連載 齋藤薫の美容自身stage2

“派手な女”と”地味”な女 <運命編>

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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“女の派手”は、ただの自己顕示欲じゃなく、求愛行動。 だから取扱い注意なのだ。

“派手手な女”と“地味な女”……単に服の好みの違いじゃない。そこにはとてつもなく大きな隔たりがある。“貴族の出”と“平民の子”みたいに、女の運命を分けるものなど今は何もないのに、女たちは自らを二分した。“派手な女”と“地味な女”に……。

考えてみてほしい。いつもヘビーなフルメイクと黄色い茶髪にこだわり、露出度の高い派手な服しか着ない“エロかわ”な匂いのする女と、いつもほとんどスッピンに近いようなナチュラルメイクで、髪も服も徹底したナチュラル志向、いわゆる“ロハス”な匂いのする女。2人とも今の日本女性の典型的なタイプなれども、同じ国の同じ時代を生きているようには思えないほど正反対。しかも本来“見た目”の違いにすぎないはずなのに、結果として人生の方向までまったく違ってしまうのだから、それはブスか美人か以上に強烈に女の人生に関わってくるということなのである。

しかも女はみんな、やがてそういう運命が待ち受けているのを頭のどこかで知りながら、“派手な女”は派手な服ばかりを買うようになっていく。つまり派手な女は、“派手な服”以前に、“派手な女”の人生そのものを選んでいるのだ。じゃあその“派手な女”を選ばせる動機とは一体何なのか?と言えば、それはやはり“男”である。単なる自己顕示欲じゃない。無意識にでも男たちに自分の存在をアピールしたいから、“女であること”をより強調する、それが“派手”のメカニズム。

そもそも、“派手な女”が派手になり始めるのはいつか?と言ったらそれは他でもない“色気づく時”。男の目を意識し始めると同時に、派手が始まる。それは孔雀が誇らしげに羽を広げるようなもの。派手な羽を持つのは雄の孔雀だが、あれは典型的な求愛行動だというから、女が派手になるのも同じ理由。孔雀の頭に冠羽まで立っているのと、“派手な女”がとりわけ“髪色や髪型の派手”にこだわるのも、何か似ている。ただ、“アピール行動”というものは、思うままの成果をあげられなければ、必ずエスカレートする。そして途中から、何を目的に自己アピールをしていたのかもわからなくなって、どこかドン・キホーテ的な妄想に走っていってしまうのだ。その極端な例が“ヤマンバ”な女たちであろう。

そう、ちょっと残念なのは、人間はどちらか片方に少しでも偏り始めると、必ず度を越して偏っていってしまうこと。派手を始めると、もともとの目的であった“男に求められること”からどんどんハズれていく。というより“派手=遊べる女”というイメージの落とし穴に体ごとハマって、本当は“愛されたい”という案外ピュアな心なのに、結果都合よく遊ばれたりしてしまう。最終的には、それがために不幸になったり、自分にひどく安い値段をつけなきゃいけなくなったりもする。しかしそれでも自分をアピールしなきゃいけないのが“求愛行動としての派手”なのだ。ちなみに“派手”は育った環境はあまり関係がない。どんな都会だろうが、どんな田舎だろうが、“派手な女”は生息する。それは、先天的なものである証拠。でもそれがために、結果として逆に誰にも愛されなくなってしまったとしたら悲しいこと。派手はちょっぴり悲しいサガと言うほかない。

そういう“派手の悲劇”から女を救うのは、知性のみ。もうこれ以上派手をエスカレートさせると危険……と考えてセーブする勇気を生むのは、知性しかない。だから本当は、派手は知性と一緒に育てるべきものなのだ。だいたいが“派手な女”は派手というだけで、まったく理論的ではない批難にあう。目立ちたがりで無教養、しかもだらしないという印象さえもたれがち。だから世間の誤解をひとつひとつ潰していかなきゃならない。厄介な人生を強いられる。自分に“派手”遺伝子が宿っていると気づいたら、あえて本を一生懸命読んだり、意識して教養を身につけたりして思慮深い女にならないと、結果として人は幸せを逃す。ただの派手は女をやっぱり不幸にすると知っておくべきだ。

でも一方、“地味な女”もまたエスカレートする。これもひとつの遺伝子なのだろうが、“求愛行動”への反発なり抵抗感から地味を張る女は、当然のこととして男から求愛されにくいから、ちょっと卑屈になって、これまた地味をエスカレートさせる。派手な女を心のどこかで軽蔑しているから、その反動でどうしても偏った地味になっていくのだ。だからやっぱり思うようには愛されない。そして不幸になる。地味から女を救うのは、他でもない美意識だ。これ以上地味になると、女の資格を失うと判断できる美意識が、地味なりの清潔美に導いてくれるだろう。飾り気がなくたって、美しければぜんぜんオーケー。いや地味ながら美しい人のほうが男には愛されたりもする。末永く……。

いずれにしても、派手も地味も偏ってはいけない。そして知性と美意識が両方あれば、自ずと“地味派手”な女ができあがり、それだけでちゃんと愛されて、ちゃんと幸せになれる。だから女が生きていくうえで、知性と美意識の両立は何より大切なのだ。派手と地味をコントロールするために。つまり、本当は“派手な女”にも“地味な女”にもなっちゃいけないのである。

最終的に地味派手を決めるのは顔だった

基本的に地味か派手かのイメージを決めているのは、やっぱり“顔だち”である。まぁ、ヘビーなフルメイクをしたら、どんな顔だちでももう一緒だが、顔が派手なつくりなら、気持ちがどんなに地味でも一見派手に見えてしまうというのが、イメージというものの厄介なところ。それだけ顔は強いということになるが、だから自分を身繕いする時には、自分の顔の地味派手度を、きちっと計算に入れておいてほしい。派手顔の女は、地味な服を着てもまだ派手に見えるくらい、派手顔は派手指数が高いのだ。

派手な服は、華やかな存在感ある人でないと着こなせないというけれど、あれはウソ。地味顔の人が、多少派手な服に身を包んでも、その派手服は下品にならないが、派手顔で派手服を着ると、派手が下品に転ぶリスクをいっぱい含んでいる。派手に派手を重ねては絶対いけないのだ。ともかく派手の取り扱いには細心の注意を払うこと。地味はどっちにしろ目立たないぶん、大した失敗は起きないけれど、派手はわずかでもバランスをくずすと、いけない方向に寄ってしまう。たちまち下品に見えるのも、やっぱり派手=求愛行動である証なのである。派手は、ある一定量までは強い存在感につながって得をするが、一線を越えるとたちまち大損をする。そのサジ加減がいちばん難しい素材なのは間違いないのである。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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