連載 齋藤薫の美容自身stage2

教養のある女、ない女の分かれ道

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

場合によっては知っていることもあえて黙っていられる、それを”女の教養”と呼ぶ。

まず、男はなんだか知らないが、“制服を着た女”が好きである。だから以前の渋谷は、学校にはあんまり行かないのに、休日までウルトラミニの制服を着ている女子であふれ、日本の“女子高生ファッション”は、世界的にも有名になったりした。しかしながらあの不思議なファッショントレンドは、男がなぜ“女の制服”を好きなのかということを、正確には理解していない気がする。ひとつに、同じ女子高生の制服でも、彼らがより好きなのは、やっぱり“お嬢さま学校”と目される名門女子高のそれで、もともと遊びほうけている学校の制服にはあんまり関心がない。

同様に、大人の制服の中でも男たちがいちばん好きなのはやっぱりフライトアテンダントの麗うるわしき制服姿で、それも彼らが単に“制服”を好きなのではなく、お嬢さまな世界が好きなのだろうことを物語る。制服=お嬢さま、なんである。お嬢さまな世界は、言うまでもなく規律が厳しい。お勉強もたくさんしなけりゃならない。だから当然、どこかストイックでスレていない“教養ある女”がそこでできあがるわけで、男のお嬢さま好きは、ちょっと意外だけれど“教養”的なものへの憧れとも言えるのだ。そういう高そうな女を落とすこと、そこに男の“征服欲”というものが生じるのである。つまり男たちは、東大出の教養にはさすがに引いてしまうけれど、“名門お嬢さま学校”で学んできたような“教養”は、美しさのうちと考えるのである。

そう、男は意外にも、“教養ある女”が好き。ただし、その“教養”って、私たちが日頃口にしている日本語の“教養”とは、少し違うもののような気がする。その証拠に、“教養”を英語に訳すと、“education”にもなる一方、“culture”にもなる。え?そうなの?と意外に思うだろう。日本語で言う“教養”はカルチャーとはあまり結びつかない、むしろクイズで高得点を取るような目に見える知識を指すことが多いからだ。でももっと言うなら、日本の“教養”も広辞苑を引くとちゃんとこう書いてある。「単なる多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力」。いやその意味を理解するのにまず教養が必要だが、ともかく“教養ある女”とは、単なる“頭でっかちな知識いっぱいの女”を指すのではないことだけは確か。

今の日本で、“教養”とは何か?について、いちばん的確な答えを出してくれそうな、あの『バカの壁』の養老孟司氏が、じつはこう言っている。“教養とは人の心がわかる心である”と。教養って“心”なの?と、ここでもまた意外に思ってしまうのは、教養がまるで身についていない証拠なのだろうが、ともかく人を美しく見せる教養の正体は、クイズで高得点を取るための知識ではなく、人の心がわかる、人の心が読める心、それを養うこと。つまり、教養は、“初対面から好感を得られる魅力”と訳してもいいし、教養は“友だちを増やす人間性”と訳してもいい。そしてまた、教養は“人生を楽しむための能力”というふうに訳してもいい。

かくして、“教養のある女”と、“ない女”の決定的な分かれ道はと言えば、たぶん愛される能力にあるのだと思う。どういうことかと言えば、“教養のない女”は、デート1~2回で、もうあきられたり、もういいやと思われる。ありきたりの会話をひと通り終えたら、もう後がつづかない。そういうタイプをそのまま受け入れてしまうのは、当然自らも“教養のない男”で、おさまりはいいのかもしれないが、長い一生、その先何を会話していくのだろうと思うと、やっぱり虚むなしい。しかし、“教養ある女”は、たぶん めば むほどに味のある、そして付き合えば付き合うほど離れられなくなる、粘着性の魅力で相手を惹きつけつづけることになるのだろう。そしてもちろん、相手も人の心がわかる教養ある男、二人の人生はきわめて濃厚な、充実しきったものになる。

そして何となくだが、先日“できちゃった会見”をした中村獅童と竹内結子のカップルは、そういう意味での“教養あるもの同士”っていう印象がある。もちろん、このお二人が勉強ができたかどうか、クイズ的知識があるかどうか、そういうことはまるで不明。でも何となく二人とも同じくらい人の心がわかる教養を備えているカンジがする。つまり、ここで言う教養って、わりに目に見えているのだ。そこはかとなく、見えているのだ。でも、そういう教養って一体どこでどう身につけるの?と言うなら、やっぱり本をいっぱい読んだり、人の話をいっぱい聞いたり、いろんなことを体験したり、結局のところ、今までと同じ広義の“勉強”とか“学習”からしか得られない、そこは同じなんである。ただその教養をどう使うか、そのまんまの形で「私、それ知ってる」とか「その意味はこうでこうで」といったふうに知識をひけらかすために使うのは、むしろまったく人の心が読めていない証になり、だから知識のすべてがムダになる。

本当の意味で“教養ある女”は、同じように本で得た知識も、そのまま加工もせずに出したりしない。そして知識があってもあくまで人の話を理解するために使う。場合によっては、知っていることもむしろ黙っていられることを、教養と呼ぶのである。だから教養ある女は愛される。とことん愛されつづけるだろう。ならば教養、万歳!

教養のあるなしは、“あいさつ”でわかる?

その人に教養があるか否か?それは不思議に、“第一印象”でわかってしまう。あいさつの段階から、じわじわとしみ出ているのだ。 結論から言うなら、そのあいさつひとことで、相手を魅了できたらそれは教養のある人。言葉で説明するのは非常に難しいが、「こんにちは」「はじめまして」、そういうありきたりなあいさつは、誰もが同じ条件下で、同じ音を発声するからこそ、人としてのランクが見えてくる。初対面の相手に対して、自分を良く見せようという気持ちが働くのは当然のこととして、それと同時に“へりくだる気持ち”が、うまくバランスを取った時、「はじめまして」というたったひと言でも、相手をしっかり魅了できる。さらに、その最初のあいさつの次に何を言うか、そこでもう教養のあるなしがほぼ見えてくる。

教養が、“人の心をわかるためのもの”ならば、教養ある人は、あいさつのあと、まずはとっさに、相手への気配りを言葉にして発するはず。特に仕事がらみでの初対面ならなおさら。あいさつのみで“いきなり沈黙”にならないため、相手の緊張をほぐすため、交換した名刺を見ながら、「事務所がお近くなんですね」とか「珍しいお名前ですね」とか、そういう“どうでもいいこと”で気持ちをほぐせることが教養、なのである。そこで相手はホッとして、もっと好印象を持つだろう。それこそが教養のなせるワザ。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

Serial Stories

連載・シリーズ