連載 齋藤薫の美容自身stage2

票のとれる女、票のとれない女

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

あらゆる場面で勝ち負けを分けるのは、逆境でも微笑める体力だった。

票のとれる女、票のとれない女……今まで、女の価値を計る判断基準にはなりえなかった“票”という概念が、このところにわかにクローズアップされてきている。言うまでもなく、先ごろの選挙で良くも悪くも話題を独占してしまった自民党の女性候補たち。ああいう種類の女性たちをまとめて見る機会があまりなかった日本人に対し、あの人たちはともかくたいへんなインパクトを持った。

まずはともかく、世の中にはすごい女の人っているのだという再認識。もちろん今までだって学歴や経歴がすごい人ってちゃんといたのだと思う。でも今までの“すごい女たち”とは明らかに何かが違う。ひとことで言うと、この人たちは“女”をちゃんと前面に出しているのだ。失礼ながら、今までのすごい女性って、すごい代わりに女を奥のほうにしまいこんでいた気がするが、この人たちは悪びれもせずちゃんと前に出している。そのうえでプロフィールがものすごいから、世間の“女”を見る目を一夜にして変えたのだ。そして女には、やっぱり2種類いるのだと知った。いつも恋愛してそうな女と、いつも恋愛してなさそうな女が。

少なくともこの人たちは、激務の合間をぬっても恋愛をしそうな匂いがする。いやこれはあくまでもイメージ上の話だが、それにしても男性スキャンダルの出る女性候補なんて今までやっぱりいなかった。そしてこの“恋愛をしてそうな匂い”とすごい経歴が組み合わさると、何だか女はものすごいパワーを持ってしまうのである。

けれども今回、意外に感じたのは、世間がそういう女性たちに対し、拒否反応を示さず、また“近寄りがたさ”もあまり感じなかったこと。それはたぶん“恋愛してそうな印象”に加え、ただの優等生に終わらない、みんなそれぞれにどこか破天荒な部分を持っていて、結果、人間臭く見えたからだろう。そもそもが、官僚や大学教授、トップエコノミストに著名料理研究家……それまでの自分にだって何の不足も感じていなかったはずだが、いかに野心野望があるとはいえ、天地がひっくり返ってしまいそうな新しい立場へ挑んでいく。しかももう若くない体にムチ打って……。

そこからして凡人にはできないことだから素直に拍手できたのだろう。まさに、髪ふり乱してガムシャラに頑張る姿には、強い人間臭さを感じる。逆に親しみを感じてしまう。わざわざ苦労を買いに行く人が、みんなけっこう好きだし、実際に苦労をしている人に、人は理屈抜きに好感を持つのである。しかも、言われなくてもいい悪口陰口を週刊誌などで山ほど言われる。そこまで出るかというほどのスキャンダルが出まくる。ただ選挙に出ただけなのに、あのバッシング。しかも自分で選んだ道とはいえ、食事もトイレもそこそこに選挙区を飛び回る日々。政治家になってからも、一触即発、何かしでかせばすぐバッシングの嵐になりそうな緊張感が続いている。

不思議なもので苦難が次々おそいかかるほど、この人たちはむしろ輝いて見えた。才色兼備の典型のような女たちに、涼しい顔してすべてをスムーズにこなされると、何だかやっぱり腹立たしいし、かえって魅力を感じないが、何もかも持っているのに、それをわざわざぶっこわして苦労をしょいこみ、時にはズッコケている。人はそういう才色兼備を好きなのである。だから、票もとれたのだ。最初はよくもこんな男にも女にも反感を買いそうな女性たちを並べたものと思いきや、みなさんけっこうな支持を得た。ガムシャラで一生懸命、そして苦労がいっぱい。それが票につながったのだ。

でもここで私たちはある大切なことに気づかないといけない。ひとつに、この人たちはこれまでも髪ふり乱して人の何倍かガムシャラに頑張ってきたからこそ、あのすごい経歴があるわけだし、いつも恋愛してそうなムードも保ててきた。エネルギーのない、ヤル気のない、一生懸命になれない女には、この組み合わせは絶対ありえない。佐藤ゆかりさんタイプには、特に“女”を武器に出世したのでしょ? という見方が付きまとうが、世の中そんなに甘くない。この人は早朝から夜中の2時まで仕事しまくる生活だった、と語ったが、その気迫が今の才色兼備のヒミツだ。ひとかどの人となり“成功”できるのは、人がやらないガムシャラをやれる人だけ。元ミス東大の財務官僚・片山さつきさんがスニーカーを何足もはきつぶすほど走り回って、まさに汗だくになって髪をふり乱した姿は、たぶんあの時だけじゃない。あれはいちばんあの人らしい姿なのかもしれない。自信満々なだけじゃない、土下座だってやれてしまう人だから、ここまで昇りつめたのだ。でもだから、反発より票が上回ったのだろう。

ともかくこの人たちを見て思うのは、結局“頑張る人にはかなわない”ってこと。世の中けっこう単純なのだ。またそういう精神を支えるのは、ひとえに体力。体力のない人に、立候補みたいな挑戦は所詮無理だが、それ以前に、仕事を成功させつつ、女を前面に出すこと自体、体力がないとたぶん無理。そう、体力があれば、最低でも女は機嫌よくニコやかにしていられる。あらゆる場面で勝ち組負け組を分けているのは、おそらくこの体力なのだ。体力なんて、と侮った人は不機嫌な顔して負けていく。票は体力でとっていくもの、結局そこへもどってしまうのである。

学級委員の選出で、票を集める女

“票を集める”という基準を現実のものとして感じられたのは、やっぱり昔の“学級委員”の選出だけ。今ふり返ると、あれはあれで“厳正なる投票”だった気がするが、ああいう投票で票を集める女生徒とは、一体どんなタイプだったのか?たとえば、小学校の低学年、そのクラスが初めて選ぶ学級委員は当然のこととして、成績が優秀で、顔も可愛くって、スポーツもできて……多少高慢ちきでも、とりあえず“いちばんな子”が票を集めたはずである。ところが、小学校高学年になると、その選択基準が微妙に変化してくる。“可愛くデキる子”より“目立たないけどデキる子”へ票が動いてくるような傾向がある。女生徒の間に、“いちばんの子”に対する静かな反発が、さざ波のように広がってくる年齢だ。

ところが、投票にこういう強い意志が働くのも小学校まで。中学校になると、誰がなってもいいんじゃない?というふうに冷めてきて、高校になると、モノ好きがやるのよ、くらいに思い、ひとり浮いてる“個性派”を面白半分で選んでしまったりする。“票を集める女=いちばんの女”は、子供の頃に終わってる。こういう場面で、大人になるにつれ、集団が素直な評価をしなくなるのは、世の常。だから政治の選挙は推して知るべし。立候補するのは、“いちばんの女”であっても世の中で上手に浮くタイプであるほうが、都合がいいのである。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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