
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
結局のところ、女の明暗は自分の顔が決めていた。玄関を出ていくときの顔で……。
右か左か、どちらに行ったら良いことがあるんだろう。どちらに行ったら幸せになれるんだろう。そういうふうに二者択一で悩む場面は、人生の頭のほう3分の1。すなわち30代までに固まってやってくるものなのだという。確かにそうだ。どこを受験し、どの学校に進むか?10代の頃はそれで人生丸ごと変わってしまうような気がしていたし、就職に際しても“希望の職種”に進めないと、一度そこで人生を諦めてしまったりしたもの。
就職してもしなくても、隣の芝生は青く見えがちで、“転職”の可能性をいつも頭の中に住まわせながら会社へ行く、何だかつねに“分岐点”の上にいるような、分岐点そのものを生きているような、そんな時代が30代まで続いていきがち。でも逆にハケン社員にこだわったりするのも、あえて分岐点そのものを生きていたい人の選択かもしれない。どっちも選ばない、どっちにも行かない、それが心地よい人もいるのだろう。ひとまず“留学”しちゃったりするのも、自分を結論づけず、答えを先送りする選択のひとつ。
そう、何かをきっちり選んでしまうことは、自らの中で明暗を分けること。だから答えを保留にし、明暗を避けながら生きる生き方もあり。10代は好むと好まざるとにかかわらず、入試や就職試験などで明暗を強いられてきた。だからそのぶん、大人になってからは明暗を分ける場面を避け続けたいと思っても不思議じゃない。でもそのうちにキャリアも自然に積まれていくから、いつの間にか“安定期”に入ってしまい、明暗を決めずにすんでしまう。そういう生き方もあるはずなのだ。しかし女にはどうやって逃げてもやってきてしまう“明暗”がある。他でもない、恋愛と結婚。
いくら注意深く慎重に“暗転”を避けつつ生きていても、女は恋をし、結婚を望んでしまう。そうやって男たちが絡んでくると、女の人生は大きく動き、自分では自分の人生を操作できなくなる。その勢いで思わぬ方向に体が持っていかれ、予定外の結果が出てしまいがちなのだ。そこではまた、受験の合格不合格みたいに、女たちがそれぞれ大きく明暗を分かれてしまうことになる。もちろん“明”に転じるケースのほうが多いに違いないが、どっちにしろ今までとは違うべクトルが生まれて、女の人生の重心が大きく動いていくことだけは確か。
とても不思議なのは、女は男以上の生命力を持っていて、男たちよりずっと力強く生きてしまっているのに、ひとたび結婚が絡んでくると、その生命力は突然弱まってしまう。だから“不可抗力”をまともに受けやすくなるのだ。男の側の運命に大きく影響を受けやすくなったり、また結婚できないかもしれない可能性だけで“暗”に自ら身を投じたり。だから女は大人になるにつれ“暗転”しないよう踏ん張る力を養っておきたいのだ。それは他でもない“明の力”。自らを照らす光。
じつは大人になってからの“女の明暗”を分ける決定的なものがもうひとつある。ズバリ“顔”である。顔ほど明と暗、陽と陰を露骨に表すものもない。大人になるにつれ、女の顔は見るからに“明の女”と“暗の女”に分かれ、顔が輝いている女と、くすんでいる女に見事に二分されてしまう。それはもう理屈じゃない、明らかにスポットが当たっている顔と、光の絶対量が足りない顔。命がきらきらしている女と、きらめかない女。それがそのまま女の明暗となってしまうのだ。“明の女”は周囲までも明るく照らし、人がどんどん集まってくる。ちゃんと人にも愛される。だから、そうでない人とはハッキリ人生の明暗を分けるのだ。
ただしこれは、美形かどうかとは違う、あくまで自分が自分を“明の女”にする気があるかどうか。生まれつき放てる光の“絶対量”は決まっていると考えてもいいが、その気になれば自分で操れる光。積極的に生きようという気持ちがあれば、人はそれだけで光を放つし、自分はもうここまでと思えば光は光らない。美容で物理的に自分を輝かせることで生まれる“明”もあれば、文字通りの明るい表情でつくる“明”もある。自分を押し出す時に生まれる“明”もある。もっと単純に、“元気が生む明”もあるが、人間、元気なことが“運”を呼び込むという説もあり、要はそういう単純すぎることが女の明暗を見事に分けてしまうことを知ってほしいのだ。いずれにしても女は自分自身が持つ“光の量”で自ら運命を決めている。恋愛と結婚だって“明の女”なら自分主導、結果を“暗”にはもっていかずにすむはずなのだ。10代まで、明暗は不可抗力。でも大人になったら、明暗は自分で決める、そういうこと。
だから女の明暗はいつ分かれるの?と言うなら、毎日毎日自分を玄関から外に押し出す時、どんな顔で出ていくか、つまらなそうに出ていくか、溌溂と出ていくか、毎日の自分が明と暗に分かれていくのである。逆から言うなら自分ではどうにもならない明暗は、100%宿命。だから仕方がないと早々に割り切ったほうがいい。でもほとんどは顔でどうにでもなる明暗。人間は顔をあなどってはいけない。特に女の明暗は自分の顔が決めていること、3日に一度は思い出してほしいのである。
女の“明暗”はなぜか男には見えている
女には2種類しかない。イケてる女か、イケてない女か……。そう言って憚らない男がいた。でもそこに文句は言えない。私たち女も男に対してほぼ同じことを思っているから。男にだってイケてる男とイケてない男の2種類しかいないって思うから。そういうふうに人様に○×のどちらかをつけてしまうのは、それぞれ“異性”だからこそできること。とりあえず深いところの人間性などはすべて無視して、男としてまた女として見て、合格か不合格かということだけを見るのが異性の目だからだ。
しかしそれは必ずしも美形かどうか、セクシーかどうかというだけの○×ではない。それこそ、男は“明の女”か“暗の女”かを見ているのである。女は言ってみれば、花開いているかしぼんでいるか、そこで○×をつけられるのだ。一方で男たちはよくこんなことを言う。“あの子は幸薄そう”、“彼女には負の気を感じる”。それも見えない明暗を見分けている結果に他ならない。女同士には見えないのに、不思議だけれど、男の目には“女の明暗”がハッキリ見えているのである。
男は女の本質をいきなり見ようとし、さまつなことを見ないから逆にハッキリ見えるのだ。女の明暗が。そこはお互い様だが、彼らも選んだパートナーで、自分の未来も決まってしまうから、ほとんど本能で女の明暗を見分けているのである。男の目はそういう意味でもあなどれない。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23