1. 魔性と小悪魔どちらが得か?

斎藤薫の美容自身2

2015.04.23

魔性と小悪魔どちらが得か?

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

魔性と小悪魔どちらが得か?

「魔性」も「小悪魔」も、人を惑わせたぶんだけ地に足つかず、人生が落ち着かない。

Aという男と付き合っていたはずの女優が、Bしかしそんな批判をものともせず、今度はCという男との熱愛が発覚したりすると、マスコミの扱いがちょっと変わってくる。「二股女優」が、ひょっとして「魔性の女?」という論調に変わり、批判よりも、この女優本人への興味関心が優先するようになる。やがてDという男の存在が浮上する頃になると、世間はもうその人を堂々たる「魔性の女」として、ある種の尊敬をもって持ち上げてしまうようになる。 という男との抱擁を目撃された……となると、マスコミは一体どうなってるの?と、女としての不実を責め立て“二股女優”なんて愛称をつけてしまう。

そうそう、どこかの局で一時期『今週のエビ様』というコーナーが組まれるまでになった時の処遇もなかなか手厚いものがあり、そこにはちゃんとリスペクトが含まれていた。同様に「魔性の女」という立派な称号を得た人には、いっそもっとやってくれ、みたいな期待が集まってしまうのだ。女は心のどこかで“魔性の女”に憧れている。なれるものなら、ちょっとなってみたいと思っている。だって大した努力もせずに複数の男を虜にできるなんて、こんな愉快なことはないはずだと。魔性の女は、女として底なしの魅力をたたえているということになるが、それも単なる美貌ではなく、特殊な能力と言っていいもの。美容で簡単に作れるものじゃない。作ろうと思って作れる魅力ではないからこそ、無性に羨ましいのだ。

しかも一度「魔性の女」というレッテルが貼られると、男たちはそれだけで引くのだろうと思いきや、現実は逆。そういう女になら、ぜひとも翻弄されてみたいと思うらしいのだ。「あの女には気をつけたほうがいい」と、お互い忠告し合いながらも、みんないつの間にか体が吸い寄せられていく。コワイもの見たさ、面白半分、そしてそういう意味でのマゾ的本能が目覚めるためかもしれない。だからAもBもCもDも知らないうちにハマっていたのだろう。女たちは、ともかく一度でいいから、そういうモテ方をしてみたいと思うわけだ。

でも一方の「小悪魔な女」にもまた別の意味で羨ましさを感じる。たとえば谷崎潤一郎の『痴人の愛』に登場するナオミのように、わざと男を誘うような振るまいをしながらも、体には触れさせずにじらしたり、傲慢になって無理難題をふっかけたり、男を振り回し続けるのが小悪魔な女。とうていなれそうにないし、なろうとも思わないが、そこまで奔放に振るまえるって、女にとってひとつの快楽。だから女はファッションにおいて“コケティッシュ”というスタイルを確立して、意地悪なしに男を振り回したいと思っているのだ。

そして「魔性の女」と「小悪魔な女」は、どこかで重なり合いながらも、別々の個性を持っている。ふたりとも“生活感”はまったくないが、でも「魔性の女」は料理をやるとこれが異様にうまかったりするかもしれない。また「小悪魔」は文字どおりコケティッシュで派手めのビジュアルを備えているが、「魔性の女」は、一見とても地味かもしれない。少なくともファッションに頼らない、容姿には頼らない、それこそもっと霊的な力で精神的に男を惑わすからの魔性。だから女はできれば魔性を多少でも備えておきたいと思うのだろう。