連載 齋藤薫の美容自身stage2

働かないと減っていくもの

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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働かないと、フェロモンが減っていく。”有能”もまた色気なり

今どき“家事手伝い”を誇りにしている人は少数派だろうが、’80年代~’90年代はかなりの数存在した。“家事手伝い”、通称カジテツは、おうちがお金持ちの証。社会の荒波にもまれないぶんだけ“お嬢さま度”が高まるという計算。もちろん当時“キャリアウーマン”なんて言葉で働く女も同時にもてはやされたが、カジテツはカジテツで強いプライドを持っていた。女の子は社会に出てもロクなことはないという価値観がまだ厳然と生きていたのだろう。ところが今そういう意味でなく、仕事を持っていながら働かなくてもいいやと思う人がまた増えている。“専業主婦志向”を持つ人もまた増えている。

そしてこれまた、本人の勝手。でも今、“働かない”と、あるいはまた“働く意欲がない”と、増えていかないものがとても多い時代。意外なものが減っていく時代であることだけは知っておいてほしいのだ。たとえば“フェロモン”……。女は、がしがし働くほどにフェロモンは減っていく……それが、今までの揺るがぬ常識だった。実際に男並みに仕事すると“ヒゲが濃くなる”、“声が太くなる”といった噂は働く女性たちの間で日常的に交わされていた。もちろん男性ホルモンが勝手に増えていくからだが、女は必死で働いている時、本当に自分が男になった錯覚にとらわれるのだから、それも無理はない。でもそういう時ほど、フェロモンを発しているとしたらどうだろう。

じつは、男性が女性に対しフェロモンを感じるのは、意外にも女性が持っている“男性ホルモン”に対してなのだという説があるのだ。もちろんそれに男たち本人もぜんぜん気づいていないし、見た目はどこまで女らしくてもかまわない。あくまでその精神に男らしさを見たり、その言動に男性ホルモンが匂った時、そこに男が性的に惹かれていくというのである。かよわくてぐずぐずした女より、ちょっと鼻っ柱が強く、テキパキしているほうが、セクシーって話、うなずけないじゃない。確かにここ数年で、カッコイイOLの定義が変わった。たぶん変えたのは、篠原涼子という人。今も(たぶん部下の)男の子を「どこ見てんのよ」と、軽い“しかりつけ口調”で諭している資生堂マキアージュのCMが眩しい。“部下以上、恋人未満の男”に対する言動は、とても“男らしい”のに不思議にオヤジにならず、あれがフェロモンと言われたら、なるほどそうかもしれないと思ってしまう。にわかには信じがたい学説を、またそういう危ういバランスの魅力を、この人が見事に体現してくれたわけである。

たぶん男は女に究極のバランスを求めるのだろう。それは“カワイカッコイイ”みたいなダブルイメージにも見られるように、仕事では男並みに頑張っていてこそ、女っぽさが際立ち、女が女であることに甘んじないところにこそ色気が立ちのぼるという構造がそこに見て取れる。オフィスで光る女性は「やっぱり仕事がデキる子」と、多くの男性が声をそろえるのを決して無視しちゃいけない。“有能”は色気なのだ。でも、別にモテるために仕事をやるわけじゃないでしょ?という人に聞いてほしいのは、働かないとどんどん減っていく、“重要なもの”があと2つあること。それは自信と謙虚である。その2つがないと、人間として何だかやっぱりさみしい。体の中をスースー風が通り抜けていくような“からっぽ感”を感じるだろう。子供の自信は、成績の良さや先生にほめられることでしか生まれないように、大人の自信も、やっぱり社会で認められ、上司などにほめられないとなかなか生まれない。少なくとも本物の自信は。

つまり働かない、または働きたくない人の自信は、社会の評価という一定の基準を踏まえて生まれたものではないから、それこそ“根拠なき自信”になってしまう。趣味やらスポーツやらで得た自信ももちろん立派な自信だが、突きつめていけばそれで生計を立てられないと本物の自信にはならないということなのだ。やっぱり大人は働くことでしか自信を得られないってこと。ちなみに主婦も働く。家事とか子育てなら負けないという自信は、本物の自信である。

そしてもう一方の謙虚さ、これはハッキリ言って“本当の自信”とつねにセットで生まれるものと言っていい。つまりその自信がうっかり本物でなかったりすると、人は不思議に謙虚になれない。その自信に根拠がないことを、無意識に隠そうとするためか、かえって自分を本当のサイズよりも大きく見せようとしてしまう。これが、本物の自信なら、実際以上に自分を大きく見せる必要なんてまったくなく、大きなゆとりの中でもの静かに自然体で生きていけるから、それが結果として“謙虚さ”を生むのである。そう、“謙虚さ”にも人に“私は謙虚な女です”と見せるための謙虚と、とても自然な無意識の謙虚という2つがあるが、“本当の自信”から生まれるのは“無意識の謙虚さ”。本物同士は必ずセットになってやってくるのだ。大人の女にとって、この2つはどうしても持っていたいもの。持っていなくてはならないもの。だからやっぱり何であれ、働きたい。ひとまず一生懸命。仮に社会で認められなくても、“頑張った”という達成感だけでも、ほのかな自信って生まれるものだから。 

働かないと減るもの。それは何より“チャンス”である

人間みんな、どこかのタイミングでは自分もチャンスをつかみたいと思うのだろう。でもまたどこかでそれを諦めてもいく。少なくとも、働く熱意を失えばチャンスをつかむ可能性はほぼ自動的に消滅していくのだから。もちろん、“金持ちの男”を掴まえるチャンスは誰にでもあるし、幸せになるチャンスはいつでも狙える。しかし、いわゆる立身出世のチャンスというのは、働かざる者にはどう引っくり返っても訪れない。でも、一応チャンスを想定して働いてはみるものの、あまりの可能性の低さに“やってられるか”となった人は、聞いてほしい。「多くの人が大きなチャンスを見逃してしまうのは、チャンスってものが、まったくの日常の中にまぎれているからなんだよ」という言葉がある。そしてその“オチ”みたいなこんな格言も……。「とりあえず、今日ある仕事を心をこめてやる人が成功するのは、そういう人はあんまりいないからだ」

たぶんチャンスを狙う人は、ともかくチャンスに直接働きかけようとする。直接探そうとする。だからチャンスはとっても遠くにあるように見え、すぐそばにあったチャンスや、すでに手の中にあったかもしれないチャンスは人をみすみす消し去っていってしまうのだ。多くの人は、大なり小なりチャンスのために働いている。ならばこそ日々を大切に。3年後、5年後を見るより、手もとを見る、働くとはそういうこと。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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