連載 齋藤薫の美容自身stage2

女の正念場とはいつか?

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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何事も起こせない人を世の中は、”主役”にしない。”力ある人”だけに逆境は訪れる。

正念場……言うまでもなく”ここぞ”という大切な場面。しかしいっぱいいっぱいの生き方をしていなければ、まずやってこないもの。だから、自分には無縁、と思っている人も少なくない。だいたいが私たちはそこにあまりプラスの意味を見ていない。”ガケっぷち”とか、”どたん場”みたいな意味にしか捉えていないはず。”苦境に立たされた時どうするか?”それを正念場と考えるから、みんな自分をわざわざそこに置きたくないのだ。苦境にまで自分を追い込んでいかなければ、正念場に立たされることはないわけで、もっとふんわりとゆっくりと生きていたい。少なくとも今はそういう時代。

でも”正念場”の本当の意味を知ると、そうやって逃げてもいられないって気づくだろう。そもそも”正念場”とは、歌舞伎や浄瑠璃から生まれた言葉で、厳密に言うなら、登場人物が持っている本当の性格を発揮して何らかを訴える、いちばん重要な場面。転じて、その人の真価を問われる場面という意味になるわけだが、だから英語にはぴったりの言葉がない。英語に訳すと”危機の時”みたいな意味になってしまうのだ。

むしろ自分の魅力や存在価値を見せつける場面、だからプラスの意味合いをそこに感じてみてほしいのだ。逆を言うなら、人には一度や二度の”正念場”が必要で、ここいちばん自分の価値を世にアピールする場面があってしかるべきなのじゃないか。たとえ”逆境”に置かれても、そういう時こそ、自分の魅力や実力を世間に認められるチャンスと考えるのが”正念場”だってこと。

それまでどんなに自信に満ちていた人でも年齢なのかバイオリズムなのか、ふとした拍子に”失速感”みたいなものを感じて、急に自信がなくなったりする。そういう時、偶然か必然か、さて自分はどっちへ行こうかという”大きな迷い”も一緒に押し寄せてきて、何が何だかわからなくなってしまいがち。一般の人にはあまりない感覚だろうが、芸能人で言えば”落ち目”の自覚?でもどんなに若くても人には必ずそういう時が来る。スランプと言ってもいいし転機と言ってもいい。でもそれをチャンスと見る見方もあるということなのだ。

ある女性は、勤めていた会社で花形部署にいたのに、人事異動でどーでもいい仕事にまわされ、今にも廃番になりそうな商品のマーケティングにまわされる。それって辞めなさいってこと?と誰もが思う。でもその人はまったくクサらず意固地にならず、不当な人事に怒ることもなく、むしろほとんど誰もいない部署では、自分が動くしかないからと、逆に重い責任を感じて、どうしたらその製品を生き残らせるかを考えていた。そして結果的にはその製品が再び息をふき返してしまう。

ただその女性はよほど会社から嫌われていたのか、再び誰が見ても不本意に違いない仕事を与えられるが、それでも彼女はめげずに今度もやっぱり前向きに頑張ってヒット作を出してしまう。やがてはダメな商品を生き返らせる職人みたいな評価を得るようになっていく。”不当な人事”がなかったら、この人にそこまでスポットが当たらなかったかもしれない。だいたいが、歌舞伎や浄瑠璃はもちろん、あらゆるドラマは主人公に何らかの問題が起きなければドラマにならない。良いことばっかりの物語なんてあるわけないのだ。言いかえれば、主人公に何らかの問題を与え”正念場”に置くことが、物語づくりの鉄則。

そこで主人公の魅力や才能にスポットが当たって、そのクライマックスでは主人公が光り輝くというのが物語の定番スタイルだと言っていい。”正念場”は、その人にスポットを当て、光り輝かせる絶好の舞台なのである。たとえば、若さと美貌で一世を風靡したような女優が、年齢とともにだんだん仕事が減ってきたような時、”女優の正念場”というふうに表現されるが、ちゃんとそれを乗り越える魅力と才能がありそうな人だからこそ、そういう時に”今が正念場”と言われる。とっとと消えていく女優には、そんな表現は使わない。”正念場”は、ちゃんと価値ある人にしかまわってこないのだ。

ある意味、”正念場”と言われたところで、世の中がアッと驚く結婚をやってのけ、アッという間に新境地を切り開いてしまった”藤原紀香”という人も、まさしくちゃんと中身のある人だったからこそ、世間がその顛末を固唾を呑んで見守った。”正念場”という形でみんなを惹きつけておいたから、ああいう離れ業のような結婚センセーションが巻き起こせたのだと思う。”正念場”は、魅力ある人を舞台に立たせ、ドラマチックに輝かせる晴れ舞台なのかもしれない。同時に、”正念場”は、自分でも気づかなかった自分の才能に気づかせてもくれる。だから力のある人には絶対不可欠なのである。

何事もなく、何事も起こさずに生きていくことも可能。でも物語と一緒で、何も起こらない人を世の中は主役にはしない。そして何事も起きないのは、節目のない木みたいなもので、ひっかかりがないからうまく昇っていけない。正念場という節目があるからこそ、才能ある人はその節目に足をかけて上へ上へと昇っていけるのである。

ともかく、正念場は”力のある人”だけに訪れるステップアップのための有り難い逆境。だからみんなチャンスと思って受け止める。つるっつるの、何もない日々をふんわり生きる幸せもあるけれど、浮き沈みある人の方が、ぜったいステキは大きく育つ、それだけは間違いないのだ。

“落ち目”という感覚について考える

世間というところはけっこう意地悪で、一世を風靡した女優やタレントを、ある時期が来るとスクープ系週刊誌あたりが必ず“落ち目”として報道する。何をもって“落ち目”というのか、さしずめCMの本数が減ってきたことを大げさに捉えるのだろうが、ともかくピークがしばらく続くと、“落ち目”と言いたがるのは世の中の悪いクセ。

確かに昔は“旬の女優”が年ごとに変わっていき、昨年の“旬”を、今年はもう“終わったトレンド”みたいに扱う。本当に“新作”しか有り難がらないブランドものみたいに。しかし最近は少し様子が変わってきた。消えていく人は消えていくが、“旬”を終えても終わらない人は終わらない。現実ちょっと“落ち目”になったかに見えても、戻る人は戻ってくる。少し前までひとたび“落ち目”と言われると、下降線に歯止めがかからなかったが、今はもう少し冷静にフェアに“人”を評価する流れになってきた。まさに“正念場”というチャンスを与えるのだ。

篠原涼子人気はまだ続きそうだし、仲間由紀恵や伊東美咲も独自のポジションを明け渡さない。とはいえ、篠原涼子だってこれまでいくつかの“正念場”を乗り越えてきているから、今の揺るぎない立場があるのだろう。ちゃんと正念場を迎えられる人が今強い。正念場を迎えてからが強いという証である。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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