
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
キレイをこわしてしまうのは大きな挫折より退屈……。一切の闘争心を失うこと。
失礼ながら“旬の女優”のうつり変わりなどを見ていると、“女のキレイ”のモロさを痛感してしまう。女優として“旬”でなくなるから美しさがこわれていくのか、それとも逆に、美しさがこわれていくから“旬”から降りざるをえなくなるのか……。しかし女優でも、もともと“脇”を固めているような女優は、息も長いうえ、不思議にキレイがこわれない。10年、あるいはそれ以上、平然とキレイを保ってる。それはなぜかと言ったら、自分には“旬”のような特別な期間はもともとないと思っているからではないか?とすれば、主役級の女優のキレイをこわすのは自分自身。ブレイクしたと思った瞬間から“終末”を覚悟する。だから自らそこへ向かって突入していってしまうのだ。
もちろん一般の女性にも、それは頻繁に起こりうる。25歳が女のピークと思えば、27歳くらいにはもうちゃんと冴えなくなっていく。自分の“旬”は30歳と思えば、31歳からちゃんと老けていく。どっちにしろ、“頂上”をつくるから、下り坂ができるわけだが、女はどうしても、自分の人生の“頂上”を決めたがるのだ。そして“頂上”をつくりたがるのは、早い話が自信のなさ。自信があれば女は何度だって、開花できるし、ずっとずっと咲きっぱなしってことも可能なのだから。
余談だけれども、近ごろますます輝きを増し、“風格”さえ感じさせる女優に、米倉涼子と、そして宮沢りえがいるけれど、二人とも過去の一時期、大ブレイク。一時代を築いたことがあり、だから、この人の時代は終わったとも言われた。その頃は確かに、美貌にもブレーキがかかったように見えた。そして当時は、悪いけれど、今日の二人の活躍は、ちょっと想像できなかった。でも今の活躍は“復活”なんかじゃない。過去のブレイクのほうが単なる前兆にすぎなかったのだ。
仮に女の人生にピークってものがあるのだとしても、それは20代から60代まで、何十年にもわたって続く。あとは浮き沈みがあるだけ、そう思うと、キレイはぜったいこわれないはずなのだ。でもその一方、キレイは時々予期しなかった展開で、簡単にこわれてしまうことがある。といってもそれは、フラれたり、仕事で大ミスをおかしたり、というような大きな挫折があったときじゃない。
そういうときは、マイナスのエネルギーが一気にもれ出すことはあっても、キレイが無残にこわれてしまうことはないのだ。キレイがこわれるのはむしろ何も起きないとき。“安心”がキレイをダメにするのは、よく知られているけれど、もっとずっと深刻なのは“退屈”で、そこには喜怒哀楽もなければ、休息とか安らぎのような感情もない、三食ちゃんと食べていても、キレイのために供給される水や栄養源はゼロになる。細胞の営みがまったく鈍くなると考えてもいい。したがって長い時間かけてゆっくり植木が枯れていくような枯れ方をし、だから本人はあんまりそれに気づかないのである。
それも元はと言えば一切の闘争心を失ったことにあるのだろう。日頃、自分の心の中に闘争心が住んでいると自覚している人は少ないけれど、でも恋愛にも仕事にも、そして大きな意味で人生にも、“負けたくない”という気持ちが、誰の脳の中でも無意識に働いている。デートにオシャレをしていくのも、朝、遅刻しないように出社するのも、ある意味での闘争心であると言っていい。
きちんとやろう、ちゃんとしよう、しっかりキメよう……そういう気持ちを支えているのは、無意識の負けん気であるわけで、キレイを支えているのも、同じ自覚なき闘争心なのだと思う。それがなくなったとき、人はたちまち退屈になり、やることがなくなる。タガが外れたようにキレイも崩れていきがち。そしてまた、戦闘モードに入っていないときは、自分が冴えない存在になっていることにも気がつかない。おまけに、自然に冴えなくなっていく女を誰も注意してくれないのだ。
かくして退屈が高じると、倦怠→怠惰→堕落という具合に、どんどんエネルギーが低下し、人は落ちていく。そういう構図が女をブスにし、男をニートにするのだ。女も男も負けてもいいやと思ったら、そこでおしまいなのである。ちなみに、闘争心は無意識だからキレイに変わるのであり、ひとたびハッキリ自覚してしまうと、これはこれで負のエネルギーになってあまりよろしくない。あくまで“自覚なき闘争心”であること。それが前向きのエネルギーを生むのだから。
少なくともいちばん不幸なのは、泣くことも怒ることもない人生。キレイも、泣いたり怒ったりすることで鍛えられている。女が自らキレイをこわすのは、どっちにも心を動かさなくなったとき。だから女はぜったい、つまらなくなってはいけない。つまらない日を3日以上続けてはいけないのだ。
30代後半で印象年齢に、母娘ほど差がつく時代
女の印象年齢に、大きな差がついてくるのは、だいたい35歳から……これまでずっとそう言われてきた。でも最近それが、どうも低年齢化しているらしいのだ。考えてもみてほしい。今の40代の女たちの“個人差”、日本でも欧米でも、とんでもなく激しい。マドンナもシャロン・ストーンも47歳。メグ・ライアンだってもう44歳である。この日本でも、黒木瞳も松田聖子ももう40代。しかし街ゆく40代には、もうくたびれきっちゃった感じの人もいる。40代であの差があるのだから、30歳そこそこでそれが始まってきても少しもおかしくないのだ。で、その差を自ら広げているのは“自らキレイをこわす女”たち。それこそ30歳そこそこでシワやシミや開いた毛穴をほったらかしにしている人がいて、どうして?と聞いたら、「老化防止とか美白って、それほど効かないでしょ?」。
確かにやらないと効かない。やると全然違うことも否定したがる人っているもの。「それに私は自然にまかせる主義……」。化粧品を軽く見て、加齢を重いものに見すぎている……これぞまさに自ら若さを捨てていく人。少なくとも化粧品は以前よりずっと効くようになり、“20代後半からもうずっと年をとらない女たち”急増したから、30代後半でまるで母娘のように差がついた同年代が出現してしまうのだ。こわくて、面白い時代になった。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23