連載 齋藤薫の美容自身stage2

遅咲きの女

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

今や50代60代の遅咲きもあり。でもちゃんと美しくしないと世間は才能も認めてくれない。

昔1930年代から1950年代初めにかけて一世を風靡した“原節子”という女優がいる。ちょっとエキゾチックな華やかな美貌と、“美しい日本語”を聡明に操る“しとやかさ”のコントラストが、近寄りがたい雰囲気をつくっていた当時のカリスマ。でもこの人の名がその後半世紀以上たっても語りつがれているのは、たぶん若くして引退してから一切姿を現さず、“幻の大女優”と言われるようになったからかもしれない。

20代後半から30代で、今を盛りと大輪の花を咲かせていたのに、40代になって突然のように姿を消す。ファンの夢を壊したくないから……と語り、なおさら“幻”感を増してしまったのである。変わっていく姿、老いていく姿を見せたくない……そういう潔さは女優としてカッコイイが、じゃあそれから先の人生をどうするつもりだったのか?もちろん女優よりやりたいことがあったのかもしれないが、完全なる隠遁生活には長すぎる日々。でもその引退劇は、女が女をリタイアしてしまう大きな目安になってしまった。この40歳リタイアという基準は、ついこの間まで続いていたような気がする。でも今、大勢はすっかり逆転した。むしろ40代からようやく満開となって今を盛りと咲き誇る人が増えているのである。

その先がけとなったのは、言うまでもなく黒木瞳という人。もちろんこの人、それまでも第一線にはいたのだろうが、少なくとも今のような立場にはいなかった。本当の意味で頭角を現すのは、まさに40代になってから。明らかに遅咲きだ。ちなみに、自然界の花も気候の変化によって条件が変われば、咲くはずのない時に咲く。花のほうも戸惑ってしまうだろう。こんな時に咲いちゃってもいいのかしら、と……。そういう意味では今の時代、世の中はもう何でもありの異常気象。秋から冬に平気で花が咲くような時代なのである。

高畑淳子さんという女優もそんな人の一人かもしれない。『白い巨塔』での個性的な演技が注目され、役柄そのものは反発を買うような役だったのに、本人は見事に共感を得て、今、満開。まさに“遅咲き人気女優”となった。満開となる年齢は人それぞれ違うということなのだろう。美人なのに、若い頃に“美人女優”としては脚光を浴びなかった。演技がうますぎたからなのかもしれない。その嫌味なほど巧みな演技力が光るのは40歳をすぎた今でなければならなかった。この人にとっての開花の時は、20代にも30代にもなかったということ、40歳すぎにしかなかったということ。

これは運命が定めたことなのだろうか。それとも時代がその人に合ってくるということなのだろうか。どちらにせよ、本人にもちょっと予想がつかないこと。同様に最近は、それまでまったく無名でも、50代60代で突然サクセスする人がいる。いくつになってもその気になれば“開花の時”はやってくる、それだけは事実なのである。ともかく今までずっと、“女という花”はどの花も一様に20代でパッと咲いて、30代で散ると思われていたけれど、女はそれぞれひとりひとり品種の異なる“オンリーワンの花”であることが、最近は決定的になりつつある。また一見枯れていたように見えても、水を与えるとまた生き返る“復活草”という奇跡の植物があるように、女という花にも“復活する品種”はちゃんと存在するようだ。

40歳になると、美人女優は全員“肩をたたかれる”というハリウッドでも、明らかに今異変が起こっている。40歳をすぎてもなお主役を張る女優の顔は“整形したかどうか?”が必ず議論になるあたりはまだまだ昔ながらのハリウッドだけれども、48歳のシャロン・ストーンが『氷の微笑』の続編で再びヒロインを張るのはやっぱりひとつの事件。シャロン・ストーンがディオールに“カプチュール・トータル”のアイコンとして起用されたことも世界的に大きな話題になったが、この人は明らかにもう一度咲いた女。いや何度でも咲きそうな勢いを秘めている。“遅咲き”のみならず、何度でも咲く。水をあげれば何度でも生き返る植物のように、ある種不死身の生命力をもつ人が増えてきたということなのだ。それをまた何度でも支え、何度でも受け入れる土壌が固まったということ。たぶん“遅咲き”の場合は、運命や時代の偶然性が必要なのだと思う。自分ひとりの力ではなかなか呼び込めないもの。でも、何度でも復活を繰り返すのは、運命や時代は関係ない。100%、自分自身の力で呼び込めるものである。

逆を言うなら、“女の開花”は才能を世間が認めた時にやってくるから、才能さえあれば60代70代だって開花できる。しかし“復活”はその才能をベースにもう一度坂をてっぺんまで登りきるエネルギーがないとダメ。そして何よりの絶対条件は、開花するにせよ、復活するにせよ、見た目もちゃんと美しいこと。花なんだから美しくなきゃいけない。美しくないと、開花も復活も遂げられない。美しくないと、まずみんなが気づいてくれないし、その才能も世間が認めないのだ。女優だけじゃない、一般の私たちも同じ。いつでも何度でも咲けるけど、あくまでも美しく咲き誇ってこその開花。それだけクリアすれば、いつ咲いてもいい。チャンスは一生続くのである。

今や逆に“遅咲き”が売りになる時代

“遅咲き”には、ずっとマイナスのイメージがあった。最初はパッとしなかったのにネ……という。でも今の世の中、むしろ“遅咲き”がひとつの基本となりつつある。やっぱり“モー娘。”で世の中動いているようではマズイということなのか、エスカレートするばかりの早咲きトレンドから一転、その反動のように“遅咲き”の流れが一気にやってきたのである。

あの倖田來未だって年齢はまだ23歳だけれど、今の成功を勝ち取るまでにけっこうな苦労があったという。試行錯誤の末にようやく今のスタイルにたどりついて大ブレイク。あの若さであの貫録はただものじゃないとは思っていたが、経験的にはすでに“遅咲き”のノリ。何もわからないままデビューして、いきなりドカンといってしまったスターにはない“遅咲き力”みたいなパワーを感じる。

近ごろ何だかんだと話題の“ほしのあき”はものすごくマーケティングのにおいがするけれど、彼女の場合、明らかに“遅咲き”を売りにしている。あれでプリプリの18歳……じゃ何のおもしろみもないから、あえて28歳という、グラビアアイドルとしてはタブーの年齢を売りにした。逆サバを読んでいそうな童顔だからこそできた戦略だが、今はむしろ“遅咲き”のほうが共感を得られる時代。家でおとなしくしていた人も、そろそろおもむろに咲いてみてはどうだろう。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

Serial Stories

連載・シリーズ