなれば105%になれる女が、勝ちを掴めるしくみになっている。たとえば仕事で、「これやっといて」と上司に渡された仕事を、どの程度の仕上がりにして持っていくか。そういう時に、多くの人は「やり直し」と言われなければいい、文句を言われなければいいくらいに考える。しかし、書類ひとつ作るのでも、またお茶くみにさえ、出来はピンからキリまであるわけで、その気になれば、上司が目を見張るレベルのものを作ることも可能なはず。なのにみんな、大して面白くもない仕事、やれと言われた仕事は、注意されなければそれでいいと考えてしまいがち。じつはそういう仕事でこそ、105%をやってみてほしいのだ。

社内コンペみたいに、これを決めれば評価がぐんと上がるという仕事なら、力を入れて当然、やる気のある人はみんな全力でやってくるだろう。でも、そういう評価の対象にはとてもなりそうにない“取るに足らない仕事”で全力を出す人はいない。そこがミソなのだ。「あるかどうかも不明なんだけど、5年前の資料をさがしておいて」と上司に頼まれたとしよう。その資料をさがし出せば、それだけで一応“でかした”と言われるだろう。でも、資料が隠れていた資料棚を、ついでにハッとするほどキレイに整理整頓してみたらどうなるだろう。上司はたぶん感動する。いや、仮に何も言わなくても、この子はエラく出来る子だなとゾクッと来るはずなのだ。何も頼まれていないのに、唐突に資料棚を片づけだせば、ある種のスタンドプレーに見えて“120%の女”として同僚の女性には疎まれる。でも、奥にしまわれた書類をさがしてと言われたから、ついでに一気に片づけてしまうのは、いかにもスマート。誰も文句をつけられない。

つまりそれが105%の仕事なのである。書類をさがし出すだけなら、誰でもできる。でも100%を少し上まわるくらいの力をそこに集中して、すばらしい結果を残す、みんなが目を見張る。そういう仕事の仕方をしてほしいのだ。お茶くみだって、これいつものお茶の葉?と誰かが聞くくらいにおいしく入れられれば、みんなの心に何かが残るだろう。だからジャスト100で止めずに、勢いあまって105になるくらいの力を、そこに集中させてほしいのだ。105%・・・・・・それはやりすぎまではいかないギリギリ。でも人の心を動かせるギリギリ、のパワーなのである。

ソツのない女は何でも80%、でも気持ちも80%

とても感じがよくて礼儀正しい、キレイだしオシャレだし、ともかくひと通り揃っている・・・・・・まったくソツのない女性っているもの。もちろん男性にはよくモテる。会社などでは当然上司の評判もよい。けれども、周囲の女性たちからは妙に浮いてしまいがちなのも、じつはこのタイプ。ひと通り揃っているからと、女たちがそのことをひがんでいる・・・・・・のではない。こういうタイプは、何というか、何を言っても“のれんに腕押し”、体温ある答えが返ってこない。だから、話をしてるとちょっとだけイライラする。いや、その人自身には何の落ち度もないのだけれど、それだけによけい腹立たしい。たぶんこちらに何の関心もないように見えるからなのだろう。まるで一定以上は近づきたくないような、明らかな距離をとっていて、ナマな想いをこちらに伝えてこない。良く言えば、ソツがなく、悪く言えば、話していてまったく張り合いのない相手。

こういう人はおそらく、すべてにおいて80%の力をまんべんなくかけている。だからすべてにおいて合格点、でも感情まで80%にセーブしてしまうと、落ち度がない分だけけっこう“イヤな女”にうつるので注意すべき。すべてが60%でもいい。でも対人間には精いっぱい、ひとまず100%の自分で関わっていきたい。それが人としてのマナーっていうもの。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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