
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
「魔性」も「小悪魔」も、人を惑わせたぶんだけ地に足つかず、人生が落ち着かない。
Aという男と付き合っていたはずの女優が、Bしかしそんな批判をものともせず、今度はCという男との熱愛が発覚したりすると、マスコミの扱いがちょっと変わってくる。「二股女優」が、ひょっとして「魔性の女?」という論調に変わり、批判よりも、この女優本人への興味関心が優先するようになる。やがてDという男の存在が浮上する頃になると、世間はもうその人を堂々たる「魔性の女」として、ある種の尊敬をもって持ち上げてしまうようになる。 という男との抱擁を目撃された……となると、マスコミは一体どうなってるの?と、女としての不実を責め立て“二股女優”なんて愛称をつけてしまう。
そうそう、どこかの局で一時期『今週のエビ様』というコーナーが組まれるまでになった時の処遇もなかなか手厚いものがあり、そこにはちゃんとリスペクトが含まれていた。同様に「魔性の女」という立派な称号を得た人には、いっそもっとやってくれ、みたいな期待が集まってしまうのだ。女は心のどこかで“魔性の女”に憧れている。なれるものなら、ちょっとなってみたいと思っている。だって大した努力もせずに複数の男を虜にできるなんて、こんな愉快なことはないはずだと。魔性の女は、女として底なしの魅力をたたえているということになるが、それも単なる美貌ではなく、特殊な能力と言っていいもの。美容で簡単に作れるものじゃない。作ろうと思って作れる魅力ではないからこそ、無性に羨ましいのだ。
しかも一度「魔性の女」というレッテルが貼られると、男たちはそれだけで引くのだろうと思いきや、現実は逆。そういう女になら、ぜひとも翻弄されてみたいと思うらしいのだ。「あの女には気をつけたほうがいい」と、お互い忠告し合いながらも、みんないつの間にか体が吸い寄せられていく。コワイもの見たさ、面白半分、そしてそういう意味でのマゾ的本能が目覚めるためかもしれない。だからAもBもCもDも知らないうちにハマっていたのだろう。女たちは、ともかく一度でいいから、そういうモテ方をしてみたいと思うわけだ。
でも一方の「小悪魔な女」にもまた別の意味で羨ましさを感じる。たとえば谷崎潤一郎の『痴人の愛』に登場するナオミのように、わざと男を誘うような振るまいをしながらも、体には触れさせずにじらしたり、傲慢になって無理難題をふっかけたり、男を振り回し続けるのが小悪魔な女。とうていなれそうにないし、なろうとも思わないが、そこまで奔放に振るまえるって、女にとってひとつの快楽。だから女はファッションにおいて“コケティッシュ”というスタイルを確立して、意地悪なしに男を振り回したいと思っているのだ。
そして「魔性の女」と「小悪魔な女」は、どこかで重なり合いながらも、別々の個性を持っている。ふたりとも“生活感”はまったくないが、でも「魔性の女」は料理をやるとこれが異様にうまかったりするかもしれない。また「小悪魔」は文字どおりコケティッシュで派手めのビジュアルを備えているが、「魔性の女」は、一見とても地味かもしれない。少なくともファッションに頼らない、容姿には頼らない、それこそもっと霊的な力で精神的に男を惑わすからの魔性。だから女はできれば魔性を多少でも備えておきたいと思うのだろう。
でも意外な現実にも気づいてしまう。「魔性の女」とさんざんもてはやされてきた女ほど、じつはあまり幸せになっていないこと。誰とは言わないけれど、結婚と離婚を繰り返す人。たくさんの男と恋愛はするのに、結局結婚せずひとりで生きていく人。“魔性”とは、とても神秘的で特殊な色気だからこそ“いざ、生活”となると難しいのか。そういう魔性の引力がほどけてただの女になってしまうか、さもなければ浮気を繰り返すから結婚がうまくいかないか。“魔性”ってやっぱり恋愛向きで、結婚は苦手なのかもしれない。だからモテまくるわりには、あんまり幸せになれないのが特徴。
じゃあ「小悪魔な女」はどうかというと、これが逆にけっこう幸せな結婚をしてしまう。世の中には「小悪魔な女」が大好きという男がある数いて、喜んで振り回されている。結婚してもじらされたり、我がままを言われたりすることがかえって嬉しい、そういう男っているのである。つい最近もそういう結婚をしたカップルがいたような……。「小悪魔な妻」は意外だけれど、ありなのだ。
別にどちらを目指しましょうという話ではないけれど、女はどれだけ男を虜にできても幸せな結婚ができるかどうかは別の話。損得を考えるなら、“憧れの魔性”もあんまり割に合わないということ。そして小悪魔好きな男も、財力と忍耐力がないと、なかなか小悪魔を養えない。だからそうゴロゴロいるわけじゃないことだけは覚えておく。「魔性」はほんの10%ほどスパイスとして加え、「小悪魔」はファッションやアイラインで加える程度がいいのかもしれない。ともかく魔性も小悪魔もモテの最終形には違いないが、人を惑わしたぶんだけ自分も地に足つけられず、迷いながら歩いていかなければならないことだけは覚悟しておくこと。
“魔性の女”や“小悪魔”が、結婚願望を持つ悲劇
魔性の女は、“幸せな結婚に持ち込みにくい”と言った。それも、魔性の定義が男を惑わすこと自体にあり、しかも複数の男を楽々と惑わすこと自体にあるから。強い魔性を持っているほど、結婚に向かなくて当然。ところが、そういう魔性の女がなまじ結婚願望が強かったりすると、もっともっと不幸である。
かつて“魔性の女”の名をほしいままにしたある女優は、たくさんの有名人との恋の噂を経て、突然のように飲食店勤務の一般男性と結婚、世間をアッと言わせたが、アッという間に破局。またそれほど時間を空けることなく一般人と再婚。別に“一般人”がいけないのではないけれど、想像するに、それらの結婚はいずれも文字どおりの“魔性”でどこか気まぐれに男を惑わしたまま、勢いか成りゆきで行き着いちゃった結婚であるかに噂された。魔性の“結婚願望”は、そういうどこか危うい結婚を繰り返しやすいのだ。魔性の女は苦労せずに結婚できるからこそ人生を無駄にしやすい。魔性か結婚願望かどちらかにしぼるべきである。
一方で「小悪魔」もベストパートナーに恵まれればいいが、とある小悪魔スターは、離婚後若い男にのめりこんだり、子供たちもあきれる恋愛に走ったり、やっぱり落ち着かない人生を生きている。ひとりじゃ絶対生きられない小悪魔は、やっぱりとっても苦労する。男を惑わす人生も、楽じゃないのである。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23