
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
戦わぬ女はひとつの成功で満足し、戦う女は限りない頂点を目指す。
ちょうど、国別対抗野球WBCが日本で盛り上がったのと前後して、それ以上に沸いたのが、言うまでもなくトリノのフィギュアスケート。そこでは結果として“荒川静香”一色になってしまったが、その後に行われた“世界選手権”では村主章枝選手がもう一度、存在感を見せつけた。そして、この二人は大した根拠もないのに、犬猿の仲などとウワサされてしまう。本人たちが好むと好まざるとにかかわらず、“ライバル関係”にさせられる。何と言っても、究極の個人競技。しかも、美しさや演技力も一緒に競わされるのだから、女優が順位を争うみたいな、ちょっと物騒なライバル意識が生まれてしまうのは、無理からぬことなのだ。お二人にとってはひどく迷惑な話だろうが、ちょっと考えてみた、スグリな人vs.シズカな人。あなたはどちらを支持するのだろう。
ひとつ象徴的なのは、かつて荒川選手が世界選手権で優勝したあと、次のオリンピックにはもう出場しないかも……と発言。それを耳にした村主選手は「信じられない」と怒りをあらわにしたというエピソード。多少の誇張もあるかもしれないが、村主選手は頂点にのぼりつめ、トップであり続けることに、あくまでこだわるアスリートなのだろう。それに対し、荒川選手は一度目的を達成したら、心が鎮まり満足できてしまうタイプということなのだろう。
こんなエピソードもある。前回のオリンピックでは、荒川選手は結局代表選手になれなくて、村主選手がその権利を勝ちとるが、オリンピック期間中、荒川選手は街のファーストフード店でアルバイトをしていたという。しかもその店の店長も、それが前々回のオリンピックに出場した世界的なアスリートだとは知らなかったというほど淡々と。もし、悔しくて悔しくて仕方がなかったら、またひどく落胆していたら、そういうところでアルバイトはしてないだろう。家にこもって誰とも顔を合わせたくないはず。ある意味で欲がなく、いい意味でプライドが高すぎない、どこかのどかな人なのかもしれない。
もっと言えば、“人と争うこと”があんまり得意じゃないタイプ。アスリートとしてそれは不利になるのだろうが、でも“人と争うこと”を優先しなかったから、つまり心底“自分の演技”をまっとうしようと思える人だったから、たぶん金メダルがとれたのだろう。ある意味欲がないから、手にできた勝利なんである。オリンピック以前、荒川選手は“笑わない”“クール”“ふてぶてしい”とまで言われた。
しかし今は誰もがそれをちょっと誤解だったと思うようになっている。そう見えたのはむしろ、とても“大らか”で“穏やか”だからであると知った。少なくともきつさや勝ち気の表れじゃないことを知った。それどころか、あんな立場にいるのに、子供の頃からひとり目立ってしまうことがキライだったらしい。そういう性分なのに、たまたま才能があったばかりに、結局自ら注目を浴びる立場に立ってしまう。そのジレンマがクールな表情につながってしまうのではないかと分析する人もいる。
いずれにしてもこの人は、とても普通で、いつも自然体なのだろう。だからあまり多くを望まない。そういう人だから大舞台で大それたことをやってしまうってことなのかもしれない。言ってみれば、大きな成りゆきに身をまかせて生きる人……ああいうふうに生きてみたいという人は、きっと少なくないはずだ。一方で、村主選手を見ていると、いつも胸が痛くなるほど、気持ちが伝わってきてしまう……という人も、少なくないはず。荒川選手が、“天才少女”の名をほしいままにしていたのに対して、村主選手は“練習の虫”と言われた。この人が演技する姿を見ていると、ジャンプを成功させても、すばらしいスピンを決めても何か切なくて、泣けてきてしまったりするのは、その目に見えない練習量と一生懸命さが一緒に伝わってくるからなのだ。そしてこの人の“勝ちたい”という健気なまでのまっすぐな気持ちが、演技しているあの表情からひしひしと伝わってきてしまうからなのだ。
世の中には、もうそのくらいでいいよ、もうそれ以上頑張らなくてもいいよ、と言われても、頑張らずにはいられない人がいる。もう限界まで頑張っているのに、まだ納得できずに頑張ってしまう人っている。そして、もう充分な結果を残しているのに、まだまだ足りないと、さらにその上、さらにその上と、限りなく上を求めていってしまう人っている。それはいやらしい野望とかではなく、ともかくひたむきに頂上を求めていく姿だから、辛そうだけれど、胸を打つのだ。この人の頑張りはまさにそれ。
しかも皮肉なもので、この人はもう実力も充分なのに、なかなか大舞台ではイチバンになれなかったりする。だから、頑張るのをやめられない。先日の世界選手権でも、本命のコーエンが失敗して、すわ優勝?と思ったら、16歳の新星が現れちゃったりして。神さまはなおもこの人に試練を与えるの?とちょっと腹が立ったもの。でもきっとこういう人には、やがて到達するすごい境地ってものがあるのだろう。“シズカな人”は、あの金メダルで納得し、もっともっと自らがスケートを楽しむことで見る人を感動させたいと思うだろう。そして、スグリな人はもっともっと自分を追いこみ、果てしない頂点を目指していくその厳しさで、見る人を感動させるつもりだろう。
さあ、あなたはどっちにより心を打たれるのだろう。人と戦わない女と、戦う女。ひとつの大きな成果で満足する女と、限りなく上を目指してく女……あなたは一体どちらだろう。でも“シズカな人”も“スグリな人”も、どちらも周囲をちゃんと感動させている。それも大みそかだって元旦だって、絶対練習を休まない、みたいな本気の人生にだけ与えられるごほうび。最終的にそこを見逃しちゃいけないのである。
“トゥーランドット”vs.“ラフマニノフ”
ところで荒川選手がフリーの演技に選んだ曲は、ご存知『トゥーランドット』の中のアリア『誰も寝てはならぬ』。情感たっぷりの旋律ながら、長調の明るい音階。とりわけあの感動的なクライマックスは、何だかすべてがうまくいってしまいそうな、前向きな未来が開ける終わり方。
対して、村主選手は、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』。メロディが大変に美しくエレガント。気持ちを高揚させるが、基本的に短調、旋律が美しいぶんだけ、余計に切ない。さすがはロシアの作曲家で、厳しい寒さを思わせる美しさだ。それとあの村主選手の、今にも泣き出しそうな表情を一緒に見ていたら、それだけで、胸がしめつけられてしまう。私たち素人には演技の何がどうあの点数の差になったのかはよくわからないが、荒川選手のフィニッシュを聴いて、いいことありそーと思い、村主選手のフィニッシュで胸が切なくしめつけられたのは確かなのだ。その印象の違いが、二人の女性としてのイメージの違いにそのままつながっているのは間違いない。自分のバックに流れる音楽が、女にとっていかに重要かを思い知らされる話。
彼が家に遊びにくる時、どんな曲を繰り返しかけているか、それで自分のイメージがけっこう決まってしまっているってこと。で、女性の部屋で男が聴かされる曲の上位に、いきなりトゥーランドットがくいこんできたとかこないとか……。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23