
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
女から女へ、キレイは生のまま至近距離で伝わっていく。だから女はひとりで生きちゃいけない。
うつる、見られる、誉められる・・・・・・それは、女がキレイになる“外的3大要素”。つまり、本人が何もしなくたって、ただそこに突っ立っているだけで、まわりにキレイな人がいたり、まわりからジッと見つめられたり、また口々に誉められたりするだけで、女はキレイになるってことなのだ。
いくらまわりに頭のいい人間がいても、“頭のよさ”はうつらない。まわりにいくら見つめられても、それだけで仕事がデキるようになったりはしない。そしてまた、どれだけ誉められても、体が丈夫にはなったりしない。でも、“キレイになること”だけは別。本人の努力が仮にあんまりなかったとしても、まさしく“他力本願”で、そこそこキレイは叶ってしまうのである。それだけキレイは目に見えない、不思議な力に引き出されていくものなのである。
人に見られるだけでキレイになるのは、まず“羞恥心”が働いて、きちんとしなきゃと思い、やがて“自己顕示欲”みたいなものも芽ばえてきて、とても自然にもっとキレイな自分を見せたいと思うから。一方、誉められてキレイになるのは、誉められた喜びやそれ相応の優越感がエネルギーとなり、それに加えて“期待”に応えようとする力が働くから。いずれにしても、いろんな感情がキレイのスイッチを押すのである。では“キレイがうつる”のはどういうメカニズムなのか?
極端な話、“病気がうつる”のは、そこにウイルスのような感染源があるからだが、じつはキレイも、一種のウイルス。つまり、“見られる”や“誉められる”よりもっと不思議な力が働くのだ。まず、女にとって最初の感染源は“母親”。それと並行して“仲良しにカワイイ子がいれば、いくら子供でも感染力はちゃんとあるし、子供の頃に関わる“外部の美人おねえさん”は、また強烈な感染力を持つと言っていい。つまり、媒介となるのは、“憧れ”や“感心”や“感嘆”。時には、コンプレックス。美しい人に対して心を動かすその感性。その場で“発症”しなくても、ちゃんとウイルスが蓄積していって、大人になれば一度に形になるのである。
しかし、“感染”は、むしろ突発的にやってくる。仮に25歳まで誰にもキレイをうつされずに生きてきても、何かの強力なウイルスに出くわせば、瞬く間に感染、発症するだろう。学生時代のある友人は、ちょうど25歳でパリに留学した。一応フランス語修得という大義名分があったが、本人の心の中に、“わざわざキレイに感染しに行く”みたいな狙いがあったという。彼女は、留学を決めるわずか3ヵ月前に初めてパリに旅行している。そこで女としての大きなカルチャーショックを受けてしまう。パリの女がよほど、カッコよく見えたのだろう。今でこそ、“日本の女”は、“パリの女”に負けないくらい大人の匂いをムンムンさせているが、当時まだ日本の女は“カワイく見えること”に全力を注いでいた。
パリにハマる女には、よくあるパターンだが、カフェでお茶を飲んでいたら、見たところ40代のマダムがいて、彼女が黒のタートルネックに、黒のサングラス、チェックのミニスカートに、黒いブーツを身につけていた。それとわかるブランドものはなく、華美のカの字もない。なのにこの洗練、この美しさは一体何なのか?と圧倒される。そこで彼女は思った。日本にいても“いい女”になれない。体ごとパリに移して、パリの女の洗練を体に覚えこませようと。驚いたのは、パリに行ってからの彼女の、異様なまでの成長の早さだった。後で聞いたことだが、彼女は向こうに渡ってからしばらくはパリの街で見かけた“イイ女”のファッションや髪型を即刻真似し、同じような服をすぐ買いに行ったという。
それは“真似”に他ならないが、結局、女から女へキレイが自然にうつる時って、じつはみんな無意識に、キレイな人を真似しているのである。知らないうちに、同じようなキレイをなぞっているのである。つまり相手をナマで見るからこそ、文字通りのウイルスが実際に飛んできて、本気で真似させる。それはナマの威力あってのものなのだ。いかに女優やモデルのキレイを真似しようと、写真のキリヌキ持って美容室に行っても、キレイはうつらない。ナマを見てこそ、すごい力で真似ができる。それはほとんど“憑依”に近いものだからなのだ。
つまり、キレイがうつる時の不思議な力の源は、“ナマで見ること”。至近距離で見るその視覚の衝撃につきるのである。だから仲良しじゃないとダメ。いや大嫌いな相手でも、その人を「キレイ」と認める素直な感性さえあればちゃんとうつる。いや、相手を嫌いなら嫌いなほど“嫉妬”という、女がキレイになる“もうひとつの外的要因”も加算されるから、キレイの感染もじつは早まるのだ。ともかくキレイはインフルエンザとまったく同じ、相手と何らか直接関わらないと感染しない。まさに女から女へキレイは生きたまま伝えられていくのである。だから女はひとりではキレイになれない。ひとりで生きちゃいけないのである。
他人のキレイを正しく真似るコツ
キレイになりたいという前向きな気持ちがあれば、キレイは放っておいても自然にうつるのだが、お急ぎの向きはこうしてほしい。キレイがうつるメカニズムは、結局のところ、無意識の模倣に他ならないと言った。だから、意識的に模倣するなら、相手の美しさのツボを見極めるのが先決。できれば、彼女はなぜ美しいのか? それをひたすら考えてみてほしい。目をつぶった時、彼女のどんな部分が思い出されるのだろう。髪型だと思ったら、その髪型をともかくやってみる。その日の服が彼女を美人に見せているのだとわかったら、もういきなり同じような服を買ってしまってほしい。そこまでしないと、キレイの手がかりはつかめない。少なくとも自分と彼女は何がどう違うか、そこがハッキリわかるからである。
一方、肌の美しさを真似たい時も、これはもうひたすらその肌を見るしかない。「キレイな肌になりたい」といくら必死でお手入れしても、ナマの見本がないと目標が曖昧で、不思議なことに、成果があまり出なかったりする。それが、ナマ身の人間の美肌を間近に見ると、ああなるほどそういうことだったのかと、目からウロコが落ちたような気になるもの。何がわかったのかわからないのだけど、ともかくナゾが解けたように、確信あるお手入れを始められる。まさにキレイの感染は、視覚感染であるという、何よりの証拠である。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23